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177. 欲求の多様化と自己実現なるものについて


英国経験主義哲学の代表的人物であるデイヴィッド・ヒュームの思想に目を向けてみると、人間の意識の発達に関して示唆に富む言及が散見される。

ヒュームの経済発展思想によると、商業活動というのは中世以前から活発であったように見えるが、そこでは単に各地域の農業的特産物が交換されていたに過ぎず、多様な商品が交換されるようになったのは、製造業の台頭以降であるという。

農業的な特産物を交換するというのは、ある種、「食べる」という生存上の欲求と密接に関わったものであり、それ以上の欲求が関与することはそれほどない。

しかし、製造業、とりわけ精巧な技術を伴った手工業が発展することによって、種々の嗜好品が生み出され、農業的な特産物が交換されていた時代とは異なった欲求が人間の中に芽生え始め、欲求が多様化していった、とヒュームは考えている。

ヒュームは、製造業の台頭により、人間の欲求が多様化したことを持ってして文明の進歩と捉えたが、果たしてそうだろうか?欲求の多様化と文明の進歩を単線的に結んでしまっていいのだろうか。

現代社会は、中世時代とは比べ物にならないほどの多様な商品で溢れかえっており、人間の欲求はますます多様化する方向に向かっている。そうした観点からすると、ヒュームは、現代社会は中世と比べて文明の進歩を遂げたとみなすかもしれない。

しかし、文明の進歩とは、本来、集合の内面領域(文化や精神風土)と集合の外面領域(制度や仕組み)の質的向上のことを指し、また、それと足並みを揃えて、個人の内面領域と外面領域が質的に向上することを指すのではないだろうか。

確かに、農作物だけを交換していた時代から、工業製品を生み出し、それを交換する時代に変遷していった背景には、技術的・制度的な洗練化が不可欠のものとして存在していた。その点においては、集合の外面領域の質的向上がなされたと言えるだろう。

しかしながら、それは他の領域、とりわけ個人の内面領域の質的向上と連動したものだったかというと、そうではないと思うのだ。特に、ここで注目したいのは、欲求の「多様化」という言葉である。

ヒュームは、市場経済の発展に伴って人間の欲求が様々な種類を持つようになる、という意識の量的な成長を捉えてはいたが、欲求が「深まっていく」という意識の質的な成長について考察することはあまりなかったのではないかと思わされる(ヒュームが残した最重要著書 “A Treatise of Human Nature (1738)”を断片的にしか読んでいないので、その辺りの記述もあるのかもしれないが)。

もし、ヒュームは、経済の発展によって人間の欲求が多様化したとしても、必ずしも欲求の深層化に繋がらないと考えていたのであれば、正鵠を射ている気がする。

現代社会においても欲求の多様化は進む一方であり、「自己実現欲求」というのは好例だろう。本来、アブラハム・マズローが提唱した自己実現欲求というのは、人間欲求の中でも深層的かつ高次元のものであった。

しかし、現代人が用いる「自己実現」という言葉の真意を確認すると、それはマズローが真に伝えようとしていた意味とは大きくかけ離れたものであることがわかる。現代において用いられる「自己実現」という言葉が指すものは、基本的には経済的な収入を拡大させ、欲しいものを手に入れ、何ものにも囚われることなく気楽に生きる、という状態のことを言うのだろう。

しかしながら、マズローが述べている自己実現欲求とは、そうした経済的・物質的な単なる拡張を希求する衝動ではなかったはずであるし、何かからの解放を求めるような精神性ではなかったはずである。

「自己を実現する」とは、自らの実存的な問題と対峙し、自己の限界性に打ちのめされながらも、それでも深層から芽生えてくる自己の本質に気付くこと、あるいは、自己の本質の芽を何としてでも発露させるという不屈の試みなのではないか。

百歩譲って、自己の本質に基づいた行為や活動が社会的に価値あるものとして認識され、それに対して経済的な対価が付与されたとしても、何かからの解放が得られるとは到底思えないのである。全く逆に、自己の存在という解放されえぬものに気付くことが、真の意味での自己実現なのではないかと思う。

自己の存在が自らを絶望的なまでに呪縛していることに気づけた時、そこに私たちは別種の解放を見出すことになるのだろう。

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