前回、一年目のプログラムの概略について紹介したので、今回は前回積み残しになっていた6つの履修科目のうち2つを取り上げて、その内容について簡単に紹介したい。
1. タレントディベロップメントと創造性
この授業を受け持つのは、プログラム責任者であるルート・ハータイである。ハータイの研究テーマは、スポーツ選手が発揮するパフォーマンスの動的な変動・変化をダイナミックシステム理論のアプローチで探究することにある。
私は、彼が博士論文で取り上げていた「1/f揺らぎ(別名 “ピンクノイズ"とも呼ばれており、人間の脳波や心拍数の波に見られる現象であり、人間の知性発達プロセスにも固有の揺らぎが見られるのではと推測しており、それを調査したい)」と「複雑性ネットワーク(人間の知性や能力は、下位に存在する無数の構成要素がネットワークを構築することによって発動される。
それが発達する際には、ネットワークの相互作用が鍵を握ると考えているため、複雑性ネットワーク分析の手法に精通することは自分の研究テーマに不可欠なことだと思っている)」に関する分析手法に関心があり、このクラスの中で、あるいはクラス外でそれらの分析手法について彼から教えを受けたいと思っている。
このクラスの概要を翻訳すると、「ビジネス界、スポーツ界、教育界、芸術界において、才能の発掘とその成長支援は不可欠なものとなっている。そうした背景をもとに、知性や能力の発達支援に関する研究がより注目を集めている。このクラスでは、タレントディベロップメントと創造性に関する様々な理論を紹介し、測定手法や発達支援の手法についてディスカッションをしていく」という内容である。
この概要を受けて、このクラスに関する自分なりの達成目標を列記すると以下の項目となる。
・タレントディベロップメントと創造性に関する多様な概念と先行研究の理解を深めること
・知性・能力・創造性の発達支援に関する原理とその手法について理解を深めること
・知性・能力・創造性の発達要因について理解を深めること
・知性・能力・創造性の測定手法について理解を深めること
・深められた理解をもとに、企業組織と教育界という二つの実務領域で具体的な実践(プロジェクトなど)を行うこと
2. 複雑性と人間発達
私が最も楽しみにしているクラスはこれである。フローニンゲン大学を選んだのは、このクラスが存在しているからだ、と言っても過言ではない。
このクラスを担当するのは、知性や能力の発達研究に非線形科学を応用している先駆的な研究者ラルフ・コックスとダイナミックシステム理論と新ピアジェ派理論に関してヨーロッパを代表する研究者であるサスキヤ・クネン(私の修士論文のアドバイザー)という二人の教授だ。
このクラスでは、近年における発達研究で着目されている研究手法「ダイナミックシステムアプローチ」に関する理論と方法について学びを深めることが目標となる。研究のみならず、ダイナミックシステムアプローチを臨床や実務の現場でどのように活用できるのか、という実践的な内容も扱うクラスである。
授業が始まり、私自身が学びを深める過程の中で詳細について説明していきたいが、簡単にどんな手法を学ぶのかについて紹介したい。
・ダイナミックシステムモデルの構築(dynamic systems model building):複雑な発達現象に潜むメカニズムやプロセスを解明するために、数式モデルを組み立てる必要がある。数式モデルを組み立てる前に、現象から発達要因を抽出し、ひとまず理論モデルを構築する必要がある。複雑な発達現象に迫るために、理論モデルと数式モデルを構築することを「ダイナミックシステムモデルの構築」と呼ぶ。
・エージェント・ベース・モデル(agent based model):コンピュータモデルの一つであり、知性や能力の構成要素の振る舞いとそれらの相互作用がシステム全体にどのような影響を与えるのかを分析するためのシミレーション手法のことを指す。
知性や能力の構成要素を、それぞれ自律的な振る舞いをする存在(エージェント)とみなし、それらの相互作用の状況をコンピュータ上でシミレーションすることによって、複雑な発達現象を再現し、発達プロセスの予測を行うことなどに活用できる。
・リサンプリング(resampling):ダイナミックシステムアプローチにおいて、様々なシミレーションを行うことが要求されるため、母集団から標本をランダムに繰り返し抽出する必要がある。そうした繰り返しの抽出の際に行われるのがリサンプリング(再標本化)である。
・再発現象分析(recurrence analysis——日本語の正確な訳は不明):非線形的な現象を調査する時に用いられる手法であり、特に人間の知性や能力といったダイナミックなシステムは、似たような状態を繰り返し辿りながら発達していく。そうした再発現象の回数や滞留時間などを特定するための分析手法である。
・フラクタルの尺度化(fractal scaling):知性や能力はフラクタル構造(部分と全体が自己相似になっている構造)を持っている。大変興味深いことに、自然界における様々な現象は固有のフラクタル次元を持つ。例えば、星のフラクタル次元は約1.2、樹木は1.3〜1.8、雲は約1.35である。自然現象のみならず、人間の知性や能力の発達プロセスにも固有のフラクタル次元があるのではないかと仮説を立てている。
このクラスでは上記の分析手法を中心に学習し、少なくとも二つの分析手法を用いてあるテーマについて研究するか、実務の現場でどのようにそれらの手法が活用できるのかをアクションプランの形として期末のレポートにまとめ上げる必要がある。
エクセルを駆使してランダムウォークモデルやロジスティック成長モデルを構築することや、NetLogoと呼ばれるシミレーション用のプログラムを駆使して単純なエージェント・ベース・モデルを構築すること、上記の分析手法の理論的な前提を検証すること、MATLABと呼ばれる数値解析ソフトウェアを用いて再発現象分析やフラクタルの尺度化を行うこと、などがその他の課題となる。
一つ一つの分析手法は、研究者としての今後の自分にとって極めて重要であるため、機会を見つけて丁寧にそれぞれを紹介したいと思う。ダイナミックシステム理論が持つ様々なアプローチは、一見すると難しそうに思えるが、各アプローチの本質となる概念を押さえることさえできれば、実務家の方たちもそれぞれの実務領域でダイナミックシステム理論の考え方を応用することが可能だと思っている。
例えば、組織開発の際に、多様な構成員(エージェント)の振る舞いと相互作用に関して何かしらの説明論理を持つことができれば、問題発見や課題解決に有用であると考えている。また、コーチやセラピストといった対人関係の専門家にとって、クライアント一人一人の発達プロセスとその状態を理解しておくことは必須であると考えており、ダイナミックシステム理論はそうした専門職の方にとっても有益であると思う。
個人と組織の複雑な成長・発達プロセスとそのメカニズムに関する実証的な研究成果と実務の世界におけるダイナミックシステム理論の応用方法などについて、今後ぜひとも取り上げていきたい。