268. 出発前日の夜
——後に続く者あるを信ず——神風特攻隊 出発前夜、成田空港の近くにある「ホテル日航成田」に宿泊することにした。今、ホテルの自室でこの記事を書いている。 成田空港に到着するまでの電車の中で、私は窓から見える景色をぼんやりと眺めていた。電車の窓枠が絵画の額縁になったかのような錯...
261. 希望という名の投票箱に一票を
いよいよ夏らしくなってきた。今朝は雲一つないほどの晴天であり、生命の躍動を促すような力強い太陽光が早朝から降り注いでいる。渡欧の日がいよいよ二日後に迫ってきており、その前に日本の夏らしさを感じることができて幸運に思う。 先日街を歩いていると、東京都知事選挙へ向けて候補者のポ...
241. 私の中のニッサン・インゲル先生:変容と治癒をもたらす芸術
——創作のためには努力を怠らない。それは自分自身への挑戦でもある。そして人生は全てを達成するには余りにも短すぎる——ニッサン・インゲル 渡欧の日までいよいよ2週間を切った。「時」というものの正体を考えざるをえないほど、この一ヶ月は早く過ぎ去ったし、遅く過ぎ去った。...
237. 孤独さと個の確立について
——孤独、絶望、死。これらは決して悲壮がった脅し文句ではないのだ。人間の魂のカリテ(質)なのだ。どうしてもそこへ行かなければ、先へ向かって開けないものがあるのだ——森有正 一羽のハトが公園内の道をひょこひょこと横切っていた。ハトの足取りのリズムと同調させるように、私はそのハ...
226. 普遍性の獲得プロセスとしての人間発達
チェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークの『新世界より』がiTunesから流れ出す。これは、私が5年前に渡米する直前に知人から頂いたCDである。 この曲の第二楽章は、日本において『遠き山に日は落ちて』として広く知られている。私が長く時間を過ごした山口県の故郷では、夕方の時を...
223. 言葉の履歴書
——「名付ける」とは、存在を明澄の場(人間的空間)にもたらすことであった——辻邦生 今朝、毎朝焙煎している有機豆のコーヒーが全て無くなった。人は自らの余命に限りがあることを知った時、そこからの一瞬一瞬は全て新鮮なものとして目に映り、ありふれたものだとこれまで思っていたものた...
219. 母校の思い出と大月康弘先生
——世界を識ることは己を知る途でもある——大月康弘 変わることのない景色が、ある日突如として別の姿を露わにする瞬間に立ち会ったことはないだろうか?4年間通った母校を久しぶりに訪れた時、あの時と変わらない佇まいの兼松講堂や時計台は、もはや当時とは質的に異なる何かを発しているよ...
214. 私の中の森有正先生
この一年間の日本滞在期間において、様々な人たちとの出会いがあったように思う。この限られた生命時間の中で、同じ場所と同じ時間を共有することができるというのは、やはり何か特別な意味があるのではないかと思わされる。 そうした意味において、人との縁というのは人知を超えた働きによって...
204. 今を今刻むその果てにある新しい今
——人生の究極的な意味は、私たちの理解できる範囲を超えている。けれどもそれは、それを欠いては私たちが生きていくことができなくなるような何かである——ヴィクトール・フランクル 何かを表現するというのは、自分の内側にある何かを開くことである。自分にとって何かを表現する一つの手段...