——世界を識ることは己を知る途でもある——大月康弘
変わることのない景色が、ある日突如として別の姿を露わにする瞬間に立ち会ったことはないだろうか?4年間通った母校を久しぶりに訪れた時、あの時と変わらない佇まいの兼松講堂や時計台は、もはや当時とは質的に異なる何かを発しているように感じられた。
変わらないはずの建築物が違った様相を私に与えているということに気づいた時、卒業後のこの7年間という期間の中で、確かに自分の内側で変容が起こっていたのだと了解した。「人は内面の成熟に応じて、世界から異なった意味を汲み取り、世界に対して異なった意味を付与する」というのは、構造的発達心理学の根幹にある考え方であるが、まさにそれを実感するような経験であった。
この場所には私の記憶が紐付いている。この場所には自己の履歴が刻印されている。そんなことを思った。
10年前のある夏の日、本学の先輩でもある父と共にキャンパスを散歩したことを今でも鮮明に覚えている。父は当時の母校の様子を、私は現在の母校の様子を語り、親子で汗だくになりながらも清々しい思いと共に母校を歩いたあの夏の日を、私は決して忘れることはないだろう。
場所というのは、私たち人間と切っても切れない関係にあるのだ。場所は人間存在と密接不可分であり、人間存在の履歴でもある、そんなことを思った。
渡欧することが正式に決まった時、私の中で「ヨーロッパ」なる掴みどころのないものが眼前に立ち現われた。正直なところ、私にとってヨーロッパという存在は、私の探究領域である「人間の意識」以上に得体の知れないものであった。
「ヨーロッパ」という言葉に思いを巡らせた時、ビザンツ帝国を中心とした前近代ヨーロッパ経済社会構造分析をご専門とされている大月康弘先生のお名前が瞬間的に脳裏に浮かんだ。商学部在学中の当時、私は経済学部の授業も多く履修しており、大月先生の「経済史」の授業を履修させていただいていた。
その時の思い出もあり、大月先生のお名前が浮かんだ瞬間に、自分なりに「ヨーロッパ」という途方もない存在と向き合うため・咀嚼するために先生の研究に活路を求めたのだ。その時に偶然見つけたのが、まさに私のオランダ行きが確定したのと同時期に出版された先生のご著書『ヨーロッパ 時空の交差点』であった。
ご著書を拝読させていただいた後、私は先生とお会いしたいと思い、先生に連絡を差し上げようとしていた。しかしながら、先生のゼミ生でもなく、単に先生の授業を履修していた一生徒が突然連絡をするのはいかがなものかと躊躇し、結局連絡することを諦めていた。
そうした状況の中、オランダのフローニンゲン大学から母校の卒業証明書と成績証明書の原本を郵送するように連絡があった。メールで母校に依頼することもできたが、一時間弱の散歩を兼ねて母校に直接足を運ぶことにした。
そこで偶然が起こった。母校の西キャンパスの門をくぐった左手にある掲示板にふと視線を向けると、「一橋大学附属図書館ブックトーク2016:ヨーロッパ 時空の交差点——場所に学ぶ、書物に学ぶ、その作法——」というチラシが目に飛び込んできたのだ。
私は言葉を失いながらも、心の中で「なんという偶然だろうか・・・」という言葉を発していた。この機会を逃してはならないという強い思いから、間髪入れずにこのイベントの参加申し込みをした。
イベント当日の小雨の降る天候とは裏腹に、私の心は晴天であった。「8年振りに大月先生のレクチャーを拝聴することができる」というその事実だけで心はすでに満たされていたと言える。
当日のレクチャーの中で、先生が「時間の三層構造」に言及された時、私は自分の研究領域と重ね合わせながら「発達の三層構造」に思いを馳せていた。
また、先生が「ギリシャにあるアギア・トリアダ修道院では、ロゴス(論理)を極めようとした人間たちが、ロゴスでは到達できない神の世界に参入するために観想的な生活を送っていた」というお話をされた時、合理的な知性を発揮することが要求されていた国際税務コンサルティングという最初のキャリアから、禅的修行とヨガの道を包摂した意識の形而上学の探究にキャリアを転換させた自分とが重なった。
そして、レクチャーのPPTの最後のスライドが現れた時、私は嬉しさと驚きの感情に包まれていた。先生はご著書の中で私が敬愛する辻邦生先生に言及しておられ、イベントの参加申し込みの際の「講師への質問」の欄に、大月先生にとって辻邦生先生の存在とはどういったものなのかについて質問させていただいていた。
その最後のスライドには、辻邦生先生(1925-1999)と奥様の辻佐保子先生(1930-2011)のお二人が笑顔を浮かべている写真が掲載されていたのだ。大月先生は、西洋美術史、特にビザンティン美術をご専門とされておられた辻佐保子先生と親交があったそうだ。
米国での4年間の生活を終え、この1年半という時間を日本で過ごした意味は、自分にとって途轍もなく大きなものであったということが、渡欧直前の今となってまざまざと感じる。
森有正先生からは「一つ一つの概念を経験と存在をかけて探究し、思索を深めていくこと」の意味を、辻邦生先生からは「愚直なまでに書くという営みを通じて、内側と外側の現象を掴んでいくこと」の意味を、大月先生からは「歴史のうねりと構造を捉え、歴史の源流を辿るような射程の広い探究をし、その成果を現在と架橋させていくこと」の意味を学ばせていただいたのだと思う。
豊富な史実と旅の経験が織り成す先生の文章を再び味読しながら、そのようなことに思いが至ったのだ。