前回の記事は、文脈や環境が私たちの認知に与える影響について紹介しました。さらに、他者からの支援が私たちの認知構造にもたらす影響についても紹介しました。今回の記事は、以前紹介したカート・フィッシャーの「最適レベル」と「機能レベル」の概念を用いながら、他者による支援が成人以降の教育やトレーニングにおいて、どういった重要性を持つのか説明します。
おさらいとして、カート・フィッシャーが提唱した「最適レベル」とは、自分よりも知識や経験が豊富な他者からの支援に基づいて発揮することができる最も高度なスキルレベルのことを指します。
一方、「機能レベル」とは、他者の支援に頼ることなく発揮することができるスキルレベルのことを指します。基本的に最適レベルは、機能レベルよりも高度なスキルであり、最適レベルが機能レベルを下回ることはないということを付け加えておきます。
カート・フィッシャーが発見した興味深い事項の一つとして、「成人は子供に比べて、最適レベルと機能レベルの差が大きい」という実証結果があります。これがどういうことを意味するかというと、成人は文脈に応じてより変動的なスキルレベルを発揮しながら生きているということです。
もし成人に、例えば実践の機会や他者と協働する機会などの支援が十分に与えられていれば、彼らは最も複雑高度なスキルレベルを発揮する可能性が高いと言えます。逆に、そうした他者からの支援や環境的な支援が十分に与えられていない場合、成人は自分が持つ最高レベルのスキルを発揮できなくなってしまうでしょう。
私自身の経験を振り返ってみると、例えば発達理論を人に教えるということに関して、他者と共に学習するという場が与えられることによって、発達理論に対する私自身の理解の深まりが促進されることを感じています。
仮に私が、一人で書籍や論文に向き合い、何かしらの概念や理論を理解しようとしたとしても、その理解度はそれほど高いものではありません。一方、他者にその概念や理論を説明し、他者と議論する過程を通じて、知識に厚みがもたらされ、概念や理論のより深い理解につながることを体感しています。
このように、知識を習得するという行為一つをとってみても、その実践活動に一人で従事している場合と他者と共に実践活動に従事する場合とでは、その質が明確に異なります。成人以降の教育やトレーニングにおいて、具体的な実践の場を持つこと、他者と協働すること、他者からの支援を受けることは極めて大きな役割を担っていると言えるのではないでしょうか。