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249.「自己組織化」と「自己創出」

言葉の使用に関してもう少し厳密な態度を取る必要性を強く感じている。借り物の言葉ではなく、自分の内側を真に通過した言葉だけを使用するように心がけたい。自分の内部でろ過されていない言葉を用いることは自己欺瞞を招きやすいし、何より伝えたい人に自分の言葉が届かないという事態を引き起こしてしまいがちである。

自分の内側を通っていない言葉を使えないとなると、自分の語彙の貧困さが露呈する。今日もランニングの最中、「どうすれば言葉が自分の内側を通過し、真に自分の言葉となるのか?」ということに思いを巡らせていた。

方向性としては、自分の体験や経験にできるだけその言葉を引きつけて、それを内側から捉えることに意識を強く向けることが大切になると思った。以前の記事で、真の言葉は自己の存在を通過したものである、あるいは自己の存在そのものである、という趣旨の内容を書いていたと記憶している。

これまで毎日、書籍や論文を読む中で、大量の言葉と出会ってきたが、その出会いを大切にすることなく、ほとんどの言葉は無残にも自分の外側を素通りしていたことに気づかされた。日々出会う全ての言葉を自分に引きつけて咀嚼することは不可能に近いが、少なくともこの瞬間の自分にとって重要だと思われる言葉を大切にし、自分の内側を通過させることによってそれらと一体になりたいという思いが溢れている。

今回は、ダイナミックシステム理論を理解する上で不可欠な「自己組織化(self-organization)」と「自己創出(autopoiesis:オートポイエーシス)」という言葉を取り上げたい。これらの言葉は、広くシステム科学全般において頻繁に目にするため、ここで立ち止まってそれらの言葉の自分なりに整理をしたいと思った。

まず自己組織化(self-organization)とは、システムが自律的に秩序を保つ構造を生み出す現象のことを指す。雪の結晶の形成はまさに自己組織化の最たる例だろう。雪の結晶が生まれる過程を一つのシステムの発達過程と捉えると、雪の結晶は混沌状態の中から自ら秩序を形成することによって生まれたパターンだと言える。

自己組織化のポイントはさらに、外部からの統制を受けずに秩序が自律的にシステム内で生まれてくることにある。雪の結晶においても、外部から積極的な介入が加えられることなしに結晶パターンが形成されることを想像すると分かりやすいだろう。

この点について少しイメージが難しければ、渡り鳥の群れが隊列を作って移動する様子を思い起こしていただきたい。これはよく知られた話かもしれないが、渡り鳥の群れが隊列をなす時、そこにはパターンを形成するリーダー的な役割の存在はいないのだ。

つまり、渡り鳥たちは互いの動きを感じ取り会いながら、自律的に一つの隊列というパターンを作っているのだ。これも自己組織化の例だろう。

自然界の例のみならず、私たちの知性や能力の発達においても自己組織化現象が見られることが近年の研究によって明らかにされている。マクロな観点でいえば、ある発達段階から次の段階へ移ることは、ある意味で混沌とした状態から新たな秩序を生み出すことに他ならず、これは自己組織化と呼んでもいいだろう。

カート・フィッシャーの発達理論と関連付けると、自己組織化はマクロな発達プロセスを捉えた際に「統合化(intercoordination)」として現れる。

逆にミクロな観点で見ると、ある発達段階内で量的な拡大が行われるとき、すなわち複数の能力が単純に一つのまとまりとして組み合わさる姿も自己組織化現象だと言える。カート・フィッシャーの理論で言えば、これは「複合化(compounding)」である。

次に、自己創出(autopoiesis:オートポイエーシス)とは何かというと、あるシステムが環境との関係において自分を位置づけ、絶えず自己の状態を更新する現象を指す。別の言い方をすると、自己創出とは、絶えず自分自身を産出し続けることを指すのだ。

分かりやすい例として、私たちの自我の同一性は自己創出の産物と言えるだろう。私たちは絶えず、「自分が自分であること」という自己言及を無意識的・意識的に行い続けている。その結果として、私たちは自己という存在を不変に保つことができるのだ。

最近、「自分が自分であること」という自己言及に対して疑義を挟むような自問をすることが多くなっているが、それでも私という存在は変わらずにいつもここにいる。毎朝起床した時に、自分の自我が昨日の自我と同一性が保たれているのは、絶えず自分自身を産出し続けるという自己創出のおかげだろう。

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