前回、ジェームズ・ギブソンが提唱した「アフォーダンス」という概念について説明致しました。ギブソンはさらに、環境が私たちに与えるアフォーダンスという概念を用いて、教育的な洞察を私たちに提供してくれます。
ギブソンが示唆しているのは、そもそも各人が異なるアフォーダンス機能を備えているため、学習者は指導者が意図している情報を正確に受け取るとは限らないということです。これは当たり前に聞こえるかもしれませんが、実際に私たちが指導者の立場になってみると忘れがちな事柄です。
指導者は、学習者に期待している情報を正確に伝達することが困難なばかりか、自らの存在そのものが学習者の学習プロセスの一部として組み込まれ、学習者に正・負の影響を与えることもギブソンは暗に示しています。つまり、指導者の発言や行動は、学習者の知識伝達過程に大きな影響を及ぼします。
また、往々にして学習者は、指導者と学習者が生み出した場(環境)から意識的かつ無意識的に情報を引き出します。ギブソンは、私たちは選択的に環境から情報を引き出す意思の力を持っていると述べています。それと同時に、私たちは無意識的に環境から情報を得る能力を内在的に備えていることも指摘しています。
私たちが持つ、環境から情報を引き出す意識的・無意識的な能力を考慮すると、指導者の介入方法と学習場が学習者に与える影響に対して慎重になる必要があります。チャールズ・ダーウィンは、家畜の行動を形成する「無意識的な選択」について言及していました。
ダーウィンの言葉は、学習者の無意識的な情報選択の質に応じて、学習者の思考や行動が家畜化されてしまう危険性を示唆しています。確かにアフォーダンスの正の側面は、学習支援や発達支援と親和性が高く、より効果的な学習・発達支援に貢献をしてくれるでしょう。
しかし、アフォーダンスがもたらしうる負の側面も考慮に入れなければ、学習者の思考や行動を家畜的なものに貶めてしまう危険性を蔑ろにしてしまうでしょう。 質問・コメント・記事の共有をご自由にしていただければ幸いです。