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10492-10495: フローニンゲンからの便り 2023年6月17日(土)



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タイトル一覧

10492. 今朝方の夢

10493. 今朝方の夢の続き

10494. オンラインゼミナールの第34回のクラスの振り返り

10495. 庭仕事をしながら考えていた協働的即興演奏の可能性について


10492. 今朝方の夢


時刻は午前6時半にゆっくりと近づいている。気がつけば、今週もまた週末を迎えていた。今朝方は最近にしては珍しく、朝日が見えず、空にはうっすらと雲がかかっている。気温は15度で肌寒いが、書斎の窓を開けて換気している。ここから空の雲が晴れていき、あと数時間後には快晴の空が広がるとの予報が出ている。日中には24度まで気温が上がるそうなので、今日もまた暖かく、それでいて快適な1日になるだろう。


今週もまた週末を迎えたということで、今日は週末の始まりとしてのゼミナールのクラスがある。今日は第34回のクラスとなり、世界の宗教の死生観を扱うのは今日で最後だ。次回からは日本人の死生観をテーマにしていく。クラスが始まるまでの時間はいつものように、GREの対策を少々行い、残りの時間は全てメタ倫理学の書籍の読解に充てていこうと思う。音声ファイルを作成しながらの読解は最良のアウトプットも兼ねた学習効果の高い実践になっていて、毎回1つ以上の学びを感じられることから生まれる成長実感もある。この感覚を大切にしながら、毎日着実に学術書の読解を進めていこうと思う。


鳩がホーホーと鳴く声を聞きながら今朝方の夢を振り返っている。夢の中で私は、前職時代のオフィスにいた。自分の席は、他部門の仕事に対して最も厳しいと言われるシニアマネージャーの後ろの席にあって、その方とは背中合わせではないが、斜めの関係にあった。その日に就業開始時間を数分過ぎて出社すると、その方が怒っていないかが気になったが、幸いにも特に怒っていないようだったのですぐさま自分の席に着いて仕事を始める準備に取り掛かった。と言ってもパソコンを立ち上げるだけで、そこからすぐにコーヒーを淹れにいこうと思った。すると左隣に座っている先輩の女性から声を掛けられ、仕事の依頼かと思った。正直今日は特に仕事もせずにゆっくりとオフィスで時間を過ごしたかったので、先輩に声を掛けられた時には面倒な仕事を振って欲しくないなと思った。すると、仕事の話ではなく、海外オフィスの面白い人の話をしてくれた。話題に上がったのは77歳のメキシコ人のメンバーだった。その方は過去にメールのCCで名前を見かけたことがあり、以前から気になっていた存在だった。その方がまさか77歳の年齢で、今もなお現役で働いていることに驚いた。その方の面白いエピソードを聞いた後に、一応今日何かやるべき仕事がないかを手元のメモを見て確認した。今のところ急ぎでやることは何もなかったので、今日はゆったりとした気分でオフィスで過ごそうと思った。朝の目覚めのコーヒーを淹れに行ったところ、鼻水が出そうだったので鼻水をまずかんで、コーヒーをカップに注ごうと思ったら、カップを机に置き忘れていることに気づき、再びそれを取りに戻ろうと思ったところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2023/6/17(土)06:36


10493. 今朝方の夢の続き


依然として空にはうっすらとした雲がかかっているが、小鳥たちが美しく鳴き声を上げているのはいつもの朝と同じである。今朝は曇っているせいか、2階の両側の窓を開けていると、結構肌寒く感じられる。この日記を書き終えたら窓を閉め、そこから朝の呼吸法と動的ストレッチを行おうと思う。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、その他にもいくつかの断片的な夢を見ていたので、それらについても振り返っておきたい。まず覚えているのは、有名な日本人のプロ格闘ゲーマーの方から格闘ゲームの指導を受けている場面があったことである。その方は私よりも少し年上で、日本の格闘ゲームの旗振り役でもあった。第一線で戦うプロの方から指導を受けられるのは大変嬉しいことであり、ゲームが上手くなること以上に、その方との話が自分にとっては楽しかった。その方との対話を通じて得られたことを日常生活に活かしていこうと思ったところで場面が変わった。


次に見ていたのは両親と暗い山道を歩いている場面である。私たちは山間にある旅館に宿泊しており、夕食後に散歩に出かけると、辺りがすっかり暗くなっていた。ほぼ真っ暗の状態になっていて、山道だったのでなおさら暗く感じた。後ろから車がやってくると、そのヘッドライトですぐに気付くことができ、車を避けるために父は右の方に寄り、その後ろを歩いていた私はどういうわけか左の方に寄った。私の後ろを歩いている母は私と同じく左の方に寄った。車が何事もなく通り過ぎて行くと、旅館のある場所まで帰って来た。旅館は父が歩いてた右側にあって、坂道を少し登ったところにあった。旅館に向かって坂道を登り始めたところで場面が変わった。


最後に見ていたのはホノルルを舞台にした場面である。そこで私は南国の感じを満喫していて、その日は天気が良かったので釣りに出かけようと思った。波止場に到着すると、釣り人は全くおらず、好きな場所で釣りができると思って嬉しくなった。いざルアーを海に投げようとした時に、そう言えばこの辺りは人喰いサメが結構頻繁に目撃されていることを思い出した。まさか小さなルアーにサメが食いついてくることはないかと思ったが、万が一のことを考えておこうと思った。もしサメがかかったら釣り上げて、2度と人間を襲わないようにそのサメを生かしておくわけにはいかないと思った。そのような場面があった。フローニンゲン:2023/6/17(土)06:52


10494. オンラインゼミナールの第34回のクラスの振り返り


時刻は午後1時半を迎えた。早朝こそうっすらとした雲が空を覆っていたが、今はそれが嘘のように雲ひとつない青空が広がっている。見事な青空を眺めながら、そしてホーホーと鳴く鳩の鳴き声を聞きながら、ゼミナールの本日のクラスの内容を振り返っている。第34回の今日のクラスでは、武士道と祖先崇拝を扱う予定だったが、その予定から嬉しい形で脱線していき、身体性と身体実践の話が中心的になった。私たち対人支援者自身がどのような身体実践を行なっているか、そして身体性に関する理解を深めていくための学習をどれだけ行なっているのかを改めて問い、その重要性とこれからについて話し合った。ゼミナールではこのように、クラスの予定した議題に必ずしも沿うのではなく、お互いがその瞬間に重要だと思っている旬な課題意識·問題意識をシェアする形で進行していく柔軟性がある。そしてそれは自分にとっては即興性のある共同学習場が形成されているという点にといて本当に有り難く思っている。


クラスの中でも即興性の話題が出てきて、その時の話をもとにすると、今日からの即興実践もまた色々と新たな工夫ができそうだと思った。箏の演奏に関しては、とにかく基礎的な技術を疎かにせず、1つ1つの技術に日々磨きをかけていき、その中でその瞬間に表現を待つものを表現していく試みに従事し続けていきたい。よちよち歩きの今を楽しみながら、将来二本足で立って歩き回って見える景色を楽しみにしたい。カリンバの即興演奏においても同じであり、基礎的な技術を自分なりの工夫を通じて技術向上を日々図って行く過程で、絶えず記録として即興演奏を音の形にしていく。


ここから仮眠を取って、午後からも引き続き学術書の即興読解·即興解説を音声ファイルの形にして行くことに従事していく。それもまた一つの芸としての次元まで技術を高めていき、その芸が将来誰かを喜ばせたり、幸福にさせたりする形で発揮されることを心の底から願ってやまない。フローニンゲン:2023/6/17(土)13:36


10495. 庭仕事をしながら考えていた協働的即興演奏の可能性について


時刻は午後5時半に近づいている。先ほど近所のショッピングモールに行き、そこのオーガニック製品を扱っている店でプロテインやその他の必要とするものを購入した。買い物から帰ってきた時に、玄関先のレンガ畳みに雑草が結構生え始めているのを見て、雑草の手入れをしておこうと思った。来週末からプラハ·ミュンヘン旅行が始まるので、その前に玄関周りを綺麗にしておこうと思ったのである。今日も結局雲ひとつない空に恵まれ、夕日を浴びながらの雑草抜きは結構楽しかった。筋力トレーニングで体を動かすのとはまた違った喜びがそこにあった。つくづく私たちの幸福の源泉とは身体的なところにあるのだと感じる。精神的な幸福感の根元はやはり身体にあるのだと改めて思う。


雑草抜きをしている最中と買い物からの帰り道の双方で、これからの即興演奏について内省をしていた。確かにその瞬間の自分に立ち現れる内的現象を即興的に音の形にしていくことはこれからも続けていきたいが、重要なのは即興性を発揮することが他者の幸福に繋がるかどうかであることを主目的としている自分にとっては、相手のその瞬間の内的現象をいかに即興的に音の形に表現できるかをより高い目標に掲げて即興性の技術を磨いていきたい。そうなると、単に演奏上の技術を上げるだけではダメであり、相手の内的現象を共感的に掴み取っていく能力を高める必要があり、それを音の形に表現していくことが重要なのだ。相手の表情や相手の話す声を聞いて、相手のその瞬間の内面世界を把握して、それをまずは箏を通じて表現したい。他者の内面世界を音を通じて表現することを通じて、音を通じた癒しと変容が起こり得るきっかけになるのではないかと思う。例えば実験的に、今日のゼミナールのクラスに参加してくださった方々とのやり取りを思い出しながら、それぞれの参加者の方のその瞬間の内面世界を想像し、そこに共感的に没入して、相手の内面世界からin-outに音を通じてその世界を即興的に表現すると何が起こるのだろうかと大変気になる。今夜の箏の演奏ではそれにトライしてみたいと思う。それぞれの方が何を話していたのかを思い出し、何を感じていたのかを想像することから始めてみよう。こうした相手がいて初めて成り立つ協働的即興演奏の技術をじっくりと磨いていこう。その芸がいつか人々を喜ばせ、幸福感を感じてもらえることを祈りながら。フローニンゲン:2023/6/17(土)17:29

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