フローニンゲンでの三日目の朝を迎えた。怒涛の嵐が過ぎ去り、嵐の後の静けさに浸っている感覚だ。というのも、日本を出発してからの空の旅を皮切りに、そこからフローニンゲンの新居に着くまでが本当にハプニングの連続だったのだ・・・。
人間が持つ代表的な喜怒哀楽という感情の全てを体験させてくれる、実に乱高下の激しい初日であった。それでは下記に、どのようなハプニングに見舞われたのか、搭乗した飛行機の機内から新居に到着したところまでを、時系列に沿って覚えているだけ克明に書き残しておきたい。
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搭乗のアナウンスがあった後、搭乗ロビーの大型テレビに大リーグの試合が放送されていた。画面に目をやると、偶然ながらイチロー選手がバッターボックスに立つところだった。お決まりのルーティンを着実にこなし、バッターボックスに入ったイチロー選手。
どうやら米国での3000本ヒットまで残すところ後2本のようだ。誕生日が一日違いであり、同じB型という血液型であるということ、そして何より、求道者としての姿勢に共通するものがあると勝手ながらに思っており、敬愛するイチロー選手の動向だけは長らく追いかけてきた。
そのため、この打席でヒットを是非とも打って欲しいと願う自分がいた。しかし、結果はファーストフライに倒れた。その瞬間、これが求道者の人生だと思った。偉大な業績の裏には無数の失敗があるという事実の中に、そして無数の失敗があったとしても依然として歩みを続けていかなければならないという事実の中に、求道者としての人生の縮図を見たような気がしたのだ。
また、イチロー選手のこの凡打は、私のこれからの新天地の生活の中で、必ず凡打のような同種の出来事に何度も遭遇するということを暗示しているように思えた。
そのような思いに浸りながら、いよいよ搭乗ゲートが開き、機内に乗り込んだ。自分の精神力の弱さと神経質な特徴からだろうか、私は5時間を越すフライトでは必ずビジネスクラスに乗ることにしている。5時間を越すフライトを窮屈なスペースで身をかがめながら過ごすのは、身体的にも精神的にも多大なストレスがかかるように思うのだ。
何より、隣の人との距離があまりに近いと、その人の身体的・精神的エネルギーが自分に乗り移ってしまうような感覚があり、それを避けるためにも、隣の人との適度な距離が自分には必要なのだ。そうした我儘を聞いてくれるのが、日本航空さんが主に欧米路線のビジネスクラスで導入している「JAL SKY SUITE」という快適な環境である。
隣の人との距離が十分に確保されているだけではなく、開閉式のパーティションが設けられており、JAL SKY SUITEの座席はいわば、「個室」のような空間なのである。資料やパソコンを広げて仕事をするのに十分な回転機能付きテーブルが設けられていることも有り難い。
この個室空間に入った時に、改めてそのようなことを思った。いよいよ飛行機が滑走路へ向かう。飛び立つ前の加速の最中に味わうあの感覚と離陸直後のなんとも言えないあの浮き上がる感覚の中に、私たちはいろんなことを思うのではないだろうか。
私も例外ではなく、様々な思いが胸に去来していた。不思議なもので、飛行機が一定の高度に達し、安定状態に入ると、そうした様々な思いが一つのまとまりに変化し、自分の心も安定したものになるのである。
心が落ち着いたところで早速、自分の仕事を開始した。とにかく日本を出発してからロシアを抜けるまでは、日本語の書籍を読もうと腹に決めていた。そこで選んだのは、森有正先生が1950年代後半に執筆したパリでの思索記『バビロンの流れのほとりにて』である。
読み進めていくうちに、この書籍を選んだことをひどく後悔した。なぜなら、そこで記されている森先生の実存的な課題があまりにも自分のものと似ており、先生の血潮を感じさせる文章に何度も何度も目頭が熱くなったからである。
私は森先生をどこか他人とは思えず、自分よりも50年先に全く同じ道を歩いていた同志なのだと思っている。遥か彼方に行くことは、結局そこから自分自身に戻ってくる「円環的な性質」を持っているのだ、という森先生の言葉は、今の自分が漠然と思っていたことをこれ以上ないぐらいに正確に言い表している。
そうなのだ。私はオランダという遥か彼方の地に行くことによって、自分自身に還ってこようとしているのだ。この感覚は本当に疑いようのないものである。
確かにフローニンゲン大学は、人間の知性の発達に関して、発達心理学と複雑性科学(特にダイナミックシステム理論)を架橋させた研究を行っているメッカであり、この大学のプログラムから私は多くのことを学ぶことになると思う。しかし、正直なところ、確固たる意志があれば、これらの分野に関して日本においてもそれなりに学ぶことができると思うのだ。
つまり、私がこの地で成し遂げようとしているのは、発達心理学やダイナミックシステム理論の専門性を単に深めるということよりも、自らに還っていくことなのだと思う。そのようなことを思いながら、再び森先生の書籍のページをめくる。
自分にとって一つ一つのページがこれだけ重たい本を見つけることは、今後の人生において極めて少ないだろう。また一つ、また一つとゆっくりページをめくっていく。あるページに辿り着き、そこでまた私の心は森先生の思想に鷲掴みにされ、私は思わず書籍から目を逸らし、顔を上げた。
視線を上げた先に、全く思いがけない偶然の再会があった。
私:「あれっ!あぁ、あの時はどうもお世話になりました。」
CAの方:「????」
私:「約六ヶ月前のパリから成田へのフライトでお世話になりました。あの時搭乗されていたCAの方ですよね?」
CAの方:「六ヶ月前?・・・あぁ、そうです、覚えてくださっていてとても嬉しいです!」
本当に思いがけない偶然であった。今年の初旬に、私は英国とオランダを訪れ、その帰りのフライトでお世話になったCAの方とまたここで偶然再会したのだ。
その方曰く、当時はパリ路線を担当しており、今年度からフランクフルト路線を担当することになったそうだ。お話を伺うと、毎週毎週フランクフルトに飛んでいるわけではなく、当時のパリ路線にせよ、年間の国外フライト数はそれなりに限られたものだと教えてもらった。
自分も年に一回か二回ばかり海外路線を使う程度なので、お互いの独立事象から算出される確率は天文学的な数字になるな、と思っていた。この嬉しい再会の後、再び私は自分の仕事に戻った。
森先生の書籍をかなり読み進めた後に当たり前のことに気づいたのだが、ロシアという国は国土が非常に大きいのだ。当初の予定では、ロシアを抜けるまで森先生の書籍を読もうと思っていたのであるが、そうすると他の書籍や資料に目を通す時間が無くなってしまうことにロシア半ばの上空で気づいた。
私は『森有正全集第一巻』に掲載されている『バビロンの流れのほとりにて』を切りよく読み終えたところで、本書を閉じて、自分の専門分野の洋書を読み始めることにした。成田からフランクフルトまでのフライト時間はおよそ11時間半であるが、食事の時間と40分の昼寝以外は、貪るように複数の書籍を読んでいたことに気づかされた。
機内に「書見台」を持ち込み、それをテーブルの上に置いて書籍をひたすらに読み続けることだけを行っていると、あれよあれよと言う間に飛行機がフランクフルト空港への着陸に向けて準備を始め出した。パーティションを下げ、窓から見えるフランクフルト周辺の森になぜだか心が癒された。
フランクフルトに到着したのは、現地時間の午後四時半あたりであったが、気温は肌寒かった。ここからアムステルダムへのフライトに乗り継ぎをすることになる・・・。