1511. 時の流れとモーツァルトの楽譜
今日も気付けば早いもので夕方の時刻を迎えた。時に自分がその日に何をしていたのかがわからなくなってしまうほどに、時間が過ぎ去るのが早く感じる。 学術研究と作曲実践に今日も取り組んでいると、気付けば一日が終わりに近づいていた、というのが毎日の感覚である。その日に自分が何に取り組...
1471. 多文脈的熟成学習
今日はなぜだかいつも以上に充実した一日だったと感じる。特に何かいつもと変わったことはないのだが、どうしたわけか充実感が内側から滲み出してくるのだ。 夜の八時に近づき、夕日が東の空にもう少しで沈みそうだ。一日の最後の光を拝んでいると、今日一日の充実感がさらに強く感じられてくる...
1392. おぉ、そこには偏西風
ポツリポツリと雨が降り始めた。午前中に小雨が降って以降は、比較的天気が安定していたのだが、夕方からまた天気が崩れ始めた。 毎日思うのだが、天気を観察するのは実に面白い。天気の変化から学ぶことが多々あるからだ。 天気を観察するというのは、特に、天気の変化を捉える自分の内側の世...
1387. 変化と知識の網の目について
早朝、イマヌエル・カントの“Critique of Pure Reason”を音読している時、一つの記述に立ち止まった。改めて考えてみると、一つの現象が変化するというのは実に不思議かつ奇妙なことのように思える。 変化というのは、前の状態と異なる状態に移行することを余儀なくさ...
1321. 映像と情感を喚起する文章・ウィルバーの最新刊・人口知能に関する協働プロジェクトへ向けて
夕方に、嵐のような突発的な雨に見舞われた。私は幸い書斎の中にいたが、雷を伴うあまりに激しい雨に少々驚かされた。 地面に叩きつけるような雨が降り、同時に突風を伴っていた。窓ガラスに激しくぶつかり、しぶきを上げる嵐のような雨を見ていると、その激しさがある瞬間から美しく思えた。...
1272. 自己言及と知識の体系化
絶えず自己の内側から現象を捉え、それを自分の言葉として刻み込んでいく日々が、一日、また一日と過ぎていく。 そうした一日は、とても儚いものとして過ぎ去っていくのは確かだが、それは他の何物にも代えがたい一日として自分の内側に刻印されていくのがわかる。欧州での毎日は、こうした日々...
1266. 人工知能についての再考
昨日は、気づかないうちに、いつもの二倍ほどの分量の日記を書き留めていた。字数にしておよそ一万字ほどの日記を書き綴っていたことになる。 それらの文章のほぼ全てが、自分が書き留めておくべきことだと思ったことである。ただし、その中で、書こうとする自分の内側の動機、すなわち、内側の...
1214. マルチフラクタルトレンド除去変動解析と埴谷雄高著『死霊』
今朝は少しばかり早く起床したためか、午前中の仕事の合間を縫って、先ほどソファの上に腰掛けながら、しばらく目を閉じていた。およそ10分ほどであろうか。 目を閉じていると、夢の世界の入り口の前にたたずんでいるような感覚に包まれた。実際に、言葉にならないような映像が自分の脳裏に浮...
1199. ライデン訪問記:長大な時間をかけて積み上げられたもの
ライデンに向かう列車の中、私は持参した書籍をずっと読んでいた。時折顔を上げ、窓の外に広がる景色を眺めるのは、心地よい息抜きとなった。 持参していた“Authority, Responsiblity, and Education...
1181. 知識と経験のネットワーク
ここ数日間は、早朝の日課であるカントの哲学書の音読と、就寝前の作曲の学習と実践を意図的に控えている。二つの最終試験と共に、一つの論文提出が迫っていたからである。 最終試験の準備の過程で、結局のところ、論文を音読し続けることを行っていたが、やはり早朝に哲学書の音読をするという...