これまでの記事で一貫して、発達現象が持つ可変性を蔑ろにしている説明モデルを紹介しました。しかし、事態はより複雑であり、発達現象には可変的な側面もありながら、その可変性の中に精妙な規則性を発見することができます。
それでは、これからの発達理論や発達測定が、可変性を無視することなく、可変性に潜む規則性も適切に捉えるためにはどういったことが要求されるのでしょうか?この点に関して、カート・フィッシャーはいくつかの点を指摘しています。
1:人間は、一瞬一瞬新たに構築されるリアリティの中で、多様な発達領域(網の目)に従って発達を遂げていく。
2:人間は、刻一刻と変化する現実世界の中で、異なるスキルレベルを発揮しながら活動に従事している。
3:人間の発達をマクロな視点で捉えるならば、実に多様な発達の形が存在する。また、多くの発達曲線を精査してみると、そこに複雑な非線形的な運動を発見することができる。
4:人間は、本来的に社会的な生き物であり、他者と織り成す社会的な集合体の中で発達を遂げる。
5:人間は、与えられたタスクや文脈が異なれば、異なる振る舞いをする。人間の思考や行動が持つ可変的な側面を十分に理解するために、発達研究は様々なタスクや文脈を考慮しなければならない。
上記の点を発達研究の中に全て織り込むことは、一見すると骨の折れる作業ですが、これをしなければ、発達や学習プロセスが内包する可変性を認識できないばかりか、可変性に潜む規則性も捉えることができないでしょう。
カート・フィッシャーの研究内容や研究結果のみならず、彼がどのような姿勢を持って発達研究に取り組んでいるかを見てみると、上記の作業を成し遂げる鍵を見つけることができます。一人の研究者が人間の発達を全て明らかにできるほど、私たちの発達は単純ではありません。
カート・フィッシャーは常に様々な研究者と共に発達現象の真相に迫ろうとしています。こうした姿勢を参考に、これからの発達研究者には、他の研究者と協働することが不可欠であり、新たな発見事項を還元主義的なアプローチや説明に陥ることなく、発達理論という大きな地図に包摂していく必要があるのです。
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