私が師事をしていたオットー・ラスキーは、ハーバード大学教育大学院時代にロバート・キーガンとマイケル・バサチーズに師事をしていました。私がラスキーの下で学習を進めていて気付いたのは、ラスキーはキーガンとバサチーズの両方の理論体系を統合させるような試みに長らく従事していたということでした。
今回の記事は、キーガンとバサチーズの対象領域の違いを中心に、ラスキーが試みた理論的な統合作業を概観していきたいと思います。
ロバート・キーガンは、ハーバード大学大学院時代に、モラル発達研究の大家ローレンス・コールバーグとアイデンティティ発達研究の大家エリク・エリクソンに師事をしていました。1982年にキーガンは、コールバーグとエリク・エリクソンの考えをさらに一歩先に進めるべく、独特なインタビュー手法を通じて実証的に人間の発達段階を明らかにする理論を考え出しました。
このインタビュー手法は「主体・客体インタビュー」と呼ばれており、意識の発達段階を明らかにするために現在でも活用されています。このインタビュー・メソッドは、その後バサチーズに受け継がれていきました。
ここで注意が必要なのは、キーガンは「人間が経験をどのように認識し、その経験に対してどんな意味づけを行っているか」に焦点を当てたのに対して、バサチーズは「思考そのもの」に焦点を当てていたことです。つまり、多様な知性領域の中で、キーガンは自我の発達領域(あるいは自己認識の発達領域)を扱い、バサチーズは認知の発達領域を扱っていました。
対象領域の違いから、キーガンとバサチーズは異なるインタビュー手法を活用するようになったのです。確かに、キーガンもバサチーズも人間の「認知」を研究していたのですが、認知に対する考え方が両者において異なっていたのです。
ラスキーが着目したのは、まさに両者の違いであり、ラスキーは古典的な哲学思想の観点を持ってして両者を統合させようと試みたのです。ラスキーは、1956年から66年にかけてフランクフルト学派に属して哲学への理解を深め、その後多くの時間を臨床心理学と発達心理学の学習に費やしてきました。
そして1997年にラスキーは、キーガンとバサチーズの研究内容には大きな違いがあるということに気付き、「AであるものとAではないものを結びつける」のと同様に、両者の研究内容を弁証法的に統合させる決意に至ったと述べていました。
具体的にラスキーが発見した点は、キーガンの研究においては「認知」と呼ばれるものが単なる社会的・感情的発達における意味構築活動に組み込まれていたということです。そして不幸にもバサチーズが言う「認知」は、単に思考形態を扱う狭義の認知領域に限定されていたのです。
それらの限界を克服するために、ラスキーが生み出したのが「構成構造主義的発達理論のフレームワーク」だったのです。
【追記:ラスキーが達成したことは果たして統合なのか?】
私は今でもラスキーと定期的に連絡を取り合う関係を継続させていただいており、彼の人柄と学術的な功績に対して敬意を表しています。ただし、1点ほど疑問があるのは、ラスキーはキーガンとバサチーズの理論体系を本当に統合したのかどうかということです。
ラスキー自身は弁証法思考という高次元の思考形態について長らく探求をしており、彼自身もそうした思考形態の体得者だと思われますが、キーガンとバサチーズの両理論体系を統合したとは私の目からはどうにも思えないのです。
「統合」という言葉の最も簡潔な意味は、二つ以上のものを合併して一つにまとめあげることです。この意味からすると、ラスキーは確かにキーガンとバサチーズの理論の差異に気づき、両者を合併して「構成構造主義的発達理論のフレームワーク」という一つの理論体系にまとめあげたと言えるでしょう。
しかし、「統合」の真の意味は、二つ以上のものを合併して、新たなものを創出することだと個人的に思うのです。新たなものを創出する点において、ラスキーの統合化は弱いのではないかと思っています。つまり、ラスキーは二つの理論的枠組みを合併させることには成功したが、新たなメタ理論を構築することには至っていないのではないかと思うのです。
ラスキーが提唱した構成構造主義的発達理論のフレームワークの内容を精査すると、それがメタ理論であるというよりもむしろ、キーガンとバサチーズのシステムの単なる複合体理論であるという性質が強いことに気づきます。
学術の世界において、「統合」という麗しき言葉をよく耳にしますが、そこで実現されていることが果たして真の意味で統合なのか精査する必要があるでしょう。
上記の疑問に関して、もう一度ラスキーの著作集を当たり、彼が何を新たに創出したのか吟味し直したいと思います。