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11413-11421: フローニンゲンからの便り 2023年11月26日(日)



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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

11413. 昨夜のピザパーティーを振り返って

11414. すくすく育つシロシビン・マッシュルームとの相互教育を実感して

11415. 今朝方の夢

11416. 書物を通じた自己と世界を探究する旅へ/リアリティの相矛盾する性質より

11417. 夜明け前の深い闇の囁き:直接体験を深め、直接体験から出発すること

11418. 古代ギリシャの格言“Know thyself”の深層的な教え

11419. 創造的抽象化を好む自己

11420. 科学を支える科学哲学の重要性/書物の価値

11421. 両親とのミーティングを終えて/自然物理的環境と社会文化的環境の重要性


11413. 昨夜のピザパーティーを振り返って


時刻は午前3時半を迎えようとしている。今朝方は午前3時に目が覚めたので、目覚めのスッキリさを見た時に二度寝をする必要がないと思い、そのまま起床した。昨夜はオーナーのフレディさんとペイトラさんの家でピザパーティーがあった。そこでピザだけが振る舞われたのではなく、前菜としての魚料理やサラダが振る舞われ、美味しい食事と共に楽しいひと時を過ごすことができた。生活リズムを崩したくないのと、今日は昼前に両親とのZoomでのミーティングがあるので、いつもの時間に就寝するためにパーティーは2時間半ほどで切り上げて自宅に帰ってきた。

昨日のパーティーを振り返ってみると、暖炉を取り囲んでの隣人との会話が印象に残っている。今回は、ペイトラさんの兄のバスさんがアムステルダムからやって来て、隣人のサハルとサブリーナがクル前では、バスさん、フレディさん、そして自分の3人で会話をしていた。その間にはペイトラさんがサラダの準備をしてくれていた。バスさんはどうやらオランダの文化振興に関する仕事をしているらしく、東京で開催されたブックフェアに参加するために2000年に日本を訪れたことがあるそうだ。その時に東京と京都に訪れたらしく、その時の思い出話を聞かせてもらった。バスさんも60歳近くの年齢で、フレディさんは間もなく63歳とのことで、自分とは世代が違うため、彼らが知っている日本映画や日本の小説を自分が知らないことがあり、むしろ色々とこちらが教えてもらうことになった。1983年の作品“The Ballad of Narayama”は名作であると2人が話していたので、この作品については必ずどこかのタイミングで視聴しておきたいと思う。実は偶然ながらフレディさんとペイトラさんはフローニンゲン大学の先輩でもあり、フレディさんは英語の教師をしていたこともあるので、英文学に詳しく、それはイギリスやアメリカの文学だけではなく、日本の文学作品も含め、フレディさんは小説をたくさん読んでいる。実際にこの間は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の英語版を貸していただいたり、その他アーサー·クラークの作品など、以前トランスヒューマニズムについて関心があることを伝えると、それに関連するSF小説を数冊ほど貸してくれた。バスさんも文学に造詣が深く、出島を舞台にしたオランダ人の主人公の日本の小説について知っているかと尋ねられたが、知らないと答えると、その作品も名作なので貸してもらえることになった。

随分と文化的な話で盛り上がったところでサハルとサブリーナがやって来た。どうやら今日はサハルの息子のフィンは前妻のところにいるようだった。サハルとサブリーナがやって来たところで、そこからはバスさんがピザの準備に取り掛かり始めた。バスさんの祖父がパン屋だったらしく、祖父から色々と教えてもらっていたことによって、ピザ生地を作るのはお手の物とのことだった。交代でペイトラさんが2階の暖炉に上がって来てからは、オランダを取り巻く政治と国際政治の話になった。オランダの政治についてはほとんどウォッチしておらず、どうやら今回の選挙で大変なことになったようだった。何やら極右の政権が発足したらしく、その右への傾斜振りが尋常ではないらしく、4人はそれを嘆いていた。外国人を排斥するような発言も明確に見えるらしく、今付与されている永住権でさえそのステータスが今後どうなるかわからないほどの右への傾きのようだった。そこからはトランプは再び政権を獲得するかという質問をサハルが自分に対してし、自分の回答をもとにその場での話が続けられた。そんな政治談議をしばらく楽しんでいるとピザが焼き上がり、いよいよディナータイムとなった。前菜で出してもらったワカサギのフライは美味しく、この日はヴィーガンから魚だけは摂取する食事にし、ピザに関してはベジタリアンのものにしてもらった。バスさんが作ったピザとワカサギのフライはとても美味しく、ペイトラさんお手製のサラダもまた絶品だった。そこからは6人で食事を囲んで会話を楽しんだ。とても充実した夜を過ごすことができたことにとても感謝している。フローニンゲン:2023/11/26(日)03:39


11414. すくすく育つシロシビン・マッシュルームとの相互教育を実感して


昨夜のピザパーティーの前に、一昨日に届けられた書籍の中で、形態形成ば仮説で有名なルパート·シュルドレイクの息子のマーリン·シュルドレイクの“Entangled life: How fungi make our worlds”という書籍を読んでいた。この書籍はすでにペーパーバック版として出版されていたが、この秋にカラーのイラストを豊富に加えたハードカバー版が出版されることを知っていたので、それが発売されるまで待っていて、今回ようやくそれを手にすることができた。著者のマーリン·シュルドレイクは父と同じくケンブリッジ大学で博士号を取得しており、息子のマーリンの専門は菌類に関するものである。彼の書籍を読みながら、カラフルなイラストと共に展開される彼の話には思わず傾聴してしまい、それを通じて菌類の奥深さを教えてもらうことになった。それを受けて、早朝の3時に起床して真っ先にキッチンに置いているシロシビン·マッシュルームの栽培キットを眺めた。これまでは栽培キットを覆うビニールの外からは中が見えずらかったが、今はもう外からでも十分に中のマッシュルームが確認できるぐらいに昨日から今日にかけて大きな成長を彼らが遂げていることに驚いた。マーリン·シュルドレイクは、菌類の成長には途轍もない力が宿っていると述べており、まさにその通りだと思った。その生育の速度は尋常ではなく、その速度に比例してそこには成長エネルギーとでも形容できるようなものが爆発的に内在されているように感じられた。

昨日から今日にかけての成長ぶりを見るにつけ、収穫のタイミングは1週間以内のような気がして来た。収穫時期のポイントは、これからさらに成長をした時にマッシュルームの傘が開いた時を逃さないうようにすることである。傘が十分に開いたのに収穫をしないと、マッシュルームが腐り始めるプロセスに向かう。それはある意味次の世代にバトンを渡すためのプロセスなのだが、傘から胞子が飛び出して次の世代に命を渡す前に収穫するのがポイントだ。説明書きにあるように、収穫は遅いよりも速い方がいいとのことなので、ここからは毎日注意深く栽培キットの中の様子を確認したいと思う。昨日から朝昼晩と新鮮な空気を栽培キット内に取り入れ、霧吹きで湿度を保つことを行い始め、それによって1日でこれだけ成長したことにやはり今でも驚く。今日もまた彼らに話しかけながら愛情を持って育てたいと思う。いや彼らを育てるというよりも、彼らから教えられることが多々あることから、そこでは「相互教育」のような現象が生じているように思う。THCカンナビスもシロシビン·マッシュルームも、自分の手で育ててみることは多大な教育効果があり、栽培過程での彼らとの交流は霊的実践ですらあるように思える。今後も規制に則りながら、植物としてはTHCカンナビス、菌類としてはシロシビン·マッシュルームを栽培し続けていきたいと思う。栽培に関する知識と技術を高めながら、栽培過程での霊的実践を通じた霊的成長も実現できたらと思う。フローニンゲン:2023/11/26(日)03:56


11415. 今朝方の夢


朝の呼吸法とアニマルフローを終え、いつものように小麦若葉のパウダー、ヘンプパウダー、カカオオパウダーをお湯に溶かして蜂蜜を加えた飲み物を飲んでいる。毎朝2杯の水を飲んだら次に飲むのがこの飲み物で、この飲み物を飲みながら本格的に1日が始まる。それでも今はまだ午前4時半前である。今日は早起きをしたことにより、午前中の探究は存分に進展するであろう。

今朝方は1つ印象に残る夢を見ていた。夢の中で私は、自宅のプールにいた。自分の自宅はかなりの豪邸で、そこに風呂の延長で作られた温水プールが屋外にあった。雨の日には電動で屋根を出すことができるので、雨が降ってもそこで泳ぐことができた。最初私は、見知らぬ1人の日本人女性とプールで泳いで楽しい時間を過ごしていた。彼女は見知らぬ女性だったが、初対面の感じがせず、昔から付き合いがある感じがしていた。性格は温厚で、清楚な感じの女性であった。しばらくすると、突然プールのサイズが大きくなった。そして、大学時代のゼミの友人や小中学校時代の友人が男女問わずこぞって集まって来た。大きくなったプールはもはや自分の所有物という感じはせず、パブリックなものに感じられた。

ゼミの友人の中で最初に目についたのはパイロットになった友人だった。彼はキャップを被り、ゴーグルを目に下ろし、これから本格的に泳ぐぞという格好をプールの中でしていた。そこからプールサイドに目を移すと、プールサイドにも結構な数の友人たちがいた。むしろそこにいたのは友人とは言えない関係性で、単に知っている同級生程度の人が多かった。プールサイドにはイギリス人の先生がいて、今から先生の英語のレッスンを受けることになった。友人と同級生は一度プールで遊ぶのをやめ、プールサイドの先生の周りに集まった。先生の雑談から話が始まり、何か最初にシェアしておきたいことはないかと先生が尋ねると、ゼミの幹事を務めていた女性友達が挙手をした。何やら、現在彼女が宿泊しているホテルに、今でも現役でプロサッカー選手をしているレジェンド的な選手と遭遇したらしく、その選手のホテルスタッフへの対応が謙虚で素晴らしかったという話を彼女はした。そこまでは日本語で話してくれたのだが、せっかくイギリス人の先生が目の前にいるのでそこからは英語になった。しかし彼女は英会話があまり得意ではないらしく、そこからはたどたどしい英語になり、先生も少し当惑の表情を隠し切れていなかった。しかし、彼女が精一杯英語で話をしようとする姿勢は先生にも私にも伝わっていた。ところが周りの生徒たちは彼女が手間取って話を進めていこうとするのに痺れを切らしたのか、プールサイドの色々なところで雑談が起き始めた。それを見かねて私はとっさに英語で、自分の助けが必要かと彼女に尋ねたところ、必要だと述べたので、彼女の近くに行って通訳をすることにした。その時に私は、英語でプールサイドにいたその他の友人と同級生に怒鳴った。どのような内容で怒鳴ったかというと、「ここに英語で必死に話そうと挑戦している人がいるのになぜその人の挑戦を尊重し、見守ろうとしないのか。お前らのように異なる言語で自己表現することに挑戦せず、慣れ親しんだ言語でひそひそ話しかできない奴らは帰るか黙れ」と大きな声で英語で怒鳴った。すると一瞬で辺りはシーンとし、そこから当惑の表情を少し浮かべていた先生にも一言英語で述べた。内容としては、「新しいことに挑戦し、変わろうとしない奴らに時間を使う必要はありません。目の前にいる変わろうとしている1人の生徒のために時間を使ってください」と述べた。先生は他の生徒にも発言の時間を与えたがっていると感じ、辿々しく話をする彼女の話をどこまで聞くべきか迷っているように思えたので、その迷いを払拭する発言をした。すると先生はニコリと笑みを浮かべ、彼女だけを見て話の続きを聞いた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/11/26(日)04:44


11416. 書物を通じた自己と世界を探究する旅へ/リアリティの相矛盾する性質より


静けさに包まれた日曜日の朝。日の出まであと3時間もあるような状態の中で、闇の深さを味わっている。今日はこれから、オックスフォード大学出版から出版されている以前購入していた現代現象学の論文集の再読に取り掛かりたい。そこから同出版社の心の哲学の論文集の再読をし、そこからはルートリッジ出版から出版された形而上学に関する論文集と、汎心主義(panpsychism)に関する論文集を読み進めていく。いずれも生粋の硬質な論文が多数収められており、それを通じて知識を獲得するだけではなく、自らの思考力も磨かれていくだろう。

サイケデリクス研究を始めてからというもの、旅に出かけていく意欲は消え失せた。前回のボストン旅行を最後に、1つ前の旅もまた5ヶ月近く前のものだった。今は書物を通じた自己と世界の奥深い旅に出かけていくことに最大の関心があるのだろう。外面世界での旅を一旦やめたのは、世界各地に足を運ぶ旅よりも、書物を通じた自己と世界を探究する旅の深さに心を打たれたからである。そのようなことを思った。ここからも書物を通じた旅を極地に辿り着くまで継続していく。一旦の極地に辿り着いたサインは、再び外面世界の旅に出かけたいという意欲の現れとして分かるだろう。そのサインを受けたら、スイスのアスコナとシルス·マリアに足を運びたい。

このリアリティの相矛盾する性質について昨日考えていた。それはこのリアリティが変化と充満さでできていることである。ロイ·バスカーが述べるように、変化は不在(absence)によって初めて生じる。変化を起こす際には不在の不在化(absenting an absence)が求められる。このリアリティはプロセス哲学に準じるならば絶え間ない変化で構築されている。絶え間ない変化の背後には絶え間ない不在があるということを指す。一方で、世界は絶えず満ち溢れているという言葉もよく聞く。絶え間ない変化の背後に不在があることを考えると、それと絶え間ない充満性は一見すると矛盾するように思えるが、両者は深層的には共通している。リアリティには、不在と生成が充満しているのである。そこには絶え間ない変化がもちろん含まれる。

欠乏欲求ではなく、充満性を感じながら、そして絶えず変化する自己とリアリティを感じながら、自己とリアリティの不在を埋める形で絶えず自らを変化させていくこと。そのような形での変化を自分は希求する。そしてそのようにして変化した自己がさらなる変化を自己に引き起こし、同時にこのリアリティそのものの良き変化を起こす触媒でありたいと願う。昨日にそのようなことを考えていたことをふと思い出す。フローニンゲン:2023/11/26(日)05:23


11417. 夜明け前の深い闇の囁き:直接体験を深め、直接体験から出発すること


間も無く午前6時を迎えようとしている。どうやら今は晴れているようだが、外の様子は全くわからない。それほどまでに深い闇に包まれている。夜明けを迎えるまであと2時間ほどある。そんな中、闇の深さの恩恵を昨夜受けたことを思い出した。オーナーの家で開催された食事会に参加した後、同じ敷地内の自宅に帰っている最中にふと空を見上げると、そこに満天の星空を見たのである。月も満月で神々しく輝いていて、満月の美しさと星々の輝きの双方の美しさを浴びる時間が昨夜にあった。そんな至福な時間を味わうことができたのは、まさに闇が深かったからである。

昨日もフレディさんとサハルと一緒に話をしていたが、フローニンゲンは人口規模が程よく、また学術都市でもあって、かつ他のオランダの大都市からは離れ、オランダの最北に位置すること、さらにはプロテスタントの影響も強い土地柄ゆえに落ち着きが体現されている。この落ち着きがどれほど自分を寛がせ、自分を成長させてくれたことか。都会の喧騒を離れ、静謐さの中でこの8年間過ごすことができていたことが自分の成長を後押ししてくれていた。人間関係上のしがらみも皆無であり、この8年間は本当に探究に打ち込むことができていた。こうした生活の在り方は今後も守りたいと思うし、それを可能にする環境を慎重に選ぶ必要がある。

そのようなことを雑念として考えながら現代現象学の論文集を読み進めていると、やはりここから自分が本気でサイケデリック哲学者(さらにはサイケデリック科学者·神学者)になるに際しては、直接体験としてのサイケデリック体験をどれだけ多く深く積んでいくかが重要かと思った。自分にしかやってこない直接体験を数多く積み、そこから自分なりの洞察を得て自らのサイケデリック思想を深めていくこと。それに没頭専心したいと思う。こうした思いの間にもシロシビン·マッシュルームは着実に成長してくれている。自分も彼らの成長速度に匹敵するような形で日々着実に成長を遂げていきたいものである。

直接体験が持つ説得性。そしてさらにそれをどのようにどのように高めていくか。その際に現象学の枠組みは不可欠である。なぜなら、現象学が唯一直接体験を直接体験として扱う学問分野だからである。その他の学問分野は「直接体験について」扱うけれども、直接体験を直接体験として内側から把握していくのは現象学の専売特許的アプローチである。自分自身のサイケデリック体験を深めるためにも、そしてそこから汲み取れる無限の洞察を1つ1つ深めていくためにも、現象学について深く学んでいこう。ここから着実にサイケデリック体験を積んでいきながら、その1つ1つの体験を大切にする形で探究活動をしていけば、いつかそれぞれの体験の総体が自らの財産になるだろう。いや、1つ1つの体験もまた自分にとって貴重な財産になるはずである。今はとにかく豊かな直接体験を積むこと。そしてそれらの体験を現時点で可能な限り様々な角度から咀嚼していくことを行いたい。全ては自らの直接体験から始まらなければならない。他者の体験でも、他者の意見でもなく、己の体験から出発するのだ。夜明け前の深い闇がその大切さをそっと囁いてくれた。フローニンゲン:2023/11/26(日)06:00


11418. 古代ギリシャの格言“Know thyself”の深層的な教え


アポロ神殿に掲げられた古代ギリシャの格言“Know thyself”、それは「汝自身を知れ」という意味である。かつてギリシャを訪れ、アポロ神殿に足を運んだ時にはその意味の本質をわかっていなかったように思う。ちょうど先ほど書き留めていたのは、自らの直接体験を大切にし、それを数多く積み、深め、それを思索の出発点にすることの重要性についてだった。己自身を知るにはどうしたらいいのだろうか?己を知るに際して、自らの直接体験を蔑ろにできるだろうか?自らの直接体験が乏しい場合に、一体どのようにして自らを多角的に知ることができるだろうか?そのような問いが浮かんでくる。

自身のサイケデリック体験を振り返ると、それは自分自身の深層部分にある真理を突きつけてくる。その真理や心の闇の側面にまつわるものであったり、心の光の側面にまつわるものであったりする。真理とはそのように闇と光の側面を持っていて、究極的な真理は闇と光を超えて、それらの陰陽が生み出す1つの全体である。どうやら真理の探究にはフェーズがあり、闇の側面と光の側面の真理を別々に辿っていくフェーズがある。そこからそれらが統合されていき、1つの究極的な真理に辿り着いていく。厳密には闇と光が織り成す真理は複数あり、それらの複数の統合的真理をさらに一段高次元に束ねた時に生じるのが一なる究極的真理かと思う。こうした一なる究極的真理は普遍性を帯びている。不思議なことに、己という1人の主体から出発した真理の追究は、究極的には普遍性を獲得して客観的なものに成り得るのである。実はこれは不思議でもなんでもなく、それが不思議でもなく摂理であることを「汝自身を知れ」という言葉は指し示しているように思うのだ。汝自身を究極的に深く知れば、普遍的領野に辿り着けるのである。汝自身を究極的に深く知れば、世界全体、すなわちリアリティ全体と一になれるのである。そうしたことを考えてみると、「汝自身を知れ」という言葉は、主観的真理追求の先にある普遍的真理の存在を暗に示しながら、同時にリアリティ全体との一致を説くという実践的な含意も含まれていることにはたと気付かされる。

今の自分にとって、自己に付帯し、自己に授けられた種々の真理に気づく手段としてサイケデリクス以外のものは考えられない。それを手段として賢明かつ懸命に活用し、「汝自身を知れ」という言葉の深層的な教えが暗に指し示すことを成就したいと思う。フローニンゲン:2023/11/26(日)06:15


11419. 創造的抽象化を好む自己


やはり自分の性向として、抽象的な理論を好み、抽象的な仮説や理論を構築することを好むようだ。それは個別具体的な事実や現象を見てパッと閃くようなものもあり、すでに抽象度合いの高い仮説や理論からさらに抽象度の高い仮説や理論を思いつくような形で創造される。自分はこの性向を大切にし、その性向に立脚する形でサイケデリック哲学·科学·神学の研究を進めていこうと思う。個別具体的な事例の発見や説明は別の研究者に任せることにし、具体性を確保し、具体性を埋めることに関心を持っている研究者に委任すればいいのだ。とにかく自分は無数の抽象的な仮説や理論を創造していくことに力を注いでいく。ベルグソンはその手本とする人物であり、彼の思想の「創造的抽象化」とでも呼べるような思考の働かせ方を見習う。それはおそらく思考ではなくて、創造的直観かつ直感の活用かと思われる。

日々デジタル絵画を描きながら、そこに具体的な事物が描かれていないこともまた自分の抽象性を好むことを示している。それは単なる好みではなく、自然現象として何も意識せずともそうしたものを創造している自分がいることを見ると、尚更それは自分の個性なのだと思う。音楽の想像にしても同じであり、音楽は形を持たず、言葉を持たない非常に純度の高い抽象的産物である。毎日作曲実践をしていることもまた自らの抽象性を好む性向の現れであるし、デジタル絵画の創作と作曲実践によって自らの抽象思考力·抽象直観力が確実に磨かれているのが分かる。こうして学術研究以外の実践を通じて磨かれた能力を活用してサイケデリック研究に励んでいこう。創造的抽象化を好む自己は自分の本質の1つの大切な側面であり、それを涵養しながら研究に打ち込んでいく。そのような決意を新たに固める。フローニンゲン:2023/11/26(日)10:27


11420. 科学を支える科学哲学の重要性/書物の価値


今、900ページに及ぶオックスフォード大学出版から出版された科学哲学の論文集の初読をしているのだが、こうして科学に対して様々な観点から哲学的にアプローチしている様子を見ると、その営みにより良い科学を目指すという意思を感じる。さらには、科学哲学の枠組みがあることによって科学が科学として信頼性と妥当性に足りうるものになっているように思える。そう考えると、科学哲学は科学にとっての守護神のような存在なのかも知れないと思えてくる。科学哲学は科学に対してそれだけ重要な役割を果たしている。科学研究に従事する科学者は科学哲学の議論をさほど追いかけていないだろうが、科学哲学の議論は科学を見えないところで下支えし、疑似科学的な研究や言説が出回ればそれを取り締まるような働きもしているように思える。科学哲学の枠組みは当然ながらサイケデリック科学にも当てはめることができる。幸いにして現在のサイケデリック研究は神経科学などのハードサイエンスの先端領域が関与していることもあり、かなり厳密な手順を踏んで科学研究がなされている。また対象がサイケデリクスだけあって慎重な研究が進められているという側面もある。しかし過去には、シロシビン研究で多大な功績を残している名門大学のジョンズ·ホプキンス大学が、2000年のMDMAの研究の際にラベルの貼り間違いによって、MDMAがパーキンソン病を引き起こすという論文を公表してしまった。当初その研究を進めていた研究者は論文への批判に対して頑なに批判を返していたが、後日、なんと研究として扱っていたのはMDMAではなくメタンフェタミン(覚醒剤)だったと判明したのである。メタンフェタミンはMDMAとは脳への働きかけ方が異なり、少量であってもドーパミン系を破壊することが知られている。名門大学の研究だからといって、そしてそれがどれほど科学的に厳密な手順を踏んでいたからと言って、こんな些細なことでおかしな研究結果が出てしまい、それを信じてしまう人たちがたくさん生まれててしまうことには注意しなければならない。それよりもさらに大きな問題は、科学研究の仮説もアプローチも規定してしまうパラダイムをどれだけ客体化させ、パラダイムの罠や盲点に気付くことかと思う。

そのようなことを考えながら書物を読み進めていると、書籍からは知識を得たり、考察を得るだけではなく、自らの問いを立案するだけでも書籍を読んだ価値があるとみなせることに改めて気づいた。著者が取り組んでいる仮説や問いを一緒になって考えることも重要かつ面白いが、自分独自の問いをその場で立て、それについて考えることはさらに重要で面白い。即興的かつ創造的に生み出された問いこそ大切にして、それをリサーチノートに書き溜めていくことをこれからさらに習慣づけていこう。仮にその問いについて部分的に回答できれば回答していき、回答できないところまで来たらその問いを熟成させる。その間にきっと他の書物や論文を通じて得られた知識や観点がその問いの回答をさらに深めていくことに役立つだろう。即興的に英語で問いを生み出し、それに対して今の自分の知識や観点で即興的に英語で回答していくことは、今後の欧米での学術研究における基礎体力を養う上でも重要だ。フローニンゲン:2023/11/26(日)14:29


11421. 両親とのミーティングを終えて/自然物理的環境と社会文化的環境の重要性


時刻は午後4時を迎えようとしている。今朝は午前3時に起床し、そこからここまでの探究は非常に実りの多いものだった。今ここまでの探究を振り返っている。そこで、キッチン側の窓から小鳥がチチチと鳴く声がして来た。それは自分の心をホッとさせてくれ、柔らかい気持ちで内省をすることを促してくれる。

昼前に2ヶ月に1度の両親とのミーティングをZoomで行った。先日の兵庫県の出石(いずし)旅行の話を聞かせてもらい、この城下町にはいつか自分も足を運んでみたいと思った。今日の両親の話の中で特に印象に残っているのは、父が今は亡き愛犬の姿に似せたぬいぐるみをフェルトを素材として自分の手で作ろうとしていることである。その制作に向けて関連書籍と原料を購入しているようで、準備は整っているようだが、ここからもう少し書籍をレビューしてから実際に制作に取り掛かるとのことだった。父は非常に手先が器用なので、かつて自分で釣り用のルアーを作っていたように、立派なぬいぐるみを作り上げるのではないかと思う。今度一時帰国した際に完成したぬいぐるみを見れたら幸いである。母も元気そうで何よりで、その背景には最近足腰を鍛える器具を使い始めたとのことだった。食事や睡眠に加え、身体を鍛えることは年齢関係なく重要であり、高齢になればなるほどそれらの重要性は増すように思う。次回のミーティングは年明け後となり、ここからの2ヶ月間でお互いにどのような新しい学びがあるのかを楽しみにしたい。

そこから、自然物理的環境と社会文化的環境の重要性について考えていた。それらが重要なのは、どちらも情報の伝達機能あるいは触媒機能として働くからだとまず思った。私たちはそもそも情報的存在であり、環境から私たちへの働きかけと、他者からの私たちへの働きかけがそこにあり、良質な情報(ここで述べている情報はインターネットのニュースなどの具体次元の情報ではなく抽象次元での情報である)が私たちの深層的な変化や成長を促し、それらの働きかけは私たちの役割や感覚及び思考を形作ることを考えると、どのような自然物理的環境と社会文化的環境に属するかは自己の存在にとって決定的に重要だろう。自らが何者であるか、さらにはこれから何者になっていくかの決定的な要因として、インテグラル理論で言うところの下象限の2つの要素である自然物理的環境と社会文化的環境がある。それは自力の力を超えて、他力の力として私たちに働きかけてくる。それは呪縛のようでもあり、自己の可能性を花開かせる祝福をもたらすものでもある。ここから自分はどのような自然物理的環境と社会文化的環境に属することになるのか。それは予期できない側面もあるが、自らの意志で選択的に選ぶことも可能である。可能な限り自己を深め、自己を輝かせる両者の環境を選び取る努力をしたいし、それらを感じ取り、それらを引き寄せる感性を育みたい。フローニンゲン:2023/11/26(日)16:18

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