——孤独、絶望、死。これらは決して悲壮がった脅し文句ではないのだ。人間の魂のカリテ(質)なのだ。どうしてもそこへ行かなければ、先へ向かって開けないものがあるのだ——森有正
一羽のハトが公園内の道をひょこひょこと横切っていた。ハトの足取りのリズムと同調させるように、私はそのハトの横を走っていく。そのハトは自分が一羽の固有のハトであるという認識はあるのだろうか。
ロバート・キーガンの言う発達段階4(自己主導段階)というのは、自分独自の価値体系を構築し、ある意味自己の固有性に気づく段階だと言える。言い換えると、自分という存在はもはや替えのきかないものであり、この世界にたった一つの「個」として存在することを強く自覚する段階だと言える。
世間一般では「個の確立」が推奨されているが、その動きに対しては慎重であるべきだと思う。なぜなら、強固な個の確立というのは、孤独を引き受けることなしには成し遂げられないものであるからだ。
自分がこの世界に替えのきかない存在であるということを真に理解し、一つの自我を確固たるものとして確立した時、そこにあるのは、孤独以外の何ものでもないのではないだろうか。このリアリティにおいて、たった一つの個として存在すること、それはまさに「個」が「独り」であることを意味するのだ。
「個に目覚める」というのは、孤独を自覚し、孤独を通じて生きて行くことに目覚めることだと思うのだ。発達段階4の自己を確立したと思った時、あるいはそこを通過したと思った時、そこに孤独がなかったのであれば、それは偽りの個の確立であると言えるだろう。
段階4を超えてからの発達においても、孤独という感情は消え去ることはないのだと思う。逆に、唯一の個であるという自覚と孤独感があるからこそ、段階4を超えた人たちは他者と交わろうとするのだと思う。
さらに、こうした意味での真の孤独感というのは癒されるものでは決してないし、それを内に抱え込んだまま先へ向かっていく必要があると思うのだ。確かに、孤独感を癒したいという気持ちは誰にでもあるだろう。
しかし、真の孤独感は決して癒してはならぬ感情だと思うのだ。なぜなら、それは人間が本質的に持つ感情だと思うからだ。いや、孤独こそ人間そのものの本質と言っていいかもしれない。
癒されぬものだからこそ、拭い去ることのできないものだからそ、本質的かつ根源的なのだ。私が私に還るためには、絶対にこうした孤独が必要だと思うのだ。
孤独感を突き詰めた先に、超越的な何かが開けてくる気がする。安易にそこへ足を踏み出していくのは危険かもしれないが、孤独の極致には何かあるらしい。だが、それがどういったものなのかは、今の自分には分からない。
こうした意味において、個を確立することや自分探しの旅に迂闊に着手してはならないと思うのだ。
——孤独なしには、何一つ成し遂げることはできない。私は、かつて私のために孤独を作った——ピカソ