前回に引き続き、今回の記事も新ピアジェ派がどういった点において古典的なピアジェ理論を拡張させたのか、を紹介していきます。今回注目するのは、文脈や他者の支援が私たちの認知にもたらす影響についてです。
文脈や環境の持つ役割や影響力に対するピアジェの考え方は、あまり明示的ではなく、しばしば誤解を含むようなものでした。ピアジェは、私たちは単純に環境を受け入れているわけではなく、能動的に環境を解釈していると主張していました。
ピアジェの「構成主義的」認識の核心は、まさにそうした主張にあり、私たちは能動的に世界に意味を与え、世界認識を構築していると指摘していました。
確かにピアジェは文脈や環境の役割を探究テーマとしていましたが、私たちは様々な文脈・環境にあっても、同一の段階プロセスを経て発達していくと述べていました。その結果として、ピアジェは、特定の文脈・環境要因を無視した普遍的な認知構造を提唱することになったのです。
しかし、ピアジェは後年になって、上記のような思想を修正しました。それに伴い、新ピアジェ派は後年のピアジェ思想を取り入れ、「学習や発達は文脈や環境に依存するものである」という考え方を採用するに至りました。
新ピアジェ派には様々な理論家が存在し、文脈や環境が持つ役割に対して様々な思想を持っています。しかし、多くの理論家は、ヴィゴツキーの「最近接発達領域」という概念や、デイヴィッド・ウッド、ジェローム・ブルーナー、ゲイル・ロスが提唱した「発達の土台(足場)」という概念を尊重しており、その点は共通です。
特に多くの新ピアジェ派は、「発達の土台」という概念は、ある人物と別の人物が共に生み出す「協働による産物」とみなしていました。簡単に「発達の土台」という概念を説明すると、以前の記事でニラ・グラノットが提唱した「橋渡し」という概念と意味はほとんど同じであり、より知識や経験が豊富な者が、他方の者に助言や実際の動作を示すことにより、他方の者がより高度な知識やスキルを示すことができるようになるという現象を指しています。
新ピアジェ派は、学習や発達を他者と協働して生み出されるものという認識を持ち、新たな知識やスキルを獲得する際に、他者の存在は極めて重要であると主張しています。学習というものが、ある特定の知識領域に支えられたものであるため、新たな学習を始める際には、その足取りはおぼつかないものとなります。
こうした点を考慮すると、自分が学習者であれば、より知識や経験を持つ他者と共に学習する意義があり、逆に自分が指導者や支援者であれば、学習は文脈に依存するものであり、適切な指導や支援が必要であるという認識を強く持つ必要があるでしょう。