しばしば、多くの発達理論において、人間の心が階段状に発達していくというモデルを見かけます。発達理論を取り入れているケン・ウィルバーのインテグラル理論においても、はしごを登るかのように発達が進んでいくという印象を与えがちな「ラインの発達(様々な発達領域の発達)」という概念が提起されています。
言語学者のジョージ・レイコフが指摘しているように、私たちの思考や行動は、メタファーによって構成されています。これと同様に、科学的な概念や理論というのも、メタファーによって生み出され、そのメタファーに縛られています。
つまり、心の発達を静的なものと捉えてしまう既存の考え方は、文化的に広く浸透した「階段(あるいは梯子)」というメタファーによって強く影響を受けていると言えます。それはまるで、発達を一つの構造から次の構造へ移行する直線的なプロセスのようにみなしてしまうのです。
こうしたモデルにおいて、様々な発達領域を相互に関係づける発想は見られず、一つの発達測定で測定される特定の発達領域にのみ焦点が当てられてしまっています。さらに、往々にしてこのようなモデルでは、発達の始点と終点が固定化されており、始点と終点を結ぶ直線的な現象として発達が捉えられてしまっています。
このような決定論的かつ還元主義的なモデルでは、人間が持つ動的かつ構成的な活動を適切に記述することが困難となってしまいます。つまり、発達を階段状のステップと捉えてしまうメタファーは、様々な発達領域に見られる可変性を無視してしまっているのです。
それに対して、カート・フィッシャーは、発達が持つ可変性と不可変性を同時に考慮した「発達の網の目構造」というより動的なメタファーを提唱しています。「発達の網の目構造」とは、様々な発達領域がお互いに関係し合い、それらは網の目構造を構成しながら発達していくというメタファーです。
このメタファーで提唱されているのは、階段状のステップとは異なり、発達のプロセスに決められた順序や形というのはなく、構成的な活動を行う主体が環境や文脈と相互に関係し合うことによって、網の目(糸)がどんどん伸びていくというイメージです。
私たちが網の目を築き上げる活動に従事しているということは、非常に明確です。例えば、何か新しい技術や知識を習得しようとする際に、最初はその網の目構造を構成する糸は非常に脆弱です。しかし、修練を積むにつれて、あるいは外部からの支援を受けることに伴い、紡ぎだされた糸が徐々に強固なものとなっていきます。
仮に糸が途切れてしまったとしても、私たちは再びその糸を紡ぎだす活動に従事することができます。こうした様はどこかクモの行動を想起させます。しかし、クモが蜘蛛の巣を作るのと私たちが網の目構造を構築するのは、決定的に異なる点があります。
それは、クモが単独で自分の巣を作るのに対し、私たち人間の心の網の目構造は、社会的な文脈の中で他者や環境と相互に影響を与えながら構築されていくという点です。
カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論では、発達をこのような網の目構造とみなし、多様な文脈の中で発揮されるスキルは複数の糸と絡み合う形で発達し、感情の状態や置かれている状況、そして外部からの支援によってそのスキルレベルが動的に変化すると捉えられているのです。
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