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10675-10679: フローニンゲンからの便り 2023年8月2日(水)



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成人発達理論とインテグラル理論を楽しく学んでいただける「成人発達コラボラジオ」を2023年7月14日より始めました。

タイトル一覧

10675. とても寒い夏/夢のコラージュ

10676. 肉体的な不死がもたらしうる実存性や霊性の涵養

10677. アクセルとブレーキ/イデオロギーとしてのテクノロジーと科学

10678. テクノロジー思想の育成

10679. 第13回の「成人発達コラボラジオ」の収録を終えて


10675. とても寒い夏/夢のコラージュ


時刻は午前7時半を迎えた。今、鳩がホーホーと鳴き声を上げている。その鳴き声を聞いていると、どこか気持ちが落ち着いてくる。平和の象徴である鳩が、平穏さの感覚をもたらしてくれている。


今朝はかなり冷え込んでいる。ここのところは連日寒い日が続いていて、およそ夏とは思えない。今も上はパーカーを着て、下は長ズボンに靴下を履いている。天気予報を見ると、ここからしばらく最高気温が20度に満たない日が続くようだ。最低気温も10度を少し超えたぐらいなので、毎日本当に肌寒い。月間の天気予報は精度が落ちるが、それを確認してみたところ、8月は1日だけ27度に到達する日があるぐらいで、その他の日は軒並み最高気温が20度前半のようだ。もしそうなら、それはそれで有り難い。自分はとにかく涼しさの中で自らの取り組みを前に進めたい。暑さは思考力を奪い、身体をだるくさせてしまう。


今朝方は断片的な夢を見ていた。複数の夢の場面がまるでコラージュ画を作るかのように1つに感じられる。それぞれの場面に対する記憶は薄い。そうした薄い記憶の破片が1つの夢の総体を構成しているかのような夢を見ていた。場面として覚えているのは、街で迷子になった子供を探す場面と、社会的な何かに対して憤りを感じている場面だ。どちらの場面でも自分は正義感を発揮し、問題の解決に当たっていた。今朝方の夢で覚えているのはそれくらいしかない。もしかしたらここから朝のルーティンに取り組む中で何か思い出すかもしれない。そうしたらそれらを書き留めておきたい。また夢の振り返りは単に日記として綴るだけではなく、即興演奏作曲の中にも溶け出している。朝に起床してすぐに作る3曲は、とりわけ夢の残り香が漂っている。夢の世界の様相がそこに溶け出しているのがわかることがしばしばある。早朝に作った3曲もまたそのような特徴を持っていたように思う。引き続き夢を様々な角度から振り返っていき、それらを自らの創造性と成長の種にしていきたいと思う。フローニンゲン:2023/8/2(水)07:44


10676. 肉体的な不死がもたらしうる実存性や霊性の涵養


ここ最近は米国トランスヒューマニスト党のポッドキャストを含め、トランスヒューマニズムに関して様々な角度から議論しているポッドキャストを毎日聴いている。先ほどもコーヒーを淹れながらポッドキャストを聴いていたのだが、そこでふと、死に関してある考えがよぎった。


トランスヒューマニズムにおいては、死の超克が掲げられているが、それはあくまでも肉体的な死にすぎない。仮に肉体次元で今よりもずっと長寿になり、不死が実現したとしても、精神次元における死を超克したことにはならない。幸か不幸か、肉体的に死ななくなったとしても、精神的には死に得るし、死の根源的な恐怖は残り続ける。逆に考えればこれは心の発達においては大変望ましい状況かもしれない。肉体的な不死を実現しながらにして、肉体的な死が存在しなくなったからこそ、死とはなんぞやということを深く考えさせられることになるかもしれないし、不老不死の実現前の文化において語られていた死の物語や残された映像などから、死というものが人間に恐れられていたのだという事実を目の当たりにして、自分にはもはや体験できなくなった死という未知なるものについて考えさせられることになるかもしれない。そしていつの日か、肉体的な死を超克したとしても、マインドやソウルの領域では死に得ることを自覚し、それが引き起こす実存的·霊的な格闘がその人をさらに成長させることが考えられる。そのように考えてみると、トランスヒューマニズムが志向する肉体的な死の超克というのは人間をダメにするようなものではなく、むしろ肉体的な死が当たり前だったこれまでの人間が直面しなかったようなより深い実存的·霊的課題を突きつけることによって、意識の進化を促すことにつながるかもしれない。


肉体的に不死が実現したとしても、死の意味は骨抜きにされることはない。むしろ死の意味はより強化されるのだと思う。それが人間の実存性や霊性をこれまでにない形で深める契機になりうるかもしれないということについて考えていた。フローニンゲン:2023/8/2(水)08:39


10677. アクセルとブレーキ/イデオロギーとしてのテクノロジーと科学


人間の成長·発達に関する成人発達理論を学び始めた頃は、その理論が持つ正の側面に強く焦点を当てて探究をしていた。それはまるでアクセルを獲得するかのような試みだった。一方で、トランスヒューマニズムを含め、テクノロジー哲学の領域の探究においては、科学やテクノロジーの進歩に対する負の側面に強く焦点を当てて探究を開始したように思う。それはまるでブレーキを獲得するかのような試みだった。今は、前者に関してはブレーキも獲得し、後者についてはアクセルも獲得できている状態である。だからこそ人間の成長·発達と科学·テクノロジーの進化について積極的な発信をし始めているのだと思う。アクセルだけでも、ブレーキだけでもその試みはうまくいかない。アクセルとブレーキの双方を兼ね備えて初めて、社会変容につながるような発信やアクションが生まれてくるのだと思う。


随分と前に印刷していたヨルゲン·ハーバマスの“Technology and Science as “Ideology” (1968)”という論文を読み始めた。この論文のタイトルにあるように、テクノロジーも科学もある意味イデオロギーの産物である。テクノロジーと科学に関するトランスヒューマニズムも、1つの思想運動であり、それもまた1つのイデオロギーとみなすことができる。しかしながら、ハーバマスの指摘にあるように、おそらくテクノロジーも科学もどこまでいってもイデオロジーの枠組みから脱出することはできないのではないかと思う。研究者には固有の思想があるし、研究コミュニティーにも固有の集合的思想がある。おそらく人間は何らかのイデオロギーの体系を持つことを宿命づけられているのだと思われる。そうした不可避なイデオロギー性を認めた上で、行うべきことはより包括的·包摂的な、そしてより真善美が深く体現されたイデオロギーに基づいたアクションなのだと思う。そうなってくると、トランスヒューマニズムというある種のイデオロギーが進むべき道が明らかになっているし、このイデオロギーのディスコースを追っていると、この分野の研究者·実務形が向かっている方向は悪くないように思えてくる。


もう1つ、ハーバート·マークーゼが「解放のためのテクノロジー」という思想を掲げていたことを思い出す。マークーゼは、支配とテクノロジーが癒着してしまっている状況に対して問題意識を持っていた。現代のテクノロジーの中で、政治·経済的に影響力のあるSNSを含め、一部のテクノロジーは確かに支配とテクノロジーが癒着してしまい、テクノロジーが支配の道具に成り下がっている。そうした状況を冷静に見つめ、その癒着を克服していく試みに従事していこうと思う。フローニンゲン:2023/8/2(水)09:13


10678. テクノロジー思想の育成


雨が天から降り注ぎ、それが滴る音が聞こえてくる。午前中も充実した時間感覚が自分の内側を満たしてくれていて、自己はその豊かな時間感覚を通じて呼吸をしている。


テクノロジー哲学に関する論文や書籍を午前中に読み返しているのだが、改めてこの分野はトランスヒューマニズムに関する活動を展開していく上でも重要であろうし、科学とテクノロジーに関する公共政策の立案においても非常に重要であると感じている。昨日に注文した19冊の書籍もテクノロジーに関するものがあるが、テクノロジー哲学の分野は引き続き継続して探究を進めていき、深い知識と思想を形成していこうと思う。それが今後の自分の探究と活動を大きく下支えしてくれるだろうし、探究と活動を大きく前進させてくれる駆動輪になるだろう。


雨脚が随分と強まってきた。もう数時間は強い雨が降り続けるようだ。


ここからテクノロジー哲学の探究を進めていくにあたっては、再度ハーバート·マークーゼやヨルゲン·ハーバマスの思想を参照し、そこから彼らの思想を含んで超えているアンドリュー·フィーンバーグのテクノロジー思想を探究していく。様々なテクノロジー思想家の考え方に触れては内省し、触れては内省しを繰り返していく。そうすることによって、徐々に自分の内側に包括的なテクノロジー思想が育まれていく。逆に言えば、そうした形でしか自分の思想は育まれていかない。それはゆっくりとした有機的なプロセスとして育まれていくものなのだ。


テクノロジー思想の形成過程の中で、個別具体的なテクノロジーを具体例として考えながら思想を育んでいこう。そしてそれと同時に、抽象化したテクノロジーに対してその内在性質を考察していくことを心掛けていく。フローニンゲン:2023/8/2(水)11:10


10679. 第13回の「成人発達コラボラジオ」の収録を終えて


時刻は午後4時を迎えた。今日は断続的に雨が降る瞬間があったが、今は雨が止んでいて、穏やかな世界が目の前に広がっている。それを象徴するかのように、鳩が遠くでホーホーと鳴いている。


先ほど、第13回の「成人発達コラボラジオ」の収録を終えた。気がつけば、もう13回を迎えていたのだと驚く。放課後セッションとして行っている振り返りの収録を合わせると、もう26回ほどの回数を重ねている。


今日の本編の収録では、より良いファシリテーションの実現に向けた取り組みの話から、インテグラル理論の4象限について深掘りしていくような話題が出てきた。さらには、「フラットランド」という重要な概念についてもコンテクストを変えて改めて取り上げてみると、そこから新しい意味を紐解けることを味わせてもらうような回だった。また本編の冒頭では、筋力トレーニングに関する自分の課題や問題意識を早田航さんにシェアさせてもらう形で、有益な示唆を提供してもらったことは収穫であった。


続く放課後セッションも充実しており、本編と同じく1時間を越す話となった。そこでは個人個人にあった筋力トレーニングや食実践の話題を中心として、今後はアニメや芸術作品を成人発達理論やインテグラ理論の観点から紐解いていくことも行っていこうという話をしていた。気がつけばあっという間の時間で、2時間半ほどの充実した収録なった。自分でも今日の2本の収録内容を早速聞き直してみて、次回の収録につなげていきたいと思う。フローニンゲン:2023/8/2(水)16:24

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