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301. バラ


フローニンゲンの街でいつかどうしても訪れたい庭園があった。ここは静かにそして華やかにバラが咲き誇る庭園だ。

フローニンゲンの街をランニングした後の帰り道、まだ通ったことのない道を走ろうと思っていたところ、偶然ながらこの庭園へ行き着いたのだ。あたりに目新しいものを探そうとするような意識を持っていたわけでもなく、真剣に前へ向かって進んでいると、左目の周辺視野の中に周りとは違う空間が広がっているのを捉えた。

それがこの庭園だったのだ。後から調べてみて、この庭園はフローニンゲンの街の象徴であるマルティニ塔のすぐ裏手にあることがわかった。いずれにせよ、この場所にはいつか必ず訪れようと思っていたが、往々にして「いつか」という日はいつまで経ってもやって来ないものだが、そのいつかは偶然にも向こうからやって来たのだ。

ここはとても小さな庭園なのだが、自然に触れられるこうした場所があるだけでも、周りに住む人々の心はだいぶ変わってくるのではないかと思わされる。ランニングの最中であったため、手元に現金はなく、この庭園に入ることができるのか心配であったが、入園料というのはかからないようだった。

入園し、手入れの行き届いた緑のアーチに囲まれた道に入り込んだ瞬間、表現が難しい感覚に包まれた。それは迷路の中で彷徨っているような感覚であると同時に、未だ見えぬ出口に希望を見出しているような感覚だったのだ。

そうした感覚に付随して、ここ最近の決まりごとかのように過去の記憶が蘇ってくる。過去の記憶というのはもしかすると、単純に過去に経験した出来事を想起するような類いのものではなく、絶えず現在と紐付いている生きた感覚なのではないかと思わされるのだ。

なぜだかわからないのだが、私はこの庭園のメインスポットで壮麗に咲くバラ達よりも、多くの人々が素通りするような箇所に慎ましく咲いているバラの方に惹きつけられるような魅力を感じていたのだ。控え目に咲くこのバラの奥に大事な何かが隠されているに違いない、そんなことを思わされた。

庭園をそよ風が吹き抜ける。あたりを見回すと、庭園の中にあるカフェで談笑をしている人たちの姿が見える。慎ましく咲いているこのバラは、そうしたそよ風やカフェで談笑する人たち、そしてバラを見ている私を含めて、諸々の関係性の中に存在している、と言うことができるだろう。

しかしそれ以上に重要なのは、このバラはバラとして全てを超越してただそこにある、ということの中に存在の消し去ることのできない固有の価値が宿っているような思いに至ったのだ。

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