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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。
タイトル一覧
11137. 誕生日の朝の夢
11138. サイケデリック·スピリチャリティとスピリチャル・インテリジェンスの研究に向けて/悟りの状態と悟りの段階
11139. 学びの化身としての自己/「サイケデリック·トレーナー」としての自己
11140. 誕生日の朝に舞い降りた固い誓い
11141. 誕生日に開催した第52回のクラスからの学び
11142. グロスの世界の輝き/教師としてのシロシビン
11143. 舞茸を購入して/サイケデリクスの学びと実践を包括的に深めてくれるOSとしてのインテグラル理論
11144. 啓発し合う生きたアートとしてのこの世界/カナダとアメリカのシロシビンの規制の動向より
11137. 誕生日の朝の夢
時刻は午前7時を迎えた。今日は自分の誕生日なのだが、いつもと全く変わらない朝の世界が微笑ましい。自分を取り巻いているのは寒さと闇である。外部環境として寒さと闇がここにあるのだが、自分の内側はそれらとは対極的なもので満ちているように思う。情熱と光が自分の内側にある。それは自分の活動の根源であり、自己の根源でもある。そうした自らの根源に気づかせてもらう形で1日をスタートさせた。
誕生日の朝に見ていた夢は次のような内容だった。夢の中で私は、父と一緒にお互いの母校である日本の大学の近くの居酒屋に足を運んでいた。父が学生だった頃からその居酒屋はあったらしく、こうして親子が同じ大学を卒業し、学生時代によく使っていた居酒屋に一緒に行くというのは感慨深いものがあった。すでに父とは別の店で飲み食いをしていたので、そこが2軒目だったのだが、父はまだまだビールを飲みたいようだった。一方の私は久しぶりに酒を飲んだこともあり、少し眠くなっていた。まずはビールをお互い注文したのだが、店が大繁盛の様子でなかなかビールが出てこなく、私は喉の渇きと眠気の双方に襲われていた。ウトウトして眠りの世界に落ちそうになっていると、父が何も喋らず笑顔で私の様子を見守っているのがわかり、それに安心して少し眠っておこうと思った。するとビールが机に運ばれてきて、乾き切った喉を潤すかのようにゴクゴクとビールを飲んだところで場面が変わった。
この場面に似たものとして、以前の協働者のある方と一緒に餃子屋にいた場面があった。そこは美味い餃子をいろんな種類提供していて、その方のお勧めに従って餃子を美味しく食べていた。その中で今後の仕事内容についての話になり、私たちは再び新たな学問的な切り口で協働することになった。すると気がつけば、小中学校時代に一番背の高かった友人が近くにいて、彼が私に赤いTシャツをプレゼントしてくれた。それは大学の母校のカラーを彷彿させ、またこれから進学する大学院のカラーを彷彿とさせ、自分の色なのだと思った。その赤い色を眺めていると、不思議と内側から力が湧き上がってきた。そのような場面があった。
最後にもう1つ覚えているのは、世界中で人気のあるカードゲーム「マジック:ザ·ギャザリング」のデッキを構築していた場面である。今から対戦を行う予定になっていて、近くにいた数人に大会の主催者がカードを渡し、各々がデッキを構築していった。 私は女性の参加者を優先させ、彼女たちがカードを選んでデッキを作った後の余ったカードでデッキを作っていった。余り物のカードでのデッキ構築のため、勝てる可能性は低そうだったが、他のプレーヤーにこのカードゲームの楽しさを味わってもらえればそれでいいと思っていたので、気楽な気持ちでカードを選定し、デッキを構築していった。このカードゲームからはもう随分と離れていたので、最近のカードの特徴に慣れる必要がり、カードに表記された説明をくまなく見ていると、これからの戦いが楽しみになってきた。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/10/21(土)07:18
11138. サイケデリック·スピリチャリティとスピリチャル・インテリジェンスの
研究に向けて/悟りの状態と悟りの段階
時刻は午前8時を迎え、ようやく辺りが随分と明るくなった。日の出の時間は遅くなり、日の出を迎える形で朝の活動を始める自分がいる。今日は幸いにも昨日の雨風が消え、穏やかさの極致を体現したかのような世界が広がっている。遠くの空に朝焼けが見え始めていて、今日の天気の良さを物語っている。それはまるで自分の誕生日を祝ってくれているかのようで嬉しい。こうした自然からの祝福を受けながら、今後サイケデリック·スピリチャリティの研究を進めていくにあたっては、発達心理学領域のスピリチャル·インテリジェンスについての最先端研究の動向を見ておく必要がありそうだと思った。現代社会は「ライン絶対主義(line absolutism)」の誤謬を犯していて、特定の知性領域を過度に賛美し、その他の知性領域を貶める傾向が見える。その犠牲者になっているのが間違いなくスピリチャル·インテリジェンスであり、ヒッピームーブメントやヒューマンポテンシャルムーブメントで政治的に押し潰されてしまったサイケデリック·スピリチャリティと同じ轍を踏まないように、科学·哲学·神学の先端的な知見を動員する形での新たなサイケデリック·スピリチャリティの提唱をしたいと思う。こうした思いを持っている研究者や実践者は自分だけではない点が心強く、彼らと協働しながら現代のライン絶対主義の病を克服していきたい。今日はまずスピリチャル·インテリジェンスに関する書籍を引っ張り出してきて、それを読むことから探究を読み始めよう。
先日の第18回のシロシビン·セッション後にウィルバー ·コムズの格子を改めて眺める機会があった。その際に、サイケデリクスはその人の意識の重心を起点にして、格子図における横方向の全ての意識状態を開示させる力を持っている。とりわけ深い目撃者の状態や非二元の状態は、ウィルバーの言葉でいうところのスピリチャル体験に該当するが、それをスピリチャル·インテリジェンスという縦軸方向の構成概念と混同してはならない。確かにサイケデリクスは悟りの体験をもたらしてくれるが、それはあくまでも意識状態としての体験に過ぎず、悟りの段階という意識段階の現象ではないのである。そうした混同を避けなければならないことは何度も強調して述べておかなければならない。今後サイケデリクスの規制が変わり、多くの一般人がサイケデリクスを摂取し始めたときに、必ずこの問題は何度も生じるであろうからである。サイケデリクスを通じて悟ったというのは確かに意識状態から見れば誰に対しても起こり得る現象だが、それを恒常的な段階特性としての悟りの段階と混同してもらっては困るのである。サイケデリクスはデフォルト·モード·ネットワークの解体を通じて自我の拡張を引き起こすが、それが「自我の肥大化(ego inflation)」を引き起こし、倒錯した利己的な体験解釈をしてもらっては困る。そうした問題を整理し、そうした罠に陥らないための処方箋としてインテグラル理論と成人発達理論の枠組みがあることを改めて肝に銘じる。フローニンゲン:2023/10/21(土)08:29
11139. 学びの化身としての自己/「サイケデリック·トレーナー」としての自己
ーー全ての人間は生まれつき知ることを欲するーーアリストテレス
サイケデリクスについて無限に広く深く知りたいという思い。人間の意識について無限に広く深く知りたいという思い。無数の階層構造を持つリアリティについて無限に広く深く知りたいという思い。毎日のサイケデリクス研究はそうした思いに突き動かされている。どうやらアリストテレスが述べる人間に根源的な知るという欲求は本当らしい。自分は知ることに突き動かされた欲求を携えながら毎日の研究と実践にひたむきに従事している。誕生日の今日もまたいつもと変わらずに学びを深めている。自分の人生はこのように学びと絶えず共にあり、自己は学びの化身なのだ。
先ほどゼミナールの投稿コメント欄を見ると、ある受講生の方から先日のシロシビン·セッションに関する体験談のシェアに対してコメントが寄せられていた。それを読みながら、自らがサイケデリクスを活用した実践者として、ウィルバー·コムズの格子の全ての格子点を丁寧に辿り、治癒が必要な箇所は治癒をして、変容が必要な箇所は変容させていくという取り組みをしていきたいという思いを深めた。今のところ、ウィルバー ·コムズの格子は状態·段階に関する見事なモデルであるが、それぞれの格子点に具体的にどのような体験内容がサイケデリクスを通じて開示されるかについてはまだ誰も研究を進めていない。自分が1つ貢献したいことはこの研究かもしれない。ウィルバー·コムズのそれぞれの格子にサイケデリクスを摂取した際の具体的な体験内容が紐づいていると、サイケデリクス摂取者の良き見取り図になると思うのだ。それはサイケデリクスを提供するセラピストやコーチにとっての案内図にもなり、体験者のサイケデリクス体験の内容理解を促し、さらに追加で必要な介入方法などが見えてくることに役立つだろう。とりあえずウィルバー ·コムズの格子の図をデスクトップにダウンロードし、いつでも参照できる状態にしておこう。
コメントをくださった方の指摘でハッとさせられたのは、自分が「サイケデリック·アスリート」として自らサイケデリクスを摂取するだけではなく、「サイケデリック·トレーナー」として、サイケデリクスを誰かに提供することを通じて、その人の成長や学びを後押しする存在でもあるという側面があることに気付かされたことである。自分はひょっとしたら、セラピストやコーチというよりも、サイケデリクスを活用したトレーナーとしての役割を担うことをこの世界から求められているのかもしれない。トレーナーの早田航さんとの出会いの意味もそれで合点がつくし、航さんとのセッションを通じてこのような気づきが得られたこともまた深く腑に落ちる。フローニンゲン:2023/10/21(土)08:39
11140. 誕生日の朝に舞い降りた固い誓い
ーー存在することは変化すること。変化することは成熟すること。成熟することは終わりなき形で自己を創造していくことであるーーアンリ·ベルグソン
第52回のゼミナールの開始まであと45分ほどある。今朝は昨日よりも寒さは厳しくなく、雨風もなく平穏な朝の世界が広がっている。小鳥たちが清澄な鳴き声を奏でており、それは自分の誕生日を祝福してくれているかのように聞こえてくる。彼らのそうしたささやかな祝福が大きな祝福に感じられ、自己を超えた大きな祝福がここに顕現していると実感する。
先ほどからシンディー·ウィグルズワースの“SQ21: The twenty-one skills of spiritual intelligence (2014)”を2年ぶりに読み返している。ウィグルワースが発達心理学者のスザンヌ·クック=グロイターと共に行ったSQと自我の発達の相関関係を調査するという研究は非常に重要な試みかと思う。現在のサイケデリクス·ルネサンスの時代において、サイケデリクス研究の焦点はやはりフラットランド的な右側象限のものに偏りがちであり、本来治癒や変容に決定的に重要な役割を持つ意味領域、すなわち左上象限の研究は依然として乏しい状況である。自分がインテグラル理論や成人発達理論と出会った意味はおそらくこの分野に貢献するためなのだろう。サイケデリクス体験をライン·レベル·ステートの少なくとも3軸で見たときに、今のサイケデリクス研究には次元性がなく平面的である。レベルについての議論がないだけではなく、ラインについての議論もなく、唯一あるのは概念区分が未分化な状態でのステートの話だけである。ゆえに自分が取り組むべきことは、まずは宗教思想·神学思想における状態の概念区分と発達心理学における意識状態の概念区分を活用してサイケデリクス体験に伴う状態現象の整理を行うことをして、そこから現代が喪失しているスピリチャル·インテリジェンスという発達領域を設定し、その領域における高度を見ていくことをしたい。これについては後ほどHDSに提出する志望動機書とライティングサンプルにも明記しておこう。
ウィグルズワースは本書の中で、スピリチャリティを「自己を超えた崇高なものや高貴なものとのつながりを求める内在欲求」だと定義付けている。ウィルバーが提唱する存在の入れ子上、ありとあらゆる宗教が説く存在階層の思想から言えば、スピリットというものがマインドやソウルを超えたものであるところからもこの定義はかなり腑に落ちる。そしてウィグルズワースはスピリチャル·インテリジェンスを「内外の平穏さを携えて、叡智と慈愛を持って行動できる能力」と定義している。この定義もまた深く納得させられる。さて、こうした知性を持っている現代人は一体どれくらいいるだろうか。当然誰しもがスピリチャル·インテリジェンスをいくばくか持っているのである。しかし、それは依然として未熟な状態にありはしないだろうか。そんな問題意識から、この知性領域の重要性を投げかけたい。現代社会は依然としてスピリチャル·インテリジェンスを抑圧している状態であり、内外の平穏さを失い、叡智と慈愛が欠落した形で行動に駆動するような人間で溢れているのである。この状況を何度か改善したいという強く熱い思い。現在世界では戦争が各地で起こっているような状況であり、社会の分断が進む中、自らの名前に立ち還り、平穏さと平和を実現する研究として、サイケデリック·スピリチャリティとスピリチャル·インテリジェンスの提唱を行い、それに紐づく各種の具体的な実践に乗り出したい。そんな固い誓いが生まれた誕生日の朝である。フローニンゲン:2023/10/21(土)09:30
11141. 誕生日に開催した第52回のクラスからの学び
時刻は午後1時を迎えようとしている。正午にゼミナールの第52回のクラスを終え、先ほどいつも全く同じメニューの昼食を食べた。この日記を書き終えて少し即興作曲実践をしたら仮眠を取って、目覚めたら今日のクラスの振り返り音声を作成したいと思う。それが終われば散歩がてら中央市場に出かけてこようと思う。
自分の誕生日の日にゼミナールのクラスを開催できたことの有り難さと幸せを今噛み締めている。第1回から第52回までのこの1年間ずっとゼミナールにご参加いただいているある方から、ご自身の確かな成長についての話を聞かせていただいたことはとても有り難く、自らもまたゼミナールの受講生の方々とこの学習·実践の場から多くのことを学ばせてもらい、毎日着実に変化と成長を積み重ねてきたのだと実感した。
今日のクラスの中で印象的な話としては、橋としての、あるいは橋渡しとしてのサイケデリクス に関する話題だ。サイケデリクスは摂取者にとって、その人の今の発達段階と次の発達段階を橋渡しする役割や、その人がまだ気づいていない、あるいは見落としていた真実を橋渡ししてくれる役割を持つ。それ以外にも、自分の中ではサイケデリクスを通じて原点回帰とでも言えるような形でインテグラル理論や成人発達理論をもう一度見つめ直す機会を提供してもらっており、サイケデリクス体験を通じてそれらの理論で語られていることがこれまでにない解像度や深さで理解できるようになってきたことが大きい。今朝方の日記で書き留めていたように、例えば無限の可能性を持つサイケデリクス体験をウィルバー·コムズの格子を用いて解釈し直してみることによって、ウィルバー·コムズの格子についての理解がさらに深まったことなどを挙げることができる。
それ以外にも、今後サイケデリクスの規制が見直され、規制が整ってくると、サイケデリクスを提供する職業が生まれてくる際の提供者側の倫理とコンピテンシーの話も印象に残っている。倫理とコンピテンシーが重要なのは何も提供者側だけではなく、摂取者側にも求められることであり、摂取者の体験を聞く側にも求められる。ここにサイケデリクス·リテラシーを社会規模で高めていく重要性とサイケデリクス·教育の重要性が立ち上がってくる。
今日のテーマは、サイケデリクスと創造性·ヒーリング·経済に絡めたものであり、今後は政治·経済とのつながりからサイケデリクスについて考えることや、サイケデリクスとビジネスについても考えていきたいと思う。今のところ自分はサイケデリクスに関する学者·研究者としての立場を採用しながら、インテグラル理論と成人発達理論をコンサルティングに活用したかつてのように、サイケデリクス に関するコンサルティングサービスを企業や政府に対して提供していく役割を積極的に担っていきたいと思う。今こうしてゼミで日々サイケデリクスについての学びを深めているのは、そうした社会サービスの提供に向けた準備なのだろう。フローニンゲン:2023/10/21(土)13:06
11142. グロスの世界の輝き/教師としてのシロシビン
つい先ほど散歩がてら中央市場に行き、少し前に自宅に戻ってきた。自宅を出発した時には空は曇っていたが、市場に到着する頃には晴れ間が見え始め、自宅に戻ってくることには晴れ渡る空が広がっていた。
思い返してみると、先日のシロシビン·セッションはまだ5日前のことだったのだと驚く。どこかずっと前に行われたかのような感覚があり、時間感覚が変容していることがわかる。シロシビン·セッションの効果は緩やかに持続していて、散歩中にはどこか静謐さに満ちた至福さが内側から込み上げてくるような感覚があった。それは劇的なものではなく、とにかく静かで優しげな感覚であった。こうした自分の内側に染み渡り、滲み出てくるのが至福さの本質的な姿なのかもしれない。そのようなことを思いながらフローニンゲンの街を歩いていると、目に映るグロスの世界に感謝念が自然と生まれてきた。目に映る木々や道路、教会や建物などの建築物、肉体を持った動植物や道ゆく人たち。そうしたありとあらゆるグロスを備えた存在に畏怖の念を持ち、自分もまたそうしたグロスの創造物であるという自覚と共に、全てのグロスの創造物に対して感謝の念で一杯だった。
先日のシロシビン·セッションはその他にも、謙虚さ、学び、感謝、そして愛の4つの大切さを改めて教えてくれるような機会であった。とりわけ人は謙虚さを失ってしまうことがあり、傲慢な態度で学びを進めてしまったり、人に接してしまったりする。そうした傲慢さを自覚させてくれ、再び謙虚な在り方を取り戻させてくれる機会をシロシビン·セッションは提供してくれていた。そして、学び、感謝、愛の3つについてはさらに真相的な意味と真実を開示してくれるような場であったことを思い出す。つくづくシロシビンは自分にとって、とても大事なことを思い出させてくれる教師だと思った。そうなのである。シロシビンが何か新しいことを教えてくれるという側面も確かにあるだろうが、重要なことはそれが私たちがすでに知っているであろうことを深層的な意味として思い出させてくれることにあるように思う。プラトンは発達とは思い出すことであると述べていたが、まさにシロシビンは自分にとって大切なことを思い出させてくれ、発達を支援してくれるものなのだと改めて思った。ここから自分は定期的にシロシビンを摂取することによって何を思い出していくのだろうか。今自分は何を忘れていて、何を思い出す必要があるのか。人は忘れることを通じて社会生活を営む生き物であるが、思い出すことを通じて発達していく生き物でもある。シロシビンとはひょっとしたら、個人にとっても社会にとっても、忘れられた大切な記憶を思い出させてくれるものなのかもしれない。個人と社会のトラウマの治癒への活用や、忘れられた伝統を思い出し、大切にすることへの活用など、シロシビンの力にはまだまだ未知で奥深いものがある。 フローニンゲン:2023/10/21(土)15:07
11143. 舞茸を購入して/サイケデリクスの学びと実践を包括的に深めてくれるOSとしてのインテグラル理論
穏やかな午後の世界に佇み、晴れ渡る空をぼんやりと眺めている。先ほど中央市場から帰ってきた際に、自宅近くにいた小鳥たちの鳴き声の美しさを思い出す。それは耳に、いや存在全体に心地良く、彼らの鳴き声は自分の存在のエネルギーの波と共鳴し合っていた。
今日は中央市場で椎茸だけではなく、気さくな店員の女性の勧めもあって舞茸を購入した。その女性は以前にも「椎茸」という日本語意味を私に尋ねてきたことがあり、今日はその女性に「舞茸」の日本語の意味を紹介した。「舞茸というのは、“Dancing Mushrooms”という意味があるんですよ。その美味しい味に思わず踊ってしまいたくなるような意味から付けられた名前なんだと思います」と紹介すると、その女性は「なんて素敵な名前なのかしら」と述べていた。そんなやり取りをして購入した舞茸を今夜の夕食に味わってみる。舞茸は毎朝の複数のキノコの成分が入ったサプリの1つに含まれているのだが、一物全体としてこうやって実際の舞茸を食べることによって、よりその味と効能を実感できるだろう。
中央市場からの帰り道、改めてインテグラル理論という学びと実践の包括的なOSの有り難さを思った。今自分がこうして無限の広さと深さを持ったサイケデリクスを道を外さずに研究と実践ができているのもこのOSのおかげだと改めて思ったのである。自らのOSとしてのインテグラル理論の学びをこれからも継続させていきたいと思ったし、このOSを社会に実装させていく試みにも着手していかなければいけないと思った。それは一般人だけではなく、学術研究に従事するような人に対しても重要なことかと思う。サイケデリクス研究に従事する学者を眺めてみても、およそ統合的とは言えない世界観やアプローチでサイケデリクスを研究している人たちで溢れている状況を見ると、時代はまだまだ決して統合的ではなく、その一歩も二歩も手前にあることがわかる。そうした状況は各種の病理を悪化させたり、新たな病理を産むことにつながっている。それを鑑みて、少なくともまずは自分の持ち場を通じてインテグラル理論の考え方の枠組みを明示的に提示していくことはとみに重要であろう。その試みの最初の一歩は、サイケデリクス研究をする際にインテグラル理論の枠組みを活用し、執筆する論文の中でそれに触れていくことである。それがまずはサイケデリクス研究に従事する人たちへの啓蒙活動になり、少なくともサイケデリクスに対してインテグラル理論を用いて統合的に考えることを可能にする。また、一般の人々を相手に話をする時にも、できるだけ平易な言葉でインテグラル理論の基礎的な概念や考え方の大枠を伝えることを通じた啓蒙活動もできるだろう。こうした活動を通じて、自らのインテグラル理論の活用に関するOSそのものがどんどんと磨かれていくに違いない。これからもまたインテグラル理論を携え、その存在に感謝しながら学びと実践を深めていきたいと思う。フローニンゲン:2023/10/21(土)15:20
11144. 啓発し合う生きたアートとしてのこの世界/
カナダとアメリカのシロシビンの規制の動向より
この宇宙は、この世界は一大アートであるのと同時に、無数のアートで溢れていることを改めて感得する。1人1人の人間、全ての動植物、全ての人工物、それらが全てアートなのである。互いのアートが啓発し合い、また新しいアート作品が創発されてくること。この宇宙は、としてこの世界はそうした形で絶えず呼吸をして生きている。全ての存在が生きたアートであるという認識。それらのアートが相互作用してこの世界が成り立っているという認識。そんな認識が生まれたのもこの間のシロシビン·セッションのおかげだろう。
先日、ひょんなことから改めてカナダとアメリカのシロシビンの規制について調べていた。今の所、カナダの全州ではシロシビンは違法だが、カナダはすでにTHC入りのカンナビスを完全に解禁しており、カンナビスの中にはシロシビンのような内的ビジョンを知覚させてくれるものもあるので、そうした品種を選んで研究を進めていくのも方向性としてあり得るなと思った。それは自分自身がもしかしたらオタワ大学のサイケデリクスのプログラムに出願する可能性があることを考えた時に大事なことだった精神が活性化されるTHC入りのカンナビスがレクリエーション目的でも解禁されているカナダにおいて、次はシロシビンを含めた天然系のサイケデリクスが解禁される流れになっても全くおかしくなく、おそらくそれは近いうちに実現されるだろう。
まさにアメリカのいくつかの州がシロシビン、メスカリン、DMTといったサイケデリクスの脱犯罪化を越えて、合法化に向けて規制改革に乗り出しているのと見れば、カナダもまた似たような動きをする可能性は十分にある。シロシビンに目を向けると、アメリカにおいてシロシビンを脱犯罪化する動きは2019年のコロラド州デンバーから始まった。デンバーではその年の5月にシロシビンの脱犯罪化が実現された。その動きを受けて、カリフォルニア州のオークランドやサンタクルーズといった市でもシロシビンが脱犯罪化された。そこからその動きは他の州にも飛び火し、ワシントンDCやケンブリッジ市を含めたマサチューセッツ州のいくつかの市でもシロシビンが脱犯罪化された。現在マサチューセッツ州は、シロシビン、メスカリン、DMTの合法化に向けて動き出しており、来年あたりに合法化されるかどうかが最終決定されるらしい。その動向は注目に値する。その他にも、オレゴン州やワシントン州のシアトルなどでもいくつかの種類のサイケデリクスの脱犯罪化がすでに実現されている。オランダは幸いにもサイケデリクスに関しては寛容な政策を取っており、自分がオランダでの生活を始める遥か前からシロシビンは合法だったので、その摂取に何の後ろめたさもないが、これから別の国で生活することになった場合には、その国の規制を調べ、それを遵守することが必要である。各国の規制については今後も動向に目を光らせておきたい。そこからその背後にある政治的な動きも汲み取っていきたいと思う。フローニンゲン:2023/10/21(土)16:37
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