拙書『なぜ部下とうまくいかないのか』で取り上げた発達段階は5までであった。ロバート・キーガン自身も書籍や論文などの公式な形では発達段階5までしか言及していない。ただし、キーガンに話を伺ったところ、やはり彼も段階5を超えた世界について十分に認識しているということがわかった。
この現代社会において、発達段階5に到達することすら困難であるため、段階5を超えた人物は数が非常に少なく、実証データの入手が困難である。そのため、発達段階5を超えた段階の特徴についてはどうしても推測的にならざるをえない部分がある。
しかしながら、発達段階5を超えたサンプルが少数ながらでも存在するのは間違いない。実際に、キーガンの弟子であるスイス人の研究者スザンヌ・クック=グロイターは、発達段階5を超えて、段階5/6、そして段階6の特徴について、実証データをもとにかなり詳しく説明している。
今年の3月に翻訳出版された『行動探求――個人・チーム・組織の変容をもたらすリーダーシップ』の著者ビル・トーバートは、スザンヌ・クック=グロイターの説明モデルを参考にして高次の発達段階について言及している。
トーバートのモデルで言う「アルケミスト段階」がまさにスザンヌ・クック=グロイターで言う「構成的認識段階」に当たる(厳密には、クックグロイターは「構成的認識段階(アルケミスト段階)」と表記しており、トーバートは彼女のモデルをそのまま採用していると言える)。
構成的認識段階に関する特徴は複数あるが、最重要なものとしては、言語で構成されたリアリティが内包する虚偽性を認識しながらも、言語は人間の社会生活の中で重要な役割を果たすということを深く理解し、実存的な問題と意味構築活動との間に潜む内的な葛藤と積極果敢に対峙する、という特徴が挙げられるだろう。
そして特に重要な点は、言語によるリアリティ構築の限界と自分の実存的な課題とが相互に関係し合っており、言語の限界性に気づいていながらも、そうした実存的な課題に対して言語を持って切り込んでいかざるをえないことを迫られているところにある。
即座に、これは非常に皮肉なことだと気づく。なぜなら、言語でリアリティを構築することが不可避に抱える限界に気づいていながらも、限界が常に付きまとった言語によって個人の実存的な課題を乗り越えようとすることを強制されているからだ。そのような特徴を持つのが構成的認識段階にいる人たちなのである。
さらに、この段階の人たちは自らの思考や認識が全て構成されたものであるという確固たる認識の下、「一即一切、一切即一」という非二元的なリアリティの真実と自分の思考や認識が乖離したものであることに気付き始めるのだ。
これもまた非常に厄介な課題だと思うのだ。というのも、この世の全ての現象が一つの存在基底を持っており、一つの存在基底から全ての現象が発露すると認識し始めていながらも、その真実と己の思考や認識が構成された虚偽的なものであるという真実との狭間で揺れ動くからである。
すなわち、これらの二つの絶対的な真実を包摂して新たな認識世界を切り開いていくところに、この段階の発達的な苦しみがあるのだ。この段階に到達しているであろう過去の人物に目を向けると、彼らは共通して内側の実存的な課題に対して、限界を不可避に抱えた言語を用いて首の皮一枚つながった状態で何とか乗り越えていこうとする。
その姿には目も当てられぬ痛々しさがあるのと同時に、敬意を表するような勇猛果敢さもあるのだ。