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300.「美」と「組織のイノベーション」に関する脱神秘化


——学術論文とは、人類への手紙である——ウンベルト・エーコ

森有正先生の全集のどこかで、バッハの音楽は主観的・直感的に生み出されたものではなく、客観的に秩序化された音楽的方法論に基づいて生み出されている、というような記述を見かけたことを記憶している。つまり、バッハは自分の音楽を独自に方法化し、その方法論に従って優れた楽曲を多数輩出していたと言える。

逆に言えば、私たちが自らの活動領域で客観的に秩序化された方法論を体系化することができれば、その領域内で美を顕現させることができるのではないだろうか。実際に、辻邦生先生はまさにこの実践を真摯に遂行され続けた方だと思うのだ。

辻先生の『パリの手記』や『小説への序章』を読んでいると、文学作品を通じていかに美を創出することができるのかという、そのメカニズムの解明と方法論の確立に絶えず試行錯誤していたことが伺える。

仮に美を生み出すメカニズムや法則が客観的に記述可能なものにまで体系化を推し進めることができれば、それは教育可能なものになると思うのだ。そうでなければ、芸術的な創造的行為はいつまでたっても表現者の中だけの所有物となってしまい、それは自然発生的に生み出されるような偶然の産物として崇め奉られるだけのものに成り果ててしまうのではないかと思う。

私はどうしても三人称的のっぺらぼう言語で構築されやすい学術論文に対して、文学作品的様相を帯びさせることはできないかと思案していた。要するに、「真」の領域を司る科学論文を「美」の領域を司る文学作品のような形式で書くことはできないか、ということを考えていたのだ。

科学論文とはいえ、やはりそれを多くの人たちに読んでもらう必要があるし、何よりも自分の実存性を文章の中に込めたいと思った場合、どうしても三人称的な言語を用いているだけでは不十分だと思ったことがきっかけにある。

学術論文の形式上、文学作品とまるっきり同じ形式で執筆することは不可能だとしても、文学的な何か、文学でしか表現しえぬものを科学論文の中に組み込んで執筆したいと思うのだ。無機質な、魂の抜けた科学論文に価値を見出すことを私はできない・・・。そうした文章では何も伝わらだろうし、さらなる知の開拓に資するだけの人類への手紙になりえないと思うのだ。

もちろん、知性発達科学者として最優先しなければならないのは、紛れもなく、人間の知性や能力の発達法則を発見することだろう。しかし、それと同時に、学術論文の中に美を宿すための法則性や方法論を発見することも怠りたくはないのだ。

幸運にも、美が体現されている学術論文とこれまでいくつか出会ってきているが、そこに客観的に説明可能な美の創造メカニズムが隠されていることは自分の中でかなり明確なのだ。あとは、それを少しずつ言葉にしながら、自分の中で法則性を構築し、実際に論文を執筆するという実践の中で方法論を彫琢し続けていくことが必要になるだろう。

これまでの話は「美」の方法論的創出に限定したものであるが、これは例えば、個人の創造性を涵養することや組織のイノベーションを創出することにも等しく当てはまることだろう。つまり、個人の創造性や組織のイノベーションに関しても、客観的に秩序化された方法論を構築することが可能なのではないか、ということだ。

もし仮にこれが不可能だと一蹴されるのであれば、創造性やイノベーションの発生プロセスとメカニズムを科学的に探究している研究者の存在意義は無くなってしまうだろう。自分を含め、彼らが試みているのはまさに、創造性の発生プロセスとメカニズムを解明することであり、研究成果から創造性やイノベーションの創出に関する具体的な実践技法を編み出すことにあるはずだからだ。

発達心理学という学問分野が確立される以前は、おそらく人間の発達は神秘的なベールに包まれており、それこそ「氏か育ちか」という論争のようなものまで存在していたのだ。これと同様に、現代においては、創造性やイノベーションという現象が未だに神秘的なベールに包まれていると思う。

それだけではなく、創造的な人間を崇めたり、組織のイノベーションを偶然の産物のように捉えることによって、私たちはそれらを逆に神秘化するようなことさえ行っていると言えるのではないだろうか。

近年において、創造性やイノベーションに関して応用数学のダイナミックシステム理論を用いた研究が広まりつつあるのは、まさにこうした社会的な風潮に抗うためなのかもしれない。

創造性やイノベーションがいかに複雑な現象だとしても、「全ての動的なシステムが作り出すカオス的振る舞いの背後には法則性が隠されている」というダイナミックシステム理論の原則的な考え方を適用し、創造性やイノベーションに関して脱神秘化を試みたいと思うのだ。

特に組織のイノベーションというのは、組織的な知性や能力の産物とみなすことができる。であれば、それらは個人の知性や能力と同様に、何もないとこから偶発的に生まれるような類いのものでは決してない。

それらは組織的な知性や能力の一つとして育むことが可能であり、バッハの音楽や辻先生の文学作品のように、体系立てた形式的な手順で創出が可能だと思うのだ。この手順の発見と構築は、私にとってフローニンゲン大学での一年目の重要な探究課題となるだろう。

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