2063. 何のための学びなのか?
絶え間ない学びを希求する自己と、巨大かつ堅牢な知識体系を内側に構築し続けようとする自己の問題についてここ数日ばかり考えていた。その問題を提起したのは、アーネスト・ベッカーの書籍である。 ベッカーの書籍の中に直接的にその問題が扱われていたわけではない。ベッカーの記述をもとに、...
1737. 身体感覚と学習
ふと書斎の窓の外に視線をやると、辺りがほのかな闇に包まれ始めていることに気づいた。土曜日の五時を少し過ぎた今この瞬間に、自分は存在している。 それを表明することによって、自分の存在を証明しようとする試み。実際には、それは証明とはほど遠く、存在の刹那的な確認に過ぎない。...
1724. ネットワーク的な知識の再編成実践
昨日から意識的に行い始めた学習方法は、非常に効果があることをすでに実感していることを先ほどの日記で書き留めた。振り返ってみると、その原型のような学習方法は、今から三年前にロサンゼルスに住んでいた頃に行っていたことを思い出す。...
1665. トライアンドエラーを通じて
早朝から深い霧が辺りを包んでいた。その様子はまるで、雪の世界であった。 深い霧が随分と晴れてきたのは、十時を過ぎた頃だった。今朝は早朝の六時から仕事を開始させた。 九時頃を迎えてから、「学習理論と教授法」の最終試験に向けて、課題文献を再度読み返すことを行っていた。心理学科に...
1589. 知識の裸体と触れる体験
書斎にはハイドンのピアノソナタが流れている。誰かに遮られることもなく、何にも遮られることなく、音の旋律が滑らかに流れていく。 その滑らかな旋律が私の身体にすっと流れ込んでくるかのようである。今朝の仕事を始めてから30分ほどが経った。...
1580. つまらない文章と思考と感覚が萎縮した人々
今日の目覚めは普段よりも遅かったが、午前中に取り掛かりたいと思っているのは、明日に参加する二つのクラスで取り上げられる論文と専門書の該当箇所を読み返すことである。 今学期に履修しているコースは三つだが、クラスが行われる前日には、そのクラスで取り上げられる論文と専門書を読み返...
1566. 文章執筆と知識体系の高度化の関係
昨日は、具体的な課題に取り組みながら学習を進めていくことの重要性を改めて実感するような体験をした。昨日の午前中から、「評価研究の理論と手法」というコースの課題に取り組んでいた。 この課題は、メキシコの国家規模の教育問題をケーススタディとし、毎週のクラスで学習する項目をもとに...
1559. 知識習得過程の観察
今日は午前に「学習理論と教授法」の講義と午後に「評価研究の理論と手法」の講義に参加した。どちらの講義も毎回自分にとって実りが多く、それらの講義に関してどこから何を書き留めておこうかいつも迷う。 記述の初期値設定問題については、実は偶然ながら今日の昼にも考えていたテーマであり...
1557. 余白の重要性と「銀行型教育」の弊害
今朝は六時を少し過ぎた時間に目覚めた。フローニンゲン大学で過ごす二年目のプログラムの第二週が始まりを告げた。 起床直後のダークブルーの空も、シャワーを浴び終えた頃にはライトブルーの空に変わりつつあった。そのおかげもあってか、目の前を通り過ぎる黒い鳥たちの姿がよく見える。...
1513. 対象をものにするために
昨日の夜から、フローニンゲン大学での二年目の最初の学期に履修するコースで取り扱われる専門書や論文に絞って探究を進めることにした。 いかんせん最初の学期に履修するコースの内容が未知なものが多いため、これまでの自分の専門領域をさらに深めるような試みに着手するのではなく、手持ちの...