これまでの記事では、人間の発達を静的なものとみなす思想に対して批判的な見解を示し、発達を動的なものとみなす思想に好意的な見解を示してきました。ここで注意しなければならないのは、確かに人間の発達は極めて動的なプロセスなのですが、発達構造が内包する規則性というものを蔑ろにするわけにもいきません。
つまり、ピアジェが提唱しているモデルは、人間の発達メカニズムを形式的な論理だけを用いて解明しようとしている点に限界があるのであって、そこで開示されている発達構造が持つ規則性に問題があるのではありません。
ピアジェの誤謬は、発達が持つ規則性から逸脱した現象、例えば、文脈が変化することによって発揮されるスキルレベルが向上もしくは減少するような現象を看過した点にあるのです。
ここで少しばかり、静的構造思想とそれに反する思想の対立史を概観してみたいと思います。ピアジェ理論の対立者はしばしば、普遍的な発達構造の不存在を証明するために、ピアジェの段階モデルが当てはまらない状況の特定に奔走していました。
それに対して、ピアジェ理論の支持者は、発達が持つ普遍的な構造や段階プロセスの確からしさを確証することに力を注いでいました。つまり、どちらの立場においても、自らの信奉する発達思想を強化することに精力を傾け、両者の間に何ら建設的な対話がありませんでした。要するに、ピアジェ理論の支持者にせよ対立者にせよ、異なる思想立場の研究成果に対して実に盲目的だったのです。
こうした不毛な対立は長らく継続し、発達理論のさらなる発展の足かせになっていました。しかし、1980年代あたりに、ジュアン・パスカル、ロビー・ケース、グレーム・ハルフォード、カート・フィッシャー、マイケル・コモンズを筆頭とした「新ピアジェ派」と呼ばれる学派が誕生し、こうした議論に終止符を打つ研究や対話が生み出されることになりました。
新ピアジェ派は、ピアジェがおこなったのと同様の発達測定状況下において、ピアジェが提示した結果とほぼ同じ発見事項が得られることを示しながら、測定の状況を変えれば、それらの発見事項も変化するということを示しました。
すなわち、新ピアジェ派は、ピアジェが示した発達構造が持つ規則性を認めながらも、ピアジェあるいはその支持者が無視してきた発達の可変性も同時に実証研究によって示すという功績を残したのです。
質問・コメント・記事の共有をご自由にしていただければ幸いです。