人類史を眺めてみると、いつの時代にも合理主義的な知性段階から相対主義的な知性段階に発達する人間が出現しています。特に、現代ではホリスティック思考などの相対主義的な思考法が注目を集めており、その勢力はますます拡大していると言えるでしょう。
そうした状況の中、相対主義的な発想を超克していくために、より高次の思考形態について見直す必要性が高まっています。興味深いことに、高次の思考形態についての再考察は、これまでの人類史の中で度々行われてきたことでもありました。
相対主義的な思考や発想法がこれほどまでに勢力を拡張させた時代は現代のみだと思いますが、今世紀初頭において相対主義的な思考を超えた高度な思考形態である弁証法思考を見直す歴史的な動きが見られました。
私が師事していたオットー・ラスキーから聞いた話によると、それは1930年代のヨーロッパにおいて経済情勢の悪化や戦争に対する危機の影響を受けて起こったものであり、中心となったのはドイツのフランクフルト学派です。
当時において貨幣の価値はその日の朝から晩に掛けて目まぐるしく変化し、また政府の予算もまるでカジノゲームを行っているかのように予想のつかないものでした。経済情勢の悪化や戦争の危機といった非常に複雑な問題に直面し、一部の人たちはそれらの問題を形式論理思考を持ってしては乗り越えられないと直感的に気づき、問題の解決へ向けたより高度な思考形態を求めるようになったのです。
現代社会においても、当時の時代以上に複雑・難解な問題が山積みになっていますが、意思決定を担う階層において単なる合理主義的な思考や相対主義的な思考が幅を利かせているため、当時よりも高度な思考形態を希求する危機意識が希薄である気がしてなりません。
さらに、本来であればより高度な思考形態を探求するウィルバーの統合心理学ですら、停滞状態に陥っているというのが現状です。私自身も含めて知性発達理論の専門家が現代の相対主義的な風潮や統合心理学の停滞状態を巧く打開できない理由として、知性発達理論の専門家自身が相対主義的な発想の罠に絡め取られており、その限界を指摘するような強烈なメッセージを発信できていないことが考えられるでしょう。
【追記:弁証法思考・相反する感情・内なる矛盾】
今、何かに取り憑かれたかのように、自宅にある全ての書籍と学術論文を読み返しています。文字通り、全ての書籍と論文を順番に手に取り、その一瞬に目に止まる箇所を中心に再読をしています。
再読をしていて発見したのは、当たり前なのですが、以前には目に止まらなかった重要なメッセージに気づいたり、既存の知識と結びついて新たなアイデアが生まれたりすることが常に起こるということです。
私の師匠であったオットー・ラスキーが論文の中で記述している弁証法思考と精神分析の大家ロロ・メイの書籍で書かれていた「私たちはある感情を生み出す時、必ずそれとは逆の感情を内側に保持している」という言葉と哲学者キルケゴールが述べている「矛盾(パラドクス)というのは思索者の探求的情熱の源泉である。内側に矛盾をはらんでいない思索者は、感情を持たない愛人のようなものだ」という言葉は、つまるところ全て同じことを指摘していると思うのです。