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133.ダイナミック・スキル理論誕生史:パラダイムの波に晒されて


歴史を遡ると、人間の意識の発達理論は、100年以上も前に発達心理学の始祖と呼ばれるジェームズ・マーク・ボールドウィン(James Mark Baldwin 1861–1934)によって提唱されています。それほどの長い歴史があるにもかかわらず、これまでどうして発達研究は心の動的な特性を蔑ろにしてしまったのでしょうか?

確かに、注意深く文献調査をしてみると、1980年代には新ピアジェ派の代表格であるカート・フィッシャーやロバート・シーグラー(Robert Siegler)が、発達の変動性に着目し、研究を進めていました。しかし、それらの研究成果は、発達研究のコミュニティを支配する当時のパラダイムの陰に隠れてしまい、これまでほとんど注目されることはありませんでした。

当時の発達理論のパラダイムは、発達現象を静的なものと捉えており、結果として、発達現象が持つ変動性に注目する研究を虐げてしまい、そうした現実を隠蔽してしまったのです。発達の変動性が隠蔽されてきたという事実は、何も新ピアジェ派が登場した時代だけではなく、実際はそれ以上も前から顕在化していました。

現代の発達心理学の礎を築いたジャン・ピアジェ(Jean Piaget 1896-1980)が最終的に作り上げた理論は静的な構造モデルでしたが、実際のところ、ピアジェは発達が持つ変動性を正確に認識していたと言われています。

つまり、ピアジェは、与えられるタスクが変われば、パフォーマンス・レベルが変動するという現象を認識していたのです。しかしながら、ピアジェはそうした認識を持ちながらも、それを説明する理論モデルを構築することはありませんでした。

ピアジェを含め、どうして多くの発達理論家は、静的な構造モデルを提唱することに留まってしまったのでしょうか? その大きな理由は、欧米心理学の根底に流れるデカルト的な認識論にあります。デカルトが西欧哲学・心理学にもたらした功績は計り知れないものですが、それと同時に、固有の制約・限界を生み出してしまったのも紛れもない事実です。

特に、デカルト的な認識論は、人間の心という動的なシステムを生物学的・文化的な他のシステムと切り離してしまいました。すなわち、デカルト的なアプローチは、心を環境・文化・身体との間にある相互作用から切り離してしまい、それらの相互作用を無視する形となりました。

実際には、そうした相互作用は心の複雑性や動的な特性を生み出す重要な要素です。こうした要素を蔑ろにした結果、デカルト的認識論は、心を静的・固定的なものとして捉える思想を醸成することになってしまったのです。

【追記:「何者でもないものになるためには、まずは何者かにならねばならない」】

ロバート・キーガンの理論で言う、発達段階4から5への道は、「個」というものを確立する個性化の段階からそれを脱構築する段階へ移行するプロセスを表しています。

この成長プロセスはまさに「If you want to be nobody, you have to be somebody first. (何者でもないものになるためには、まずは何者かにならねばならない)」というジョン・イングラーの言葉が見事にそれを表現していると思います。

実際には、確固たる個を確立する段階4へ至るプロセスは薔薇の道であり、「何者かになる」ためにはそれ相応の覚悟が要求されます。ある程度、成人期以降の知性発達理論に習熟してくると、現代社会で声高に叫ばれている「個性」や「個の確立」という言葉は、美辞麗句か単なるお題目でしかないことに気づくでしょう。

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