1249. この一年間の夕食とデカルトについて
初夏の太陽の愛情を注がれて育った赤々とした大きなトマト一つ、みずみずしいセロリ一本、北欧を彷彿とさせるニシンの酢漬け一匹。この一年間の私の夕食のほとんどは、その三つだけだ。 昼食時に多めのサラダを摂る時に、有機穀物で作られたパン一枚と行きつけのチーズ屋で購入したチーズを少々...
1248. オンラインゼミナールの課題を作りながら
早朝は小雨が降る時間帯もあったが、午後以降、天気は回復し、夕方の今は晴れ間が広がっている。今日は午前中に、Skypeを通じて、これまで共に日本企業の組織開発に携わってきた方と一時間ばかり話をした。 一時間という短い時間でありながらも、お互いの近況を伝え合うことができて、私に...
1159. 80年続く内側の中心主題
午前中に計画していた論文を全て読み終えた私は、近所のスーパーに四日分の食料を購入しに自宅を出た。部屋のドアを開けてみると、夏を彷彿とされる熱気に包まれた。 その熱気は、螺旋階段の下から上に向けて上昇するような渦を持っているように思えた。自宅の中はあれほど涼しかったのに、部屋...
1070. 春らしい一日の中の不必要な焦り
今日は少しばかり、目には見えないような精神的焦りを抱えているようだった。先日のサスキア・クネン先生とのミーティングで得られたフィードバックを元に、午前中に修士論文の手直しを行った。 その作業は非常に順調に進み、あとはいよいよ論文全体の細かな体裁を整える段階に入った。今週の水...
1063. 埴谷雄高著『死霊』
そこにあったのは興奮だった。不気味な興奮が背筋を駆け上っていったのは、これが初めての経験かもしれない。 そのような出来事に本日見舞われた。今日は今朝から論文を執筆していた。 早朝に、カントの “Critique of Pure Reason...
1058. これまでの七年間の回想
昨夜、就寝に向かう前に本棚の前を横切った時、二人の著者の書籍に思わず目を止めた。一人目の著者は、ケン・ウィルバーである。 中でも、 “Sex, Ecology, Spirituality (2000)”と “One Taste...
1040. 早春の日曜日より
昨日に引き続き、今日も昼前から素晴らしい天気になった。今日の起床時は、薄白い雲が空を覆っていた。 午前中、まずはジャン・ピアジェの “Structuralism (1968)”を読んでいた。「発達段階とパフォーマンスは不可分である」というピアジェの指摘は、注意深くそれが意味...
1017. 新たな朝の習慣
いよいよ本日から五月に入った。五月を迎えたにもかかわらず、朝夕はまだ暖房をつけて過ごしている。 今朝も足元が冷えていたため、暖房をつけた。このところ、これまで以上に、生活の一部として音楽が浸透しているように思える。あるいは、生活としての音楽がそこにあるように思う。...
974. 日記が持つ秘術と顕術
——あなたは日記をつけていますか?——ラルフ・ワルド・エマーソンからヘンリー・デイヴィッド・ソローへ 早朝から日記を書き続けている。昨日は、午前中の数時間を除き、残る時間は全て、自分が執筆した書籍の初校を読み続けていたのであるから、文章を書きたいという衝動が湧き上がるの...
906. 旅日記に対する思い
昨夜、就寝前に、書斎の電気を消そうと思った瞬間に本棚に目がいった。すると、辻邦生先生が書き残した旅行記の背表紙が、私の目に飛び込んできた。 私は、おもむろにその旅行記に手を伸ばした。これまで何度か、自分にとって日記を読むこと・書くことの持つ意味について書き留めていたように思...