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254. 新たな言語習得について


自分の内面領域に触れながら絶えず書く行為には、どうやら変容的(transformative)な効果のみならず、治癒的(therapeutic)な効果があるようである。精神を健全に保ちながら認識世界の深みへ到達していくというのは実に過酷なことであると思っていたが、絶えず書くということと並走していけば、なんとかその歩みを継続していくことができると確信している。

相変わらずオランダ語の学習が進んでいない。これは言い訳に過ぎないが、残りの期間でするべき仕事が他にあるし、何より日本で生活をしていると他の言語を学ぶ緊急性がほとんど感じられないのだ。語学全般において、やはり必要性に迫られるということ、特に生きるためにその言語を学ばざるを得ないというような環境に自らを晒す必要があると強く思う。

オランダ到着後、何か新しく趣味の世界を開拓するということもないであろうから、せめて語学の勉強に力を入れたいと思う。フローニンゲン大学は特にヨーロッパ各国からの留学生が多いという点、語学センターの充実という点において、様々なヨーロッパ言語を学ぶチャンスが広がっている。

これまで英語という世界に閉じこもっていた自分に向けて、「他の言語も習得せよ」というメッセージが降りてきた。オランダでの2年間の修練期間が終了すると、再びアメリカに戻る可能性が高いため、このヨーロッパ滞在期間は自分にとって非常に貴重な時間となる。

限られた滞在期間の中で、最大限の学びが得られるように精進したいと思う。オランダ語だけを学ぶことは実に煩わしく、学習動機も高まらないので、目下検討中なのは、オランダに隣接する国々の言語を一緒くたに学んでしまおうという計画である。

オランダに隣接しているのはドイツとベルギー(公用語:オランダ語、ドイツ語、フランス語の三カ国語)であり、オランダの近くにはフランスもある。そのため、オランダ語に加えて、ドイツ語とフランス語もこの絶好の機会になんとかある程度のレベルまで習得したいと思うのだ。

話し言葉からそれらの外国語を学び、フローニンゲン大学の留学生たちとその国の言葉で交流できたら理想である。話し言葉(生活言語)を軽視する傾向にある自分にとって、さらにはごく限られた人間としか交流できない自分にとって、少しばかり殻を破るような促しをこちらから仕掛けたいと思う。

過去10年間、目まぐるしく生活拠点を変えてきたが、私自身は旅や外出をあまり好まない。旅や外出の効用が、家の中で日々の仕事に打ち込むことの効用を上回ることはほとんど無い。だが、ここでもあえて自分のこれまでのやり方を少し壊してみる試みをしたいのだ。

具体的には、毎週末、あるいは隔週末、隣国の国々(ドイツ、ベルギー、フランス)を訪れるということである——文字に刻みながら、やはり一ヶ月に一回程度にしようかなと躊躇する。それらの隣国の国々は、これまで盲目であった私の関心を強く惹く場所が必ずあると思うのだ。

宝の山に埋もれている財宝を探り当てるように、自分なりの名所を発見したいものだ。私たちに変容をもたらすのは、つくづく他者と場所の存在だと思う。こうしたことを認知的な理解ではく、経験的、あるいは実存的な理解として持ってしまっているが故に、逆に今の自分は他者と場所を避けるようになっているのかもしれない。

自己変容に対して強い抵抗感を示し、これ以上先に進んでいくことは危険ですらあると認識していた自分に対し、さらなる変容を促す働きかけがもたらされている気がするのだ。他者と場所との出会い。どのような他者や場所と出会うことになるのだろうか。それは全くもって未知であり、自己変容が未知であるということと完全に合致する。

自己が変容していく運命にあるのならば、その運命に全てを任せたいと思った。

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