前回の記事で述べたように、これから少しずつカート・フィッシャーのダイナミックスキル理論を紹介していきたいと思います。まずフィッシャーの思想とダイナミックスキル理論の簡単な輪郭を浮き彫りにしたいと思います。
フィッシャーの発達思想の根幹を成すものは「人間の活動は組織的かつ変動的なものであり、活動を通じて発揮されるパフォーマンスレベルは文脈に応じて動的に変化する」というものです。
子供であれ大人であれ、現実世界の実際の活動に従事している際に、彼らの行動や思考は実に柔軟な様相を見せます。しかし、これまでの発達論者の多くは、人間の心が持つそのような特性を蔑ろにしていました。
もし人間の「心の機能(私たちがどのように振る舞うか)」が動的かつ文化に埋め込まれたものであるならば、「心の構造(活動のパターン、あるいは活動を生み出す装置)」も同様に動的かつ社会的文脈に組み込まれたものになるだろうという論理をフィッシャーは持っています。
しかしながら、上記で述べたように、現在世間で知れ渡っている多くの発達モデルは、フィッシャーが指摘している心の動的・文脈的・社会的(文化的)な要素を反映していません。
実際のところ、ほとんどの発達モデルは、発達構造を「静的」なものとみなしてしまっています。前期ピアジェの「普遍的発達構造」やチョムスキーの「内在的言語モジュール」などは、心の構造を固定的なものとみなしてしまい、文脈に応じた変動性や活動からのフィードバック作用など、心の動的な側面を無視してしまった代表例です。
心の構造を動的なものとみる際に重要となるのが「可変性(変動性)」という概念です。可変性とは、人間は異なる状況や様々な感情の状態において異なる振る舞い方をするということです。一見すると当たり前のように思われるこの考え方をこれまでの発達論者はそれほど注視してきませんでした。
教育の現場において子供に算数を教える際に、ある日解けていた問題が、翌日状況・状態が変化すると解けなくなっていたというようなことは頻繁に起こりえます。さらに一日単位だけではなく、私たちは瞬間瞬間においても、刻一刻と変化する状況や感情の状態などに左右され、異なった振る舞い方をします(あるいは異なるパフォーマンスレベルを発揮すると言えます)。
驚くべきことに、これまでの発達理論の研究ではこうした可変性を「異常値」として扱っていたのですが、これは異常というよりもむしろ「通常」なものなのです。
上記のような思想のもと、フィッシャーは発達に関する研究の役割を「人間の心が持つ可変性の中で現れるパターンを発見・説明すること、および可変性と不可変性を反映したデータを説明するモデルを提起することである」と述べています(フィッシャーは、これまでの発達論者が提唱してきた心の不可変性の存在も認めています)。
フィッシャーが提唱したダイナミックスキル理論とは、一言で述べるならば、心の可変性を分析する動的な構造分析手法であり、動的な可変構造で現れる質的差異(レベル)を発見するフレームワークです。
繰り返しになりますが、私たちが現実世界で発揮するパフォーマンスは常に変動しています。なぜなら、私たちの心の構造がそもそも静的なものではなく、動的なものであり、状況・他者・身体と常に相互作用しながら変幻自在に変化しているものだからです。
可変的な発達構造が持つパターンを認識することは、動的な心のシステムや人間が生み出す相互作用を理解する鍵となります。次回の記事では「動的構造主義」について紹介したいと思います。
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【追記】カート・フィッシャーのダイナミックスキル理論は、西洋世界に起源を持つ理論的枠組みですが、私は仏教思想と相通じるものを強く感じます。ダイナミックスキル理論の背景に存在する「ダイナミックシステム理論」と仏教の哲学思想を学ぶことは、ダイナミックスキル理論をよりよく理解し、その適用をさらに実りあるものにしてくれると思います。