
今回は、「山口さんは室積さんのコーチングで成長していきますが、室積さんのどんな問いかけが、どのように山口さんに作用して、山口さんを成長させているのでしょうか?それが、見えるようで見えません。山口さんは、ただ発達理論を教えてもらっているだけのようにも見えます。発達理論を学んだからといって、おのずと成長するわけではないと思います」という質問を取り上げさせていただきます。
本書の大きな狙いは、成人発達理論の枠組みを掴んでいただくこと、特に、ロバート・キーガンの意識発達モデルを理解していただくことにありました。そのため、本編の中でのやり取りは、どうしても発達理論を解説することに比重が置かれています。
その結果として、室積さんのどのような問いかけが、山口さんにどういう風に作用していたのかが見えにくくなってしまっていたのだと思います。
ご指摘の通り、意識の構造的な発達は、単なる知識の授受で成し遂げられるものでは決してありません。それゆえに、発達理論を学んだことによって、直ちに成長すると考えてしまうのは早計であり、発達理論はある意味、成長発達の見取り図(本編の言葉で言えば「羅針盤」)に過ぎないのです。
つまり、発達理論は、「さらなる成長にとっての必要条件であり、十分条件ではない」という性質を内包しています。発達理論の枠組みがない場合、成長プロセスにおける現在地と目標地点を特定することが困難になってしまいます。
その結果、自分はどこに向かって歩みを進めていったらいいのか分からなくなり、現在地という安息地帯に安らぎ、さらなる成長が生まれることはないでしょう。そうしたことを考えると、発達理論は、人間の成長という実に複雑怪奇な迷宮を突き進むための道しるべとしての役割を果たしてくれると思います。
しかし、注意が必要なのは、こうした道しるべを獲得していることが、さらなる成長を確約するわけではないということです。教育哲学者のジョン・デューイが指摘しているように、やはり私達は経験から学ぶ生き物なのです。
さらなる成長を実現するためには、発達理論という見取り図を持って、この世界を実際に歩むという実践がどうしても必要になります。実践の形は多種多様ですが、本編の中で注目していただきたいのは、室積さんの協力を得ながら、山口さんが各セッションごとに「アクションプラン」を立て、それを実践していたことです。
紙面の都合上、山口さんが具体的にアクションプランを実践している姿を描写することはできませんでしたが、山口さんは単に発達理論を概念的に学んでいたのではなく、実践を通して学び、それが成長に繋がっていたのです。
さらに、とかく実践活動は、単なる「体験」にとどまってしまいがちなのですが、室積さんは各セッションの最初に、山口さんがアクションを通じてどのような学びを得られたかを問うています。アクションを通じて、どのような気づきや学びが得られたかを確認することは、まさに、体験を「経験」に昇華させるために不可欠な営みです。
こうした振り返りがなければ、体験は体験として消費されてしまい、それは成長に何ら寄与することはないでしょう。成長に必要なのは、一過性の体験ではなく、体験が咀嚼された経験なのです。
室積さんのどんな問いかけがどのように山口さんに作用しているのかを説明すると、説明が極めて長くなってしまうため、要諦を一言で述べると、室積さんと山口さんは「会話」を行っているのではなく、「対話」を行っているという性質上、そこで交わされるすべての問いかけと応答が、「お互いの」成長に寄与していたと考えています。