前回の記事で、生得論者と経験論者の争点とデカルト的二元論が既存の発達理論のパラダイムにもたらしてきた影響について述べました。発達に関する両極の議論は、この一世紀以上続いています。
両極に属する近年の発達論者の議論を俯瞰してみると、どちらも厳密の意味で生得論的主張でも経験論的主張でもないという新たな特徴が浮かび上がってきます。
そうした特徴に加え、両者の立場が暗黙的に融合されているという状況が見受けられます。つまり、現代の発達理論というフィールドにおいて、発達を生得的・内在的なものとする立場と、発達は経験によって生まれるとする立場の境界が曖昧になり、両者が融合された理論的な枠組みが存在しているのです。
しかし、両者の融合モデルは、結局のところ、デカルト的な発想に呪縛されているという点に注意が必要です。両者の融合モデルにおいて、私たちは生まれた時から内在的に核となる知識体系やスキルシステムを持っており、それらは学習によって拡張されなければならないと想定されています。
生得論・経験論の融合モデルでは、そうした核となる知識体系やスキルシステムが生涯に渡って質的に変化するかどうか、あるいは成人に達すると変化が生まれないのかなどを議論しています。しかし、そうした議論をする際に、決定的に欠けている視点が存在します。
それは、人間の心を環境や文脈と切り離してしまっているという点です。そこでは、人間の思考が行動や活動と切り離され、心が組成される方法とそれがどのように現実世界で機能するかを切り離してしまっています。
カート・フィーッシャーのダイナミックスキル理論では、人間の思考と行動・活動を切り離すことなく、心を文脈に位置づけて議論するため、生得論・経験論の融合モデルとその点において異なっていると言えます。 質問・コメント・記事の共有をご自由にしていただければ幸いです。