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103016-10322: フローニンゲンからの便り 2023年5月9日(火)



No.4732 光の波の層_Layers of the Waves of Light


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本日の3曲


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タイトル一覧

10316. 今朝方の夢/意思決定と可能世界

10317. GRE対策の進捗とここからの流れ

10318. 今朝方の夢の続き

10319. 読解の精度を高めていくこと

10320. 本日の鈴木規夫さんとの対談セミナーを振り返って

10321. 真善美が十全に体現された選択的判断を希求して

10322. 幸せの交差/功利主義に関する先端研究への関心


10316. 今朝方の夢/意思決定と可能世界


時刻は午前6時を迎えようとしている。今、空にはうっすらと雨雲が覆っていて、昨夜の雨により、しっとりとした世界が目の前に広がっている。昨日は夕食の準備を始めるぐらいから雨が降って来た。それもかなり強い雨で、風はなかったのでまっすぐ天から地面に降りてくるような雨だった。この雨によって、植物たちはより発育していくのではないかと思う。


今、梅の木のある方から小鳥の鳴き声が聞こえて来た。その鳴き声に耳を傾けながら、今朝方の夢について振り返っている。夢の中で私は、日本で卒業した大学のキャンパス内を歩いていた。そこは確かに母校なのだが、雰囲気が少し異なっていて、深い緑に覆われていて、まるで森のような雰囲気があった。森の中にある大学というのはなかなかなく、自然から力を分けてもらいながら学問に打ち込める環境は自分にとって大変有り難かった。しばらくキャンパス内を歩いていると、学部は違うが密かに師事していたある教授に出会い、先生に話し掛けた。すると先生は私のことを覚えてくださっていて、そこから歩きながら色々な話をした。私の卒業した高校から同期として3人ほどこの大学に進学したことを伝えると、先生は驚いていて、よく田舎の学校からここに3人も同時に来れたねと述べた。確かにその通りだなと思いながら、自分でも先生にそのように述べながら、果たして本当に3人も同時にこの学校に来たのかと疑問に思ってしまった。私の脳裏には中学校時代の2人の男女の友人が思い付き、2人が同じ大学に自分と同タイミングで入学したと思っていたが、私の錯覚かもしれないと思った。この点についてはまた改めて確認しようと思ったら、先生はどこかに消えていて、目の前には引き続き深い緑の森が広がっていた。そのような夢を見ていた。


この夢を振り返りながらふと、現実世界における無限の可能世界と選択について考えていた。現実世界においては無限の可能性が絶えず共存していて、そこから私たちが1つの選択をすることにより、世界が1つ確定し、その新たな世界でも無限の可能性が目の前に開かれている。どのような意思決定をするかはどのような新たな可能世界に入るか、および自分のどのような可能世界を新たに作っていくかを決める。1つの意思決定が、1つの新たな世界を作るということを考えると、日々の意思決定の1つ1つの貴重さと重要さが浮かび上がってくるし、1つの意思決定を行う際の神妙な感覚が増す。今日もまた自分はどのような意思決定をして、どのような可能世界を新たに作っていくのか。それがとても楽しみである。フローニンゲン:2023/5/9(火)06:10


10317. GRE対策の進捗とここからの流れ


朝の小鳥たちの静かな鳴き声に耳を傾けながら、今日の計画を立てている。今日は午後から雨が降るようで、その雨脚の強さを見て、市場に行くかどうかを判断しよう。雨脚が弱いようであれば、散歩がてら雨の降るフローニンゲンの町を散歩することを楽しみたい。それ以外には、今日は正午から知人の鈴木規夫さんとの対談イベントがある。それはとても楽しみで、どのような話になるのか今から期待感が募る。その他の時間はGRE対策に充てていこう。日々対策を進めていくことで、順調に進んでいる。verbalセクションに関しては、公式ガイドブックの模擬試験の問題を昨日から解き始め、模擬試験は2つしかないので、明日か明後日からは、verbalセクションに特化した公式問題集に取り掛かれるだろう。そちらには150問ほどの問題が掲載されているが、この問題集も数日あれば終わると思う。そこからは、ETSの公式サイトにある対策講座を受講したい。そちらには数学の問題を合わせて600問ほど問題があるようなので、それらの問題を全て解き終わる頃には相当力が付いているのではないかと思う。問題の難易度を峻別する速度や解答していくアプローチの精度の向上しているに違いない。数学のセクションに関しては、まだもう少し公式問題集の解説と問題が残っているが、その対策もverbalセクションとほぼ同じようなペースで進んでいる。こちらも公式ガイドブックを終えたら、数学のセクションに特化した問題集に進み、こちらも同様に150問の問題が掲載されているので、verbalセクションの対策の息抜きとして着実に問題を解いていく。


ライティングセクションの対策は、昨日から新たな工夫を施したので、さらに有意義な形で進み始めた。今のやり方で、issueエッセイとargumentエッセイの全ての問題の模範解答を読んでいき、それが1周したら、今度は問題の形式ごとにまとめて模範解答を読み進めていくことにしたい。そうすれば、問題のパターンごとに対応した文章の組み立て方や解答上の表現がよりインプットされるかと思う。3周目からはおそらくそろそろアウトプットの時期と重なるであろうから、出題頻度の高い問題から自分なりの解答を実際に書いていくということを行いたい。全てのセクションに対して言えることだが、試行錯誤しながら対策を進める中で、対策の進め方を適宜軌道修正しながら絶えず自分の脳を刺激するような形で学習を進めていきたいと思う。フローニンゲン:2023/5/9(火)06:26


10318. 今朝方の夢の続き


火曜日の静かな朝の世界が継続している。緑化された車庫の上にはもう随分と草が生えて来ていて、緑化の進展を見る。そもそもこの緑化の作業が行われていたのは昨年の冬の時期で、そのときには当然ながら何も生命が芽吹いていなかった。そこから今に至る過程の中で、着実に成長していた植物たちの姿を心眼を通して想像している。


今朝方の夢の続きを書き留め、今日もまた楽しみながらGRE対策を進めていこう。夢の中で私は、外国と日本が混ざったような不思議な土地にいた。そこは雰囲気として外国なのだが、国としては日本のようだった。そこで私は見知らぬ数人の大人たちと一緒に町の郊外を散策していた。奇妙なほどに人はおらず、人間の姿は私たちだけしかなかった。そんな場所を歩いていると、桟橋の残骸を見つけた。それは確かに残骸だが、劣化は進んでおらず、むしろまだ綺麗な形を残していて、その周りには花壇があった。すると突然、私の左横にいた男性が何かを察知したようで、まるで犬が何かの匂いを嗅ぎ分けて地面を掘るかのように、目の前の花壇を掘り始めた。幸いにもそこには花が植えられてなかったので、花を傷つけることはなくてホッとしたのだが、一体この人は何が目的で突然花壇の土を掘り返し始めたのかと思った。するとその男性は、「やっぱりあった!」と大きな声で叫んだ。何が見つかったのかと覗いてみると、出て来たのは人骨だった。しかも相当に大きく、胴体周りの人骨だった。私はそれを見てギョッとしたが、その男性曰く、ここらにある花壇にはまだまだ人骨が埋まっているとのことで、今から発掘作業をしようということになった。しかし、どこからどう見てもそれは考古学的な観点での人骨ではなく、すなわち遥か昔の人間の骨ではなく、比較的最近の人間の骨で、きっと殺人事件の被害者の骨だと思った。周りにいたその他の人たちと顔を見合わせると、とりあえず警察に連絡しようということになった。花壇を離れて土手を上がって行くと、そこに高校時代の背の高いサッカー部の友人がいた。彼がこちらに向かって笑顔で声を掛けて来て、今から車で送ってくれるという。私は人骨が見つかった不気味なその場を一刻も早く離れたかったので、彼の車に乗せてもらうことにした。車中で彼と話をしている時に、最初はその人骨の話で持ちきりだったが、どういうわけかそこからは、自分が大量に所有している本を効率良く電子化して、また次の生活拠点で電子化した書籍を物理的な書籍に復元できる画期的な技術について教えてもらった。どうやらそれは3Dプリンター技術と何か別の技術の掛け合わせて実現されるとのことだった。そこからは、彼が明日から福井県に行くらしく、そこで彼の父と合流するという話を聞いた。そこで彼から、先日私が福井県で訪れたお勧めの美術館の名前を教えてほしいと言われ、その名前を改めて調べて彼に教えた。彼は嬉しそうな笑顔を浮かべ、「ぜひそこに父と行ってみるよ」と述べたところで夢から覚めた。フローニンゲン:2023/5/9(火)07:16


10319. 読解の精度を高めていくこと


時間を気にせずに解いたという前提条件を加味しないといけないが、公式問題集のverbalセクションの問題を解き終えたところ、25問中20問の正解で、これは5年前と比べてかなり正答率が高い。しかし、間違えた問題を個別に見ていくと反省点があり、間違えた5問のうち2問は、受験者の正解率が50%を超えるものだった。今回のセットではなんと読解問題は1問しか間違えておらず、それは喜ばしいことだが、間違えた問題が語彙の問題でかつ正解率が70%を超えるものだったので、こうした問題は落としてはならない。前後の文章をきちんと読んで、コンテクストに合致する意味を選択するべきこの問題では、単語の辞書的な意味に引っ張られてしまったことが不正解の原因かと思う。GREの問題はとにかく与えられたテキストの解答の根拠があるので、コンテクストに合う語彙を選択する問題においても、テキストにその解答根拠を絶えず求めるようにして、自分の思い込みで単語を選ばないようにしたい。その他、50%を超える正解率の問題で間違えてしまったのはtext completionの問題で、これは自信を持って答えた分、間違えた衝撃は大きく、なぜ間違えたかというと、ここでも自分の思い込みがあったからであるが、解説文を読んでも語彙のニュアンスとして非ネイティブだとその誤答を選んでしまうのも仕方ない側面もあったように思う。こうした非ネイティブだと語感的に一歩踏み込めないような領域の問題はある意味捨て問として割り切ってしまってもいいかと思うが、語彙の感性を高めていく努力はこれからも怠らずにできるだけ行っていこうと思う。


少し時間を空けて、2セット目の模擬試験の読解問題部分だけを解いてみた。すると今回は残念なことに、読解問題でいくつか誤答があった。誤答の数は確かに5年前よりも少ないが、やはり反省点がある。今回間違えたくなかった問題は、あるセンテンスの目的を問うもので、ここは2つの選択肢で迷い、迷って選んだ選択肢のセンテンスの中に実はパッセージで書かれている事実と反することが書かれていたことに気づかなかった。ここでもまたしっかりとパッセージの内容を理解することと、選択肢のセンテンスで書かれている意味をしっかりと把握することの大切さを思う。間違える問題はいずれも読解の精度が甘く、往々にして選択肢の意味を不十分に汲み取っていたり、パッセージの内容理解に抜け漏れがあることが多い。今はまだ精度を高めていく時期なので、速度にこだわらず、パッセージだけではなくて選択肢の意味も精度高く理解できるように心掛けていこうと思う。とにかく大事なことは、パッセージも選択肢も注意深く読んで、その意味を正確に汲み取ることである。それはとても王道的なものであり、それが結局読解問題の正答率を高めることにつながる。フローニンゲン:2023/5/9(火)09:28


10320. 本日の鈴木規夫さんとの対談セミナーを振り返って


時刻は午後4時を迎えようとしている。先ほど中央市場に散歩がてら買い物に出かけ、雨が降る前に帰ってくることができた。昨日にジムでのトレーニングを行っていて、そのため代謝が上がっていたこともあって、帰りはジャケットを脱いで半袖で歩くことができた。そして、家に着く直前ぐらいにポツポツと小雨が降り始め、本当に良いタイミングで市場に行けたと思う。家の門を開けようとした時に偶然にも、敷地内の車庫を借りている中年の男性が自転車で現れ、その男性が同じジムに通っている人だとわかって少し立ち話をした。こうした何気ない交流が生まれること、そして見えないところで人的ネットワークが形成されていることに改めて不思議さと感謝の念を持った。


さて今日は、正午から知人の鈴木規夫さんとの対談セミナーがあった。今回もアントレプレナーファクトリーさんにご支援いただいてこうした場を設けていただいたことに本当に感謝している。自分が今この瞬間に感じている事柄や問題意識を共有させていただき、それに対して多くの方から反応をいただける機会には感謝してもしきることができない。この日記を書き終えたら、セミナーに参加してくださった方向けに、2つか3つほどの補助音声ファイルを作成したいと思う。


対談を終えて、あえてこの日記で書き留めておきたいことはなんだろうか。1つには発達を美学的·倫理的な枠組みでどのように考えていけばいいのか、そのためには自分は何をするべきかが見えたことだろうか。結局のところ、まずは美学的·倫理学的な発想の枠組みを獲得せねばならず、それはインテグラル理論や成人発達理論を学んだ時にも辿ったプロセスであり、これに真っ先に着手する必要がある。その時、これまでと違うのは、それを1人で行うのではなく、多くの同志となる方々と一緒に学びを深めていくことである。こうした共同学習はすでに毎週末のゼミナールで実現されていることであり、それを今後も兎にも角にも長い目で継続させていくことをしていきたい。


もう1つには、相対主義的な罠を乗り越えて、美学と倫理学をどのように実践に落とし込んでいけばいいのかのヒントをもらえたことだろうか。少なくとも自分の日々の所作や言動を美学と倫理学の観点で絶えず見つめ直していくことから始めてみよう。それはとても小さな実践だが、そこから出発する必要があるように思う。自分のその言葉は美しいのかどうか、その言葉は善を体現しているだろうか。そうした問いかけを絶えず反省的かつ内省的に問い続け、自分なりの価値学的思想を育んでいきたいし、それが体現された人格的成熟を遂げていきたいと思う。日々の言葉と振る舞いを美学的·倫理学的に問うということ。そのスモールステップを今日からより一層意識して取り組んでいきたいと思う。フローニンゲン:2023/5/9(火)16:04


10321. 真善美が十全に体現された選択的判断を希求して


夕刻を迎え、今、静かに降り注いでいる雨の風情を味わっている。それはとても趣深く、小鳥の鳴き声と相まって、心を深く落ち着けてくれる。


今日の対談セミナーの中で、真善美の話題が挙がった。改めてそれについて考えてみると、自分は日々の1つの1つの選択判断を最大限可能な限り深く真善美が体現された形で行いたいのだと思う。それは今朝方書き留めていた日記にあるように、自分の1つの選択的意思決定が1つの新たな可能世界を作るからである。自分の中のミクロコスモスは、自分の選択によって絶えず新たに生誕していくのである。新たな世界ないしは宇宙を生み出す自分の選択的判断を真善美ができるだけ十全に体現されたものであって欲しいと願うのは決しておかしなことではないのではないかと思う。それは自分と他者に対する慈愛に満ちた在り方なのではないだろうか。そのようなことを改めて考えていた。


そこから自分は、理性と感性の両輪をこれからなお一層磨いていくような学習と実践を心掛けていきたい。理性で語れる限りのことを語っていき、理性で語り得ぬことを深く味わい続けていくような在り方を実現させていきたいものである。哲学者のウィトゲンシュタインが述べた「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」という言葉に付け足すのであれば、「語り得ぬものについては沈黙し、それを深く感じなければならない」という言葉が妥当であろうか。理性の感性の双方の涵養と、それら双方の相互作用がこれからの自分の中で静かに起こっていくであろう。


現在、倫理学の探究と宗教における倫理思想を探究し始めている。カントの倫理学を大陸系と括っていいのかわからないが、ドイツを含めたヨーロッパ大陸における倫理学に合わせて、英米系の倫理学も当然ながら深く探究していきたい。今の自分はこうしてヨーロッパにいるが、再びアメリカで学術研究をするかもしれないし、イギリスで今後探究生活を送ることも十分考えられる。そしてさらにはヨーロッパ大陸に再び戻って来て生活を送ることも十分あり得ることを考えてみた時に、自分はそれらのどちらの倫理学も深く修めることを宿命づけられているのかもしれないと思う。こうした新たな使命の発見というものが今の自分に起こっていることに驚く。しかしながら孔子の言葉で、「五十にして天命を知る」というものがあるように、今の年齢で天命の1つを授かったというのはとても有り難いことなのかもしれない。この天命を全うできるようにこれからも精一杯精進していこうと思う。そんな心持ちであり、風情ある雨の中で晴々とした気持ちに包まれている。フローニンゲン:2023/5/9(火)19:33


10322. 幸せの交差/功利主義に関する先端研究への関心


何か今日は筆を取って、徒然なるままに自分の内側の感覚や思考を言葉にしてみたいような気分である。時刻は午後8時を迎えようとしているが、この時間帯のオランダはまだまだ明るい。確かに今は天から小雨が降っているのだが、それは恵みの雨に見えるし、光の雨に感じられる。そこに花を添えているのが、小鳥たちの鳴き声である。昨年の冬の段階で、オーナーのフレディさんが手作りで小鳥たちが休めるような小さな小屋を木の上に作り、春になると、そこに本当に小鳥たちがやって来て、彼らが安心して寛いでいる姿を見ていると、とても嬉しくなる。昨日偶然家の敷地内でペイトラさんに会うことがあって、そこで話をしていたのだが、小屋に休んでいる小鳥たちは猫などから襲われることもなく安心してそこに留まることができているとのことだった。小鳥たちの幸せと自分の幸せが交差していることを感じながら、ベンサムの「最大多数の最大幸福」という考え方について考えていた。最近は様々な倫理学理論を学んでいて、今は多様な理論を大きな見取り図に整理しながら探究を進めていこうとしている段階だが、その中でベンサムのその言葉に代表される功利主義というのは1つ重要な倫理的思想である。今となっては、功利主義における幸福の定量化を通じて生み出された数量的功利主義は経済学や政治においても大きな役割を発揮している。大学時代に習った経済学について思い出してみると、効用を定量化し、それに基づいて議論が進んでいく経済学の土台には、ベンサムの功利主義的発想があったのだと遅ればせながら気づく。当然ながら効用をどのように定量化するのかは本来慎重を期すべきであるし、そもそも効用を含め、幸福が定量化できるのか、仮にできたとしてもそれを本当にある限定的な尺度や基準によって定量化してしまっていいのかという規範的な問題も存在する。そうしたことを踏まえた上で、功利主義には分厚い研究的蓄積があることがわかったので、夏の書籍の一括注文の際には、英米功利主義の伝統を振り返り、最先端の議論を追ってみたいと思う。


今日の午後に街の中心部に向かっている最中に、いつも通り過ぎる古書店の前で、今度この古書店に時間を作って立ち寄って、倫理学の書籍で何か良いものがあればそれを購入したいと思った。同様のことを、この7年間ほどお世話になって来た町の中心部の古書店でも行いたい。そこの店主のセオさんはいつも気さくに話し掛けてくれ、書籍を見つけるのを手伝ってくれる。以前は美学の書籍を購入する際にそれが置かれている棚を教えてもらい、店にある書籍の全てを購入させてもらった。同じことを今度は倫理学に関しても行いたいと思う。


話を再び功利主義に戻すと、そこでは最大多数の最大幸福が大前提になっているが、最先端の功利主義においては、マイノリティーの幸福についてはどのように扱われているのかは注目に値する。これは政治的にも重要なテーマかと思う。マイノリティーの幸福そのもの、そして彼らの幸福に対する価値観や権利はどのように扱われるべきものとして捉えられているのかを含め、功利主義は1つ大いに注目するべき倫理思想である。フローニンゲン:2023/5/9(火)20:06


本日の自由詩(free verse)

No.2944, Morning Privilege

Every morning, I’m bestowed with a morning privilege.

All I can do in return is to contribute to the world in my way.

Groningen; 07:00, 5/9/2023


No.2945, A Shadow as a Friend

A shadow can be my friend.

Or I probably should always make it my friend.

Groningen; 10:50, 5/9/2023

No.2946, The Gifted Progeny

We are the gifted progeny of the talented progenitor.

Once we fulfill our mission, we will be an ancestor of future descendants.

Groningen; 20:39, 5/9/2023

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