私自身の学習史を振り返ってみると、これまでは様々な発達理論家の理論や測定手法を学ぶことに主眼を置いていました。現在の関心は、もちろん発達理論のフィールドに存在する多種多様な理論や測定手法の理解を深めることにもありますが、それ以上に、より大きな視点を持って発達理論そのものを捉え直すことにあります。
言い換えると、多種多様な発達理論や測定手法が生まれてきた根幹部分の思想背景、すなわち、人間の発達に関する各論的な理論や個別の測定手法を超えて、それらを生み出し、それらを規定しているパラダイムに関心が及んでいます。ここで述べている発達理論のパラダイムというのは、西欧に起源を持つ発達思想の枠組みであって、今後は東洋思想に根ざされた発達理論のパラダイムについても探求していきたいと思っています。
発達理論という一つのフィールドを鳥瞰し、そのフィールドに立ち現れているパラダイムに目を向けてみると、興味深いことに、これまで個別の理論家や測定手法に焦点を当てていた時には見えなかったものが浮かび上がってきました。それは、現代の発達心理学に固有の理論的枠組みであったり、他の学問分野との関連性、古代西欧哲学から脈々と引き継がれている思想的影響、人間の発達を巡る様々な論争などです。
現在の発達理論というフィールドに存在するパラダイムを眺めていると、それがいかに過渡期を迎えているかが分かります。これまではパラダイムと無意識的に同化していたため、こうしたパラダイムのダイナミズムを敏感に感じ取ることができませんでした。
しかし、自分が立脚している思想的立場を客観的に眺めてみると、自分の発達思想というものがいかに既存のパラダイムに影響を受けているのかがわかります。また、現在のパラダイムが持つ方向性や動きに着目してみると、発達理論そのものがいかに動的に発達しているのかも掴むことができます。
現代の発達理論で議論されているテーマを探求し、過去の発達論争にも目を向け、古代ギリシャから連綿と受け継がれる思想源流を辿ってみると、トーマス・クーンが提唱した「パラダイムシフト」が現代の発達理論のフィールドにおいて生じているのを感じます。
奇しくも、カート・フィッシャーが指摘した「発達の非連続性」やエスター・セレンが提唱した「発達的な跳躍」という現象が、発達理論そのものにも起こっていると実感しています。人間の発達は、一般的に信じられている考え方とは反して、連続的なものではなく、非連続的なものであり、ある発達段階と次の発達段階の間には大きな飛躍現象が発生します。こうした飛躍現象が、発達理論そのものの発達にも生じているのです。
こうしたことを考えてみると、人間が発達することと、クーンが指摘したように、ある科学的なパラダイムは連続的・累積的に進歩するのではなく、非連続的・突発的に変容するという過程は、実に共通点の多いプロセスであると思います。
質問・コメント・記事の共有をご自由にしていただければ幸いです。