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41. 人間の発達に関するデカルト的二元論思想:先天性・後天性論争を超えて


発達理論の歴史を紐解くと、私たちの知識やスキルが生得的なものなのか後天的なものなのかという議論が盛んにおこなわれていました。こうした議論は、デカルト的な思考の枠組みに大きな影響を受けています。

実際のところ、生得論者の思想と経験論者の思想は、心とその他のものを切り離してしまうデカルト的二元論の表と裏を成します。つまり、私たちは生得的な心の構造を持っていると主張する生得論者の視点と、経験が私たちの心を形成すると主張する経験論者の視点のどちらも、同じくデカルト的な二元論に起源を持っているのです。

人間の発達を氏か育ちかという観点で説明しようとするこれらのアプローチは、どちらもデカルト的な認識論に起源を持っているだけではなく、私たちの心の発達を説明する際に大きな限界を内包しています。もちろん、デカルトの思想は、哲学や科学の分野に大きな貢献を果たしました。

しかし、デカルトが採用したアプローチの根幹にあるのは、還元的な発想です。こうした発想では、人間の行動・思考・感情といった動的なプロセスをどうしても正確に説明することができません。人間の精神活動は実に動的なシステムであるにも関わらず、デカルト的発想の下、私たちの精神活動を静的な構造とみなすパラダイムが醸成されました。

このパラダイムの枠組みでは、精神活動が内包する構成的な特性や自己組織化という特性が蔑ろにされてしまっています。そうした特性を無視するばかりか、このパラダイムの傘下にいる発達論者は、人間の発達を氏か育ちかと議論する無益な論争を未だに熱心におこなっており、発達を静的な構造とみなす思想を強化する結果に陥っているのです。

確かにデカルトの還元主義的アプローチは、探求対象とする事物や現象を複雑な関係性から切り離して説明するため、科学的な分析において大きな役割を果たしてきました。しかしながら、デカルト的なアプローチを心の説明に採用してしまうと、私たちの心が他者の心と相互作用するという要素や、環境や文脈などとの相互作用を排除してしまうことになります。

それらの相互作用を理解することは、まさに人間の発達が持つ可変性を捉える鍵となります。現実世界において、多様なシステムやプロセスに存在する相互作用が変化や運動を生み出しています。すなわち、心の構造は、千変万化する多様なシステム間の関係性から動的に生み出され、それは決して生得的な静的構造でも経験的な静的構造でもないのです。 質問・コメント・記事の共有をご自由にしていただければ幸いです。

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