3296. 誕生日だった今日
つい今しがた、今朝方見ていた夢について日記を書き留めていた。それを書き終えた後、今日の日付を日記に入力した瞬間に、今日は自分の誕生日であることに気づいた。 近頃私は、現在の西暦を確認しなければ、自分の正確な年齢がわからなくなってきている。おそらく外側の時間に従って生きること...
3112. 生涯学習の大切な側面
やはり問題は自分の学びが圧倒的に不足しているということであり、その他に問題の拠り所を見つけることは難しい。自分の魂が学びを渇望しているような感覚がするのである。 これは精神分析学的なシャドーの問題というよりも、私の魂の問題であるように思えてくる。あるいは、自分の魂の特質と関...
2959. あの冬がやってくる頃:人生の暗夜
時刻は夜の九時半を迎えた。午後から雷が鳴り始め、激しい雨が散発的に降っていたが、今はすっかり雨が止み、静かな夜を迎えた。 フローニンゲンも秋に着実に向かっているためか、もうこの時間は辺りが薄暗い。つい先月までは午後の十時半まで明るかったはずなのだが。...
2303. 深化の原理と自己対峙への恐れ
憐れみ深い日々が自分の中で続いている。慰めと祝福が染み渡るような毎日が今日も過ぎていくのだと思えて仕方ない。 天気予報では昼食時あたりに雨が降るそうなのだが、今はそのようなことを一切感じさせないような空である。空はうっすらと晴れており、雨の予感など微塵もない。...
2064. 自閉症という現代病
独り、独り、独り。世界のどこで何をしていようが、自分が独りだという意識が時に噴出する。 自分が究極的に独りであり、独りであることは逆に独りではないのだということに気づいている自分がいるのは確かだ。 自己と他者および世界との関係に関する問題。欧州での生活の中でその問題はもう何...
2004. 家畜化される現代人
大阪に住んでいた数年前のことを先ほど思い出していた。大阪に住んでいたのはもう八年から九年ほど前のことになる。 その年数を考えてみると、大阪に住んでいたのはそんなに前の出来事だったのかと不思議に思う。ちょうど昨日は、ニューヨークの郊外に住んでいた五年前のことを思い出していた。...
1991. 福永武彦『草の花』より
昨日、何かに引き込まれるように、福永武彦氏の『草の花』という小説作品を読み進めていた。昨日の夕方から就寝にかけて読んでいたこともあって、気がつけば半分以上も読み進めている自分がいた。 以前の日記で書き留めていたように、私は小説というものを読むことができない。だが、福永氏のこ...
1766. 幸福感の絶対条件と孤独について
一昨日の夜と昨日の早朝に、自分の中で小規模な揺れが起こっていた。その揺れが今は収まっていることが、内側の世界の穏やかさにつながっているのだろう。 今日は朝からとても調子が良い。だが、心身に充実感がみなぎる形ではない。 なぜなら、心身が充実感と一つであれば、充実感などみなぎり...
1697. 孤独の園の淵にある孤独
今朝は六時ちょうどに目が覚め、目覚めの瞬間に心身の優れた状態を確認した。この心身の優れた状態、とりわけ、身体の快調さは、昨夜の夢と何らかの関係があるかもしれない。 昨夜の夢の印象が残っているうちにそれを書き留めておきたい。昨夜は夢の中で、ある友人と共に長い道のりを走っていた...
1675. 舞と灯火
先ほど、落ち葉の最後の舞を見て、何か込み上げてくるものがあった。私たちは、あの落ち葉のように、一つの舞を次の別の落ち葉の舞に伝承するような試みに従事しているだろうか。 あの落ち葉の舞に私が感銘を受けたのは、あの落ち葉が別の落ち葉のために舞っていたからではない。あの落ち葉は、...