ハーバード大学教育大学院のカート・フィッシャーが提唱したダイナミック・スキル理論でいう「ダイナミック・スキル」とは一体何を意味するのでしょうか。「スキル」という言葉を聞くと、私たちは何か特定の「技術」のようなものをイメージしてしまうかもしれません。
しかし、ダイナミック・スキル理論で言われる「スキル」とは、私たちの思考や行動が組織化されたものです。つまり、「ダイナミック・スキル」とは、置かれている状況や感情状態などによって動的に組織化された思考・行動と捉えることができます。
さらに噛み砕いて説明すると、ダイナミック・スキルとは人間が環境に適応していく生きていく力そのものだと言えます。刻一刻と変動する環境に対して、私たちが発揮する認知やアクションを包括して「ダイナミック・スキル」と呼びます。
ダイナミック・スキルを定義づける上で、最も大切なことは、スキルは特定の文脈において発揮されるということです(文脈依存性)。言い換えると、スキルとは特定の文脈の中で発揮される、具体的な活動を生み出す思考や行動と言うことができます。
私たちは、どんな状況にも適用可能な一般的なスキルを持って生きているわけではありません。そうではなく、私たちは特定の文脈に基づいたスキルを発揮しながら生きているのです。
例えば、ビジネス社会という文脈で要求されるスキル、スポーツという文脈において要求されるスキル、子育てという文脈において要求されるスキルなど、特定の文脈の中で発揮されるスキルというのは常に具体的な文脈の中で突きつけられる課題や問題に対応したものなのです。
また、私たちのスキルは、あらかじめ定められた法則によって発達するわけではありません。私たちのスキルは具体的な文脈の中で実際の活動にとりくむ中で発揮される、本質的に文脈に依存したものなのです。この点を考慮すると、スキルは具体的な文脈を前提とした実践活動を通してのみ発達するものであるということがわかります。
また、こうして具体的な文脈の中で開発されたスキルは徐々に異なる文脈にも応用されていき、より多様な文脈で発揮される適用範囲の広いものとして確立されていきます。これらの特徴を考慮し、カート・フィッシャーは、動的に変化する文脈に基づいて発揮されるスキルを「ダイナミック・スキル」と命名するに至ったのです。
【追記:ビジネス社会で蔓延する浅薄な脳力開発】
ビジネス社会では、「プレゼンテーションスキル」、「ロジカルシンキング」、「問題解決脳力」という知的脳力を鍛錬する重要性が声高に叫ばれています。事実、書店に行けば、それらの脳力を開発する必要性や鍛錬方法について説明された書籍で溢れていることに気づくでしょう。
これらの脳力もフィッシャーで言うところの広義のスキルに該当します。しかしながら、それらの脳力を真に発動させる深層脳力の存在にまで言及した書籍やトレーニング手法はほとんど存在しません。
フィッシャーが主張するスキルというのは本来、「プレゼンテーションスキル」、「ロジカルシンキング」、「問題解決脳力」といった表面的なスキルも含みながら、それら一つ一つの知的脳力を発動させる深層的な装置のことを意味しています。
イメージとしては、プレゼンテーションスキルというアプリケーションを動かす固有のオペレーティングシステム(OS)が存在し、ロジカルシンキングというアプリケーションを動かす独自のOSが私たちの意識空間・知性空間に存在しているのです。
認知的発達心理学の知見に基づくと、一つ一つのアプリケーション的なスキルを作動させるOSの質的差異ーそのスキルの深さや習熟度ーを測定することが可能であり、さらに個別のOSごとに脳力を鍛錬するようなトレーニングプログラムの構築も可能になります。
日本のビジネス社会においても、そろそろ表面的な脳力を議論することから脱却し、深層的な脳力の存在を認知する必要があるのではないでしょうか。今後も表面的なスキルを動かす深層脳力の存在を蔑ろにした人材開発や人材教育を提供し続けていると、いつまでたっても深みのある脳力を開発することはできないでしょう。