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10265-10269: フローニンゲンからの便り 2023年4月29日(土)



No.4699 国王の日_The King’s Day


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本日の3曲


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タイトル一覧

10265. 調整/今朝方の夢

10266. 今朝方の夢の続き

10267. 謎の体調不良に見舞われて

10268. 今朝方の夢がふと思い出されて/泡沫性と宇宙

10269. 文明への醒め


10265. 調整/今朝方の夢


時刻は午前8時半を迎えた。今、朝日が燦然と地上に降り注いでいて、その祝福を受けて小鳥たちが鳴き声を上げている。今朝の目覚めは遅く、ゆったりとしていたのだが、目覚めた時に朝日が部屋に降り注いでいる姿を見て、その恵みに感謝していた。朝日を眺めているだけで、身体が喜んでいるのがわかる。


旅から帰ってきて、昨日と今日は少しまだ調整の期間のようだ。昨日は午後にジムに行って、身体を動かしながら調整をしていった。一方今日は、午後に散歩がてら町の中心部の市場に行って買い物をしてこようと思う。こうした形で少しずつ心身をこの町での生活に調整していく。この調整を省くことなく、さらには焦ることなくゆっくりと再度この町での暮らしを始めていければと思う。旅は高揚感と共に、新たな町に訪れるのであれば見えない形での緊張感があるものである。また、普段暮らし慣れている家ではなく、ホテルで生活することもまた微細な緊張感をもたらしているはずだ。それを受けて、旅から帰ってきたら数日はゆっくりすることが大事かと思う。GREの対策も焦らずにゆっくりと始めていこう。今日は午前中から正午にかけて、ゼミナールの第27回目のクラスがある。もう少しで30回の節目を迎える。日本教について扱うのは残すところ今日と来週のクラスまでである。再来週からは世界の宗教の死生観を学んでいく。全6回をかけてそのテーマを扱った後に、引き続き今度は日本人の死生観について全6回をかけて学んでいく。死生観について理解を深めたいと思ったのは、発達には発達上の死が付きものであり、それに加えてトランスヒューマニズムが死をどう扱うかと密接に関わったものだからである。


今朝方は、今の自分の心の状態を表すような夢を見ていた。夢の中で私は、肉体的な癒しだけではなく、心の癒しも求めているようで、癒しのサービスを提供する店にいた。そこでは若い女性たちが癒しのサービスを提供していて、客は男女共に多かった。その店は宮殿を改築したような雰囲気を持っていて、とても華やかだった。待合室もまたとても綺麗で、待っている間には飲み物が提供された。待合室でしばらく待っていると、聞き覚えのある声が聞こえてきて、声の主を見ると、前職時代の同期の男性だった。彼とまさかこんなところで再会するとは思っておらず、私の名前が呼ばれそうだったので彼とは少しだけ会話をした。待合室で待っている人の名前が次から次へと呼ばれていく中で、次は自分の番かなと思うことが何回か続き、結果的に私が呼ばれたのは最後の方だった。午後2時から予約していたはずなのだが、時計の針は午後3時を回っていた。サービスを受ける部屋に案内されると、そこもまた華やかな感じがあったが、同時に落ち着きも感じさせる部屋だった。癒しのサービスを提供してくれる女性はどこかで見たことがあるような気がしたが、それも気のせいかと思い、気にせずにサービス内容の話に耳を傾けた。2時間のサービスを受けることになっていて、サービス後、自分はきっと十分に癒しを受けた状態で新たに蘇っているのではないかとほのかな期待を抱いていた。そのような夢を見ていた。フローニンゲン:2023/4/29(土)09:04


10266. 今朝方の夢の続き


眩いばかりの朝日が地上に優しく放射している。それを受けて喜ぶ地上の存在者たち。自分もまたその1人である。今日のフローニンゲンは天気は良いようだが、気温に関しては依然として低い。最高気温は13度で、最低気温は3度とのことである。明後日の月曜日は18度まで気温が上がるが、明々後日の最高気温は10度と、平均すれば13度ぐらいの最高気温の日々が続く。


先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、夢にはまだ印象的な続きがあるので、それについても振り返っておきたい。夢の中で私は、今住んでいるフローニンゲンの町にいた。ちょうど家の前の通りを歩いていて、背後に何か違和感があったので振り返ると、そこに3mぐらいの体長を持つオオトカゲがいた。それは人も食べるオオトカゲなのだが、普段はとても大人しい。よく見ると、オオトカゲの背中の上に何かが乗っていて、これまた2mぐらいはありそうなオレンジ色の毒蛇がそこにいた。オオトカゲと毒蛇の組み合わせに驚いてしまったが、彼らを刺激することなくゆっくりと距離を取っていこうと思った。恐る恐る足を前に進めていくと、うまく彼らと距離を取ることができて、彼らに襲われることなくその場を去ることができた。すると、近所のオランダ人の中年女性が私に話しかけてきたので、オオトカゲと毒蛇のことを伝えると、この辺りで時々出没するので困っているとのことだった。するとその女性はすぐに警察に通報して、オオトカゲと毒蛇の駆除を依頼した。結局警察も駆除などはできず、できることと言えば、それらを別の場所に誘導することぐらいだった。だが、オオトカゲも毒蛇も人が住むところを好んでいるようで、別の場所に誘導されてもまた今回のように町に戻って来るようだった。


オオトカゲと毒蛇の組み合わせという何か凄いものを見たという感じで自宅の門の前に到着すると、門の向こうからカレーのいい香りが漂ってきた。隣人のインド人のサハルのお母さんがインドから来ていると話を聞いていたので、きっとサハルのお母さんがカレーを作っているのだろうと思った。門を開けると、サハルの家のキッチンのドアが開いていて、そこからカレーの香りが漂って来ていた。するとサハルがドアから出てきて、申し訳ないが、サハルのお母さんが近所に荷物を持っていくのを手伝ってくれと言われた。私はいつもサハルにはお世話になっていたので、その申し出を承諾した。しばらくサハルの家の中で待たせてもらうことになり、家の中に入ると、大学時代のサークルの友人がいて、彼が子供用のキーボードを使って音楽を奏でている姿が目に入った。彼は地べたに座って熱心に音楽を奏でていて、彼は近くで演奏しているサハルの友人たちの音楽に音色を合わせているようだった。彼があまりにも音楽の世界に没頭しているように見えたので、話しかけることはせず、私はその場にいて彼の音楽にただただ耳を傾けていた。曲が終わった時に私はハッとして、サハルのお母さんを手伝う前に、荷物を自宅に置いておこうと思った。サハルの家を出ようとしたその瞬間に、2人の女性に呼び止められ、名前を教えて欲しいと言われた。私も彼女たちの名前を知らなかったので、名前を聞いて連絡先を交換しようと思った。ところが彼女たちの名前のスペルがやたらと複雑で、1回で聞き取れなかったのでもう一度確認させてもらった。しかしそれでもスペルに自信がなく、もし間違った名前で登録していても別にいいかと思って、そこからすぐに自宅に戻って荷物を置いた。フローニンゲン:2023/4/29(土)09:25


10267. 謎の体調不良に見舞われて


爽やかな風が吹いている。家の両側の窓を開け、2階に夕方の爽やかな風が通っている。その風はどこからやって来て、どこに行くのか。それは誰にもわからないが、そのことに意識を向ける自分がいる。自分の人生もまたこの風のようなものなのだろう。


今日は珍しく体調が優れない。イタリア旅行の疲れだろうか。ローマとフィレンツェの気候はフローニンゲンと随分異なることもあって、旅の疲れに加えて身体がその適応に少し困っているのかもしれない。さらには、旅行の前までIELTSというハイステークな試験に向けて勉強していて、それが無事に終わったことによる解放感と、次に受けるこれまたハイステークな試験であるGREに向けて再度緊張が生み出されていることもまた体調不良との関係性がありそうである。それに加えて、一昨日にオランダ永住権を獲得したという知らせと昨日に愛犬が天国に召されたという知らせを受けたことも今日の自分の体調に影響を与えているように思う。午前中から正午まで行われていたゼミナールはなんとかなったが、クラスを終えた途端に頭痛が増し、吐き気がしたのですぐに仮眠を取った。3時間ほど仮眠を取って体調が随分と回復したので、先般出版した書籍に関する租税条約の締結文書を編集社に送るために近所のコピー屋に足を運んだ。国際郵便のための切手を貼ってもらい、コピー屋の目の前の郵便ポストにそれを投函した。それ以外にもコピー屋では、フィレンツェ滞在中に購入したGREに関する5冊の対策本を受け取った。5年前は確かETSの公式ガイドブック1冊と単語集1冊だけで試験に臨んだが、今回はETSから出版された全3冊の公式ガイドブックに加え、3冊の単語集、そしてverbalセクションに関しては追加で2冊の問題集を購入し、ライティングに関しても2つのパートそれぞれに対して細かな対策指導をしている書籍を購入した。本日受け取ったのはそのうちの5冊である。なので今回は、10冊の対策本を用いてGREに向けて学習を進めていくことになる。対策本の数を見ても、今回自分がどれだけGREと真剣に向き合っているのかわかるし、GREの対策を通じてこの機会にアカデミック英語を一段と高めたいという思いを持っていることも窺える。GREの対策を本格的に再稼動させるのは明日からとし、今日はゆっくりしようと思う。後少しやることがあるのでそれを終えたら、ゆっくり入浴して早めに就寝したい。フローニンゲン:2023/4/29(土)16:18


10268. 今朝方の夢がふと思い出されて/泡沫性と宇宙


突然やって来た頭痛と吐き気が収まり、今夜は夕食を食べることなく断食して体調の回復に努めようと思っていたが、お腹が空いて来たのでバナナとオートミールを食べた。今の自分の様子を見ていると、随分と体調が戻ったようだ。吐き気はもう全くないどころか、頭痛も止まってまた日常の自分の体調に戻った。体調の悪さは今日のいっときの現象だったのだが、あれは何だったのだろうかと考える。あの現象を引き起こした要因は複合的なものだと既にある程度分析ができているが、重要なのはあの症状が何を自分に伝えようとしていたのかということである。そのメッセージを汲み取ることはまだ難しい。症状が自分に語りかけてくれたこと、それに虚心坦懐に耳を傾けたい。


時刻は午後7時に近づいている。この時間帯になって、今朝方の夢の続きを思い出した。夢の中で私は、奇妙な外国人チューターから次の学期で取り上げるコースリーダーについての説明を受けていた。そのチューターは友人でもあったので、気を遣わずに会話ができたのだが、1つ奇妙だったのは、彼が小さなスーツケースの中に入っていたことである。洋服1枚を畳んで収納するぐらいの大きさのスーツケースの中に彼は体を収めていて、スーツケースの中から私と会話をしていた。声は不思議ととてもクリアに聞こえたので何の問題もなかったが、自分がスーツケースに向かって話しかけている姿を他の人が見たらどのように思うのだろうかと考えると少し笑みが溢れた。彼に尋ねた質問は、次の学期に履修するあるコースの課題図書が何かということだった。彼に質問をする前から、私はそれを早く読んでおきたかったので、すでに完全版のテキストを購入していた。ところが実際のコースでは完全版を読むことは要求されておらず、要約されたダイジェスト版が使われるとのことだった。完全版を購入しても価格として大したことはなかったが、もっと早くそれを知っていれば、自分はコースリーダーを購入することを通じて、完全版を購入したお金を他の書籍の購入に充てたかもしれないと思った。そのような夢を見ていたことを思い出す。


午後に近所のコピー屋に向かう最中に、昨日の阿世賀淳さんとの対談についてまた振り返りをしていた。生きることそのものが創造的な営みに他ならないということ。生きることそのものが創作であり芸術であるという話題が特に印象に残っている。何か今日は太陽の光があったからという理由だけではなく、その理由を超えた形で世界が輝いて見えた。あれだけ体調が悪かったが、3時間仮眠して目覚めた後に外に出てみると、太陽の眩しさ以上に全存在の眩しさを感じた。それは生命の輝きであって、存在の輝きだったのだと思う。そして全ての存在の個別的な輝きに加えて、それらが総体となった全的な輝きに自分は打たれていた。自宅の庭のタンポポ、道ゆく人たち、家の門、石畳の通り。それらにも生命があり、それらもまた立派な存在者である。それらの存在者は未来永劫この物理的世界にいるかというとそうではない。端的には、時間のスパンに差はあれど、全ては泡沫的存在なのだ。存在が持つこの泡沫性。それが命の本質であり、輝きの源泉なのだろう。不老不死が実現された世界において、この泡沫性はどうなってしまうのだろうか。この世界は、この宇宙は、泡沫性の連鎖で進化している。ある命が役目を終え、次の命にバトンを渡していくこと。大なり小なり全てがそのような形でこの宇宙の進化に寄与している。存在の泡沫性を欠いた状態でこの宇宙は生成と流転を実現させていくことができるのだろうか。自らのコスモロジーが何かまた新たなものに書き換えられつつあるのを感じる。今日という1日にも生命があることを忘れてはならない。今日という1日もまた固有の存在者であること。自分はこのようにして、自分以外の無限の存在者と共に生きているのだということが、沈黙を伴う深い感謝の念と共に実感される。フローニンゲン:2023/4/29(土)19:04


10269. 文明への醒め


人間が作り上げた文明からの卒業の時期を迎えたのかもしれない。そんな言葉が降って来た。確かに今も、そしてこれからも、自分は人間が作り出した文明の恩恵を受けていくだろう。しかしながら、文明の諸産物に対して盲目的な自己はもう存在せず、より自覚的な意識の中でそれらに付き合っていくであろう自己が芽生えているのを感じる。先般のイタリア旅行を終えて、旅行の最中にも気付いていたが、人間が生み出したものへの関心が随分と減退している自分がいるのである。悠久の時を経た歴史的建造物は確かに畏怖の念を抱かせた。偉大な芸術家たちが生み出した諸々の芸術作品にも心が打たれたことは確かである。しかしながら、今の自分はそうしたものに醒めの感情を抱き始めているのもまた事実である。何か自分は大切な過渡期にいるのかもしれない。冷たい目ではなく、醒めた目で文明を眺め、文明に触れていくということ。これからの自分はそれをより意識的に行っていく必要がありそうだ。


それを受けて、やはり次回の旅行は文明が体現された大きな都市ではなく、何か歴史的な建造物や美術館に行くという目的ではなく、豊かな自然で寛ぐということだけを目的にした旅に出かけるのも本当にいいかもしれないと思っている。トーマス ·マン、ヘルマン·ヘッセ、ニーチェが避暑地として選んだスイスのシルス·マリアはその最有力候補であり、今年の年末はヴィトゲンシュタインが『論理哲学論考』を書き上げるために籠もったノルウェーの山に行ってみて、そこで過ごすのもいいかもしれない。文明の諸産物を見に行くためではなく、ただそこで静けさの中で時の進行を楽しむような旅をしたいものだという気持ちが芽生えている。確かにこの秋にはボストンに行くという明確な予定があるが、ここからは少しずつ自分の中で旅の意味合いと様相が変わってくるだろうと思う。こうしたところにも自分の中での確かな変化を感じる。フローニンゲン:2023/4/29(土)19:19


本日の自由詩(free verse)

No.2915, Seeking for Placidity

My soul seeks placidity.

Groningen; 09:56, 4/29/2023


No.2916, In a Tranquil Wind

It is true that the wind is sometimes harsh.

Yet, it is often benign to us.

Now, I’m embraced by a tranquil wind.

Groningen; 19:57, 4/29/2023

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