273.「爆発」から始まる記念すべきフローニンゲンでの二日目
- yoheikatowwp
- 2016年8月5日
- 読了時間: 10分

怒涛のように過ぎ去った8月1日から一夜明けた8月2日。昨夜、就寝前に感じていた虚無感は消え去り、新たな土地で何とか生活を始めようとする自分のたくましい生命力を感じた二日目の朝。
睡眠というのはつくづく大事なものだと思う。睡眠は心身を休める働きのみならず、昨日の出来事を全てリセットしてくれるような働きがあるのだ。リセットという表現は正しくないかもしれないが、いずれにせよ、昨日畳み掛けるように身に降りかかった出来事が自分の内側で一旦消化され、睡眠の過程のどこかで不要物は自己の外に排出されているような感覚があるのだ。
起床後、夏とは思えない清々しさを感じ、晴れ渡る空を寝室から見上げ、洗面台に向かった。そうであった。洗面台の下には、昨夜突如として吹き上げたヘドロが残っていたのだ。起床後の爽快感が、このヘドロによって一気にかき消された。人間の感情は、よくできたダイナミックなシステムだと思う。
欧米の大学院に留学する場合、TOEFLという英語の試験が要求される。そこでは、主に留学生が直面する生活上のトラブルがリスニング問題やスピーキング問題に出題されることが多い。
TOEFL対策の勉強をしていた当時、「水道管からの水漏れとか考えられないだろう」と高を括りながら出題される問題と向き合っていたが、まさか自分が水道管からの水漏れに直面する当事者になるとはゆめゆめ思ってもみなかった。
「朝からあのテンションの高いヨス(Jos)にメールをするのか・・・」とぼやきながら、電圧の違うオランダで使えるようにしっかりと事前に準備しておいた変圧器をタコ足コードに差し込んだ時だった。「ボンッ!!」というけたたましい音ともに、タコ足コードが爆発したのだ。
タコ足コードに変圧器を差し込んだのがいけなかったのだろうか、再生を遂げた私の精神とは打って変わって、タコ足コードは無残にも死を遂げた。爆発から始まる朝。正確には、ヘドロからの爆発で始まる朝だ。
とりあえず、不幸中の幸で変圧器は生きていたようであるから、Macの電源コードを恐る恐る変圧器に差し込む。今度は大丈夫であった。その後、ヨスに速やかにメールをしようとしたところ、wifiのネットワーク接続をしなければならないことに気づいた。
これも日本を出発する前にわかっていたことなのだが、オランダに到着後すぐに仕事でインターネットを使う必要があると思っていたため、事前にヨスにwifiに関して確認をしていたのだ。部屋の隅っこにあるSAMSUNGのテレビ台に、おもむろに手書きのメモが置かれていることに気づいた。
見ると、お世辞にも達筆とは言い難い文字でネットワーク名とパスワード名が書かれていた。ヨスのメモに従い、該当するネットワークを探し出し、パスワードを入力する。しかし、どうもうまくいかない・・・。目を凝らして見ると、ヨスが書き残したローマ字の「I」が数字の「1」に見えていたのだ。
「もう頼むよ〜、ヨス!」と思いながら、ローマ字の「I」を打ち込んでも、wifi接続ができない。あれこれ試した挙句、ルーターが置かれている地上階(ground floor)まで降りて行き、そこに必要かつ正確な情報を見出そうとした。
それでも問題が解決できそうになかったため、早朝にもかかわらず、地上階の住民の部屋のドアをノックする。すると出てきたのは大柄のドイツ系の男性であった。
私:「おはようございます。昨日、引っ越してきた者ですが、wifiが使えなくて困っているんです。ネットワーク名とパスワード名はこれであってますか?」
男性:「ん?ネットワーク名はそれじゃないですよ。こっちです。」と言って、その男性は自分の携帯で表示されているネットワーク名を私に見せてくれた。
私:「あぁ、ネットワーク名が違ったんですね。助かりました!」とお礼を述べた直後、「勘弁してよ〜、ヨス!」と心の中で叫んでいた。
螺旋階段を駆け上がり、自分の部屋に戻って早速そのネットワーク名を入力すると、wifiが無事に接続できた。さぁ、ここから例のヨスにメールをしなければならない。水道管からの水漏れの件を連絡し、その返信を待つことなく、私は日常品の買い足しに近くのスーパーに出かけた。
使えるようになったwifiで検索をしてみると、最寄りのスーパーは歩いて数分のところにあることを発見した。新居の周りは本当に環境が良く、静かで空気も澄んでおり、これ以上にない生活環境だと改めて思った。
世界を始めて見る新生児のように、好奇心で溢れた目で景色を見ながら目的のスーパーに着いた。到着と同時に、私はそのスーパーに入ることを一瞬ためらった。なぜなら、スーパーの名前は「Jumbo(ジャンボ)」と大きく掲げられており、嫌な予感がしたからだ。
昨日の諸々の出来事が私の認知能力を掻き乱し、「小さなチーズを買いたいんだけど、チーズの供給者である実物の牛と同じサイズだったらどうしよう・・・」「2ℓぐらいのペットボトルの水が欲しいんだけど、200ℓぐらいの樽でしか販売してなかったらどうしよう・・・」ということを真面目に心配していた。
当然のことながら、これらの心配は杞憂に終わった。お目当ての品物を普通のサイズで購入することができ、Jumboというスーパーとは仲良くなれそうだという確信が芽生える。

スーパーから自宅に帰るためには、添付の地図上にあるPrinsesswegという通りを南に下り、Reitdiepという運河を渡る必要がある。行き道でこの運河を通った時、橋の上からこの小さな運河を見渡すと、川岸にたくさんの船が停留していた。
そういえば、住居をインターネット上で検索していた時に、やたらと安い家賃の物件が並んでおり、何かと思ってクリックすると、「素敵な船に住みませんか」という謳い文句が付された物件案内が画面上に出て来ていたのだ。電気・水道、インターネット、トイレ、暴風雨などの災害時・・・等々、私の頭は懸念事項で即座に満たされ、船の上に住むということを断念したことを思い出した。
そうした数ヶ月前の自分の意思決定を思い出しながら、Reitdiepという運河を渡ろうとした時、「平坦だった橋が傾いていらっしゃる・・・」と思わず声を漏らした。「カンカンカンカン」という音ともに、日本で言うところの電車の遮断機の棒が下りてくるのとは逆に、橋が75度ぐらいに傾き上がっていくのが見えたのだ。
多数の歩行者、自転車、自動車が橋の手前で停止しているのを横目に、何事もないかのように優雅に運河を通り過ぎていく一艘の船。橋をくぐれない大きさの船が通る時、運河を架橋する橋が上がるのだ。この事実を記憶にしっかり留め、間違っても橋から運河に転落しないようにしよう、と固く誓った。
運河に転落することなく、無事にスーパーから帰ってくると、きちんと閉めたはずのマンションの入り口の鍵が開いていた。そして、螺旋階段を上っていくと、自分が住む三階の部屋のドアも開いていたのだ・・・。部屋の中から物音がする。
「こ、こ、今度は泥棒か!」恐る恐る、激しい物音がする方に近寄ってみた。すると、先ほどのJumboで売られていた比較的普通の大きさの商品とは打って変わり、少しばかり古いかもしれないが、K-1スーパーヘビー級の「最凶巨神兵」という異名を持った元王者セミー・シュルトのような人物がそこに立っていたのだ(以下、 “ダイダラボッチ")。
ダイダラボッチ:「こんにちは(オランダ語)。」
私:「こんにちは。こ、ここで何を(英語)?」
ダイダラボッチ:「??エイゴガワタシハアマリトクイデハナイノデス。スイドウカンヲナオシニキマシタ(英語)。」
私:「あぁ、水道管を直しに来てくれたのですね。どうもありがとうございます(英語)。」
ダイダラボッチ:「カギアリマシタ。ヨスカラ(英語)。」
私:「あぁ、ヨスから鍵を受け取ったから家に入れたのですね。了解しました(英語)。」
「仕事が早いよ〜、ヨス!」と、 “あの"ヨスのあまりにも早い対応に驚くと同時に、この大男が泥棒ではないことだけはわかったので、途轍もない安堵感に包まれた。正直なところ、物音がする方へ近寄り、その大男が立ち上がった時、私は死を覚悟していた。
その大男が作業中、メールをチェックすると、
ヨス:「加藤さん、おはようございます!さっき、便利屋(handyman)にお願いをしておいたので、今日中のどこかでご自宅に伺うと思います。宜しくお願いします。」という爽やかなメッセージが届いていた。
私は「配管工(plumber)」を呼んでくれ、とメールを送っていたのだが、ヨスのメールには「便利屋(handyman)」という英語表記になっていた。なるほど、オランダ英語ではそのように表現するのかと関心をしながら、その便利屋なる大男の手元を見ると、これからカレーを作ろうと思っていた備え付けの大型の鍋を持ち出し、水道管から溢れ出す大量のヘドロをその鍋に流し込んでいるではないか!
「便利屋」と呼ばれているのに、必要な小道具をほとんどお持ちでない様子だ。
「それは食事を作るための鍋ですよ」ということをいかに優しく、そして最大の敬意を払って言おうとも、その大男に首をへし折られるリスクがある気がしたので、私は泣く泣くその鍋に別れを告げ、オランダでのカレー生活を諦めようと思った。
私は気を紛らわせようと思い、iTunesに保存されているクラシック音楽をランダム再生した。流れて来たのは、敬愛するベートーヴェンの『ピアノソナタ第8番』、通称『大ソナタ悲愴』だった・・・。
そこで熱心に作業をしてくれている大男を象徴して「大」であり、カレー用に最適な鍋が使い物にならなくなってしまったということに対して、「大きな悲しみと痛ましさ」を覚えた、という意味で『大ソナタ悲愴』はその場にふさわしい名曲だった。
修理に必要なパーツが無いということで、その便利屋は仕事場と私の自宅を2往復した後、なんとか水道管を直してくれた。その便利屋にお礼を言い、彼が去っていく背中を見ながら、私は胸をなでおろした。
無事に水道管が修理され、安堵感に浸りながら、直近でしなければならない住民登録などの諸手続きの流れを確認していた。その30分後、再び部屋のドアをノックする音が聞こえた。
ドアを開けてみると、そこに立っていたのは、一人の女の子だった。昨日は、疲労困憊の状態であり、そして暗くてわからなかったが、サウジアラビアから来た上の住人だとすぐに了解した。
サウジアラビアから来た女子大生:「こんにちは。上の住人の者です。」
私:「こんにちは。昨日はどうも。」
サウジアラビアから来た女子大生:「これ持ってきました。ヤクルトとブドウです。どうぞ召し上がってください。」
私:「わざわざどうもありがとうございます!ヤクルトとブドウは大好物なんですよ(ヤクルトを触ったのは10年ぶり以上)。」
サウジアラビアから来た女子大生:「お仕事か何かでこちらに来られたのですか?」
私:「一応、形の上ではフローニンゲン大学の大学院生になりますが、日本から持ってきた仕事も引き続きここでこなしていくつもりです。あなたは?」
サウジアラビアから来た女子大生:「私もフローニンゲン大学に通っているんですよ。医学部に通っていて、9月から2年生になります。」
私:「そうだったんですね。1年目の生活はどうでしたか?」
サウジアラビアから来た女子大生:「最初の3ヶ月は大変でしたけど、今は友人も多くなり、だから9月から学生寮に引っ越すことにしたんです。」
私:「そうでしたか。いや〜、ヤクルトとブドウ、どうもありがとうございます。」
サウジアラビアから来た女子大生:「どういたしまして!」
爆発から始まり、ダイダラボッチに遭遇した後のことだったので、なおさら私にはその女子大生が天使のように思えた。しかし、同時に、昨日のタクシードライバーの忠告である「あまり人を信用しすぎてはならない」という声が聞こえてきた。
その声に影響を受け、私は不謹慎にも、「このヤクルトとブドウに毒でも入っていたらどうしよう?」と思ってしまった。だが、仮に騙されたとしても、人間の親切心に包まれながら死ぬことができれば、それは本望であると思い、ヤクルトを早速一本飲み干した。
数分経っても何も異常はない。この世は、不運と幸運、冷淡さと親切さという陰陽で成り立っているのだ、としみじみ感じた。2016/8/2の午前の出来事