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10485-10488: フローニンゲンからの便り 2023年6月15日(木)



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タイトル一覧

10485. 今朝方の夢

10486. 今朝方の夢の続き

10487. 骨からの動きと武術の身体操作を意識して

10488. 即興的な読解と即興的な解説/苦難と使命


10485. 今朝方の夢


時刻は午前6時を迎えた。今、燦然と輝く朝日を拝んでいる。朝のこの時間帯はいつも書斎に朝日が差し込み、それを額に受けることができるという恩恵に預かっている。この恩恵は本当に有り難く、朝日はその日の自分にエネルギーをチャージしてくれているかのような感覚をもたらす。また、啓蒙の光を世界にもたらすべく、自分にその力を授けてくれているような気がする。朝日が当たる場所が場所だけにそのようなことを思う。


昨日にGREの最後の模擬試験を受けたので、今日はGREの対策は軽めにする。単語の復習ぐらいに留めるつもりである。一方で、学術書の読解については旺盛に進めていき、今取り扱っている仏教倫理に関する書籍の解説の音声ファイルを積極的に作り、それをゼミナールの方に共有していきたいと思う。アウトプットを意識してというよりも、アウトプットしながら書籍を読むことの大きな効果を実感している。この恩恵にもっと前から気付いておけばと思うが、今それを明確に気づくことができ、それが習慣になりつつあるので全く問題ない。人はいつからでも出発できるのだから。今日は午後にジムに行くが、それまでの時間の大半は仏教倫理の学術書の読解とそれに伴う音声ファイルの作成に充てたい。


今朝方の夢でまず覚えていることを書き留めておきたい。夢の中で私は、小中学校時代の友人(KS)とあるゲームをしていた。それはどのようなゲームかというと、古文書のような古く希少性のありそうな地図を眺め、そこから高麗大学を探すというものだ。最初私たちは、高麗大学は韓国の大学だと思っていたが、一瞬北朝鮮の大学かと考え直すような瞬間があり、しかし高麗大学は韓国の名門大学だと考えを改めた。いざゲームを始めてみると、意外とすぐには見つからず、如何せん地図上の表記が読みにくかったので、高麗大学を発見することは難航した。友人はふざけて、手で地図を隠してこちらに見えないようにしながらゲームを進めていたが、私はそれを気にせず、彼が手を動かした後にその下にあった場所も一応確認しながら対応した。すると、高麗大学らしきものを私の方が先に見つけた。友人にそれを指摘し、果たしてそこが本当に高麗大学なのかどうかを確認しようということになった。というのも、文字の雰囲気からするとそこは高麗大学のようだが、確証はなかったので、実際にそこに行ってみることにした。すると、タイムスリップをし、その地図が制作された頃に戻る形で、地図上のどこかに私たちはいた。そこから高麗大学だと思われるところに一緒に向かうことにした。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/6/15(木)06:26


10486. 今朝方の夢の続き


時刻は午前6時半を迎えた。洗濯機が回る音が聞こえてくる他に、小鳥の鳴き声が小さく聞こえてくる。今日はキッチン側ではなく、庭の方から彼らの鳴き声が聞こえてくる。そこにはフレディさんが作った巣箱がある。そこで生活をしている小鳥が鳴いているのだろう。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ続きがあるのでそちらについても振り返っておきたい。夢の中で私は、見慣れない町にいた。そこはもしかしたら1つ前に見た韓国を舞台にした夢と同じ場所かもしれないと思う。その町の大きく立派な市民ホールにいた。そこで私はあるミッションに従事していた。それは、イタリアの王子の護衛をするというものである。私は王子の近くに絶えずいたわけではなく、むしろ王子とは距離を取って、王子を狙う者から身を守るということをミッションとして与えられていた。王子を狙おうとしている者は凄腕のスナイパーとのことだったので、遠距離で王子を狙っている者はいないかと目を光らせていた。するとそれらしき人の気配を遠くに感じ、そちらの方を見ると、人の姿は確認できなかったが、確かにそこにいる何者かが王子を狙っているのだと分かった。それに気付いた私は、すぐさまその何者かがいる場所に向かった。するとホールの席で今行われている大学の授業らしきものを全く聞かずに、目の前の空席に足を放り出して何か独り言を呟いている人を見かけた。よくよく見ると、それは小中学校時代の1学年上の先輩だった。その先輩はやたらとドラえもんの漫画について詳しく、ドラえもんの道具に関する蘊蓄を語ることで有名だった。そんな先輩がなぜそこにいるかは不明で、またまるで酩酊者のような形で大学の授業を聞かずに独り言を呟いているのかも謎だった。一応私は先輩に声をかけたが、反応は全くなく、先輩は自分の世界に入ったまま、引き続き独り言を述べていた。


そのような場面があったことを思い出す。この場面の後には、やたらと汗をかいているような感覚をもたらす場面があった。随分と体を動かし、かなり汗をかいたように思えたので、服を着替えることを考えた場面があった。その直後に目覚めると、少し寝汗をかいたかもしれないと思うぐらいに身体が熱かった。こうして夢日記を毎日綴っていると、それが自分に小さな治癒と変容のきっかけを与えてくれていることを感じるのだが、それ以外にも何か自分の内側に起こっているのかもしれないと最近思うようになっている。その何かはまだ明確な言葉になっていないが、その何かが自ずから言葉の形になるように、自分にできることは愚直に夢日記を綴っていくことだけである。フローニンゲン:2023/6/15(木)06:43


10487. 骨からの動きと武術の身体操作を意識して


時刻は午後5時を迎えた。つい先ほどジムと買い物から帰ってきた。今日もまた天気がすこぶる良く、雲一つない快晴に恵まれていた。道ゆく人たちの格好や公園で寛ぐ人たちの姿はもう夏のそれである。自分もまたジムの行き帰りは半袖半ズボンの身なりであり、夏を満喫している。今の気温は26度で、ここから少しずつ気温が下がっていくようだ。2階の両側の窓を開け、吹き抜けていく心地良い風を感じている。


今日のジムでのトレーニングは確かにグロスボディの涵養を目的にしながらも、サトルボディの鍛錬の意識が絶えずあった。また軸を意識したトレーニングも意識的に行った。それは軸を形成していくトレーニングであり、軸を起点にして動きを起こす鍛錬でもあった。また、骨盤の可動領域を観察しながら、その可動力を活かしてフックパンチを繰り出す練習も行っていた。筋肉から始動させるのではなく、まさに骨から動きを導き、骨の力を借りるような身体操作については引き続き意識していきたい。筋力トレーニングのインターバルの時間を使って、サトルボディの涵養を行うべくエネルギーの流れを意識したり、軸の形成や骨から身体を動かしていく身体操作を今後も取り組んでいきたいと思う。まさに武術の叡知を体現した身体鍛錬をこれからはより一層意識したい。過去に購入した書籍を読み返したり、日本から取り寄せた武術に関するDVDを見返してみようと思う。それもまたGRE後の楽しみとしたい。


今日はジムに知り合いはおらず、珍しく誰ともほぼ喋らず黙々とトレーニングをしていた。唯一話をしたのは、見知らぬ男性とダンベルバーの場所を譲り合うシーンだった。彼は自分がオランダ語を話せると思い込んでいるようであり、終始オランダ語で話しかけて来たが、自分は完全には彼の言っていることは理解できなかったが、なんとなく話の全体を掴んで、彼にその場所を譲ってもらう形でダンベルバーを用いたトレーニングをしていった。そのようなことを思い出しながら、今後は武術の身体操作に関するDVDを見返すだけではなく、筋力トレーニングについての動画も色々試聴してみて、より筋肉に効かせる動きやフォームを自分なりに研究していきたいと思う。もちろん週に1度のエリーザとのパーソナルトレーニングでは随分と色々なことを教えてもらっているが、彼女任せにするのではなく、自分なりに筋力トレーニングについてのノウハウを研究してみようと思う。フローニンゲン:2023/6/15(木)17:25


10488. 即興的な読解と即興的な解説/苦難と使命


時刻はゆっくりと午後8時を迎えようとしている。先ほど夕食を食べ終えた。今日は筋力トレーニングをしていたこともあって、いつも以上に夕食が美味く感じられた。味覚というのもどうやら身体の状態と大きく関係しているらしいことがここからもわかる。


今日は、午前7時半から気がつけば4時半半ほど午前中に音声ファイルを作成しながら学術書を読み進めていた。そしてジムに行く前と帰ってからも音声ファイルを作っていて、6時間半ぐらいの時間をかけて音声ファイルを作成していったことによって、気がつけば仏教倫理に関する書籍も残すところあと1章になっていた。入浴までまだ時間があるので、最後の章についても即興的に読解し、音声ファイルを作ってしまおうと思う。そうすれば、明日からはメタ倫理学に関する書籍を扱うことができる。予定としては、 “The Routledge Handbook of Metaethics (2018)”を扱う予定だ。今読み進めている仏教倫理のハンドブックシリーズは31本の論文が掲載されていて随分と多いなと思ったが、明日から読む予定のメタ倫理学のハンドブックシリーズの書籍には42本の論文が掲載されていて、数としてはさらに多く、内容としてもより難解な印象を受ける。なので明日からどのような形で読解を進めていき、何をどの程度まで解説していくのかを考えたいと思う。いずれにせよ、即興的に読解をして、即興的に解説を加えていくプロセスを楽しむことは変わらない姿勢として持ち続け、何をどれくらい深く読むのかの調整を行っていきたい。


自分に課せられた使命。今日はそれについて考えていた、とりわけ自分が直面する苦難の中に自らの使命の種が埋まっているような気がしていた。苦難を使命として受け入れることを通じて、自己は絶えず前に進めているような気がしてならない。そう考えると、今の自分が直面している苦難とはなんなのだろうかと考えさせられる。これまでの自分は不条理な事柄に幸か不幸かあまり直面していない。本来は、苦難はそうした不条理な出来事として立ち現れてくる側面があるように思える。穏やかな夕日に照らされた木々の葉がそよ風に揺れている様子を眺めながら、苦難と使命について改めてぼんやりと考えていた。フローニンゲン:2023/6/15(木)19:58

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