現在、世界に存在するオルタナティブ教育の根底にある教育思想やシステム、そして実際の教育実践方法について比較をしています。シュタイナー教育やモンテッソーリ教育を抜きにして、オルタナティブ教育を語ることはできないので、主にそれら二つの教育システムを軸として、今後少しずつオルタナティブ教育についても触れていきたいと思います。
シュタイナーの教育の基盤にある思想は、発達的な観点から見て、子供が学ぶことに対して精神的成熟を向えているかどうかを大切にしている点にあります。発達理論の観点から述べると、この考え方は、人間が何かを学ぶということに関して極めて大切です。
主な理由としては、私たちは発達段階それぞれに固有の精神的課題があり、学習できる対象領域も発達段階に応じて変化するからです。具体的には、ピアジェの段階モデルを用いれば、具体的操作段階にある子供に抽象的な理論や概念を教えることは、子供たちの能力を凌駕してしまっているため、そうした試みは無益であるばかりか、害悪ですらあります。
巷で叫ばれている早期教育や英才教育などの多くは、子供たちの学習への精神的成熟期間に対する視点を欠いており、長い目で見ると、子供たちの潜在的な学習能力を削いでしまう危険性を内包しています。早期教育や英才教育の隆盛は、米国において端を発しており、特にロシアが1957年にスプートニク号の打ち上げに成功して以降、子供たちの認知的発達を早期に引き上げる方策が国をあげて実行されました。
その帰結として、多くの子供たちが精神的に未成熟であるのも関わらず、早期教育の波に絡めとられ、潜在的な学習能力を削ぎ落とされました。またいくつかの研究結果が示しているように、精神的な準備ができていないにも関わらず、強制的に学校教育というシステムに組み込まれた子供は、ADDなどを含めた障害を患ってしまうという事態が起こっています。
シュタイナー教育関連の論文を見てみると、複数の研究結果は、子供たちの形式的な学校教育は、7歳、8歳、あるいは11歳まで開始するべきではないという主張がなされています。この主張の裏には、子供たちが学習する際に認知的な発達と密接に関連した身体的な発達が考慮されています。
例えば、子供たちの視聴覚機能は、8歳かそれ以降にようやく十分に発達するとされています。こうした観点からすると、文字を適切に識別する能力が未成熟な子供たちに対して、現在の学校教育で施されている国語の読解などは、彼らの能力を超えていると言えます。
これらの点を鑑みると、教育方策やカリキュラムの策定者には、少なくとも発達理論が示唆する基本的な洞察を持っていることが求められます。さもなければ、国をあげて無謀な教育実践が実行され、子供たちの学ぶ力に未来永劫的に負の傷を残してしまうことになります。 質問・コメント・記事の共有をご自由にしていただければ幸いです。