極端な生得論者は、発達の可能性は生まれた時点で決められていると述べますが、ほとんどの発達論者は、心という動的なシステムとそのシステムが起動する外部環境との相互作用によって、私たちの心は発達していくと考えています。
オランダのフローニンゲン大学教授ヴァン・ガートは、発達は生得的に決定づけられているという生得論者の思想を覆す研究成果を提示しました。つまり、ヴァン・ガートは、私たちの心の発達は生得的に決められているのではなく、発達の可能性は開かれていることを明らかにしました。
彼が構築したダイナミックシステム理論の数学的モデルを見ていると、仮に自ら発揮できるスキルレベルの上限が生得的に低いものであったとしても、私たちはその上限を超えたスキルレベルを獲得することができることがわかります。これまで繰り返し述べているように、それを可能にするのが、自分よりも高度なスキルを兼ね備えた者からの支援です。
しかしながら、熟練者からの支援が常に発達を促すとは限りません。ピアジェやヴィゴツキーなどを始めとする、過去の偉大な心理学者が指摘しているように、私たちの心は動的でありながらも均衡を保とうとします。すなわち、私たちの心の構造は、文脈に応じて動的に変化するものの、その変化は均衡の範囲内で生じます。
仮に与えられたタスクや活動が現在のスキルレベルの範囲内で容易に遂行可能な場合、他者からの支援は、それほど大きな意味を持ちません。他者からの支援が強く求められるのは、現在のスキルレベルの範囲を超えたタスクや活動に従事する時であり、均衡状態が崩されそうになる状況においてです。
いかなる経験も私たちの心に何かしらの影響を与えますが、それが心という動的なシステムをさらに発達させるものであるとは限りません。上記で述べたように、要求されるタスクレベルが、現在の自分のスキルレベルと比較して低いものである場合、私たちはさらに高度なスキルを獲得することができないということをヴァン・ガートは明らかにしました。
職業人、あるいはスポーツ選手であれば、その人のスキルレベルを向上させることに関して、要求されるタスクレベルが極めて重要になります。発達理論の観点からすると、スキルレベルの向上に関与しない無益な鍛錬が確かに存在します。もちろん、発達を至上命題とする思想は短絡的かつ危険ですらあり、職業人やスポーツ選手において、常に自分のレベルを超えるタスクが与えられるとは限りません。
しかし、与えられるタスクレベルの度合いが、各人の発達に強い影響を与えることがわかれば、ビジネス社会やスポーツの分野において、自分のスキルレベルを遥かに超えたタスクに従事することを強要したり、継続的に低いレベルのタスクを与えるという、発達を阻害する行動が減少していくのではないでしょうか。
こうした発達を阻害する行動を防ぐこと、そして各人の発達プロセスに見合ったタスクを提供することに関して、発達理論や発達測定は、重要な役割を担っています。 質問・コメント・記事の共有をご自由にしていただければ幸いです。