2490. コンポジションセラピーの可能性
天気の変動に思いを馳せていると、自己が変容するに応じて自身の関心領域が変わっていくのは当然のことだという思いが湧き出てきた。仮に自らの内面が広く深いものに向かっているのであれば、関心の対象領域が拡張し、それが徐々に深まっていくのは当然である。...
2350. 中欧旅行の計画
ワルシャワとブダペストに訪れる日が刻一刻と迫ってきた。両都市に訪れるのは再来週の金曜日からである。 昨夜、今回の旅行に向けて、両都市のどのような場所に足を運ぶのかを決め、それに合わせて航空券を予約した。ワルシャワもブダペストも徐々に暖かくなってきているようであり、私が訪れる...
1899. 父からのメール:「人生から何を問われているか?」
今日は午後に一つ嬉しい知らせを受けた。拙書『なぜ部下とうまくいかないのか』の増刷が決まったという連絡を担当の編集者の方から受けた。 本書は今から一年半以上も前に出版されたものだが、現在でも新たな人に手に取ってもらえているようで嬉しく思う。偶然にも、今から二年前のこの時期に、...
1699. 意味に宿る治癒と変容
今日は六時の起床から始まり、六時半を迎える前から今日の仕事を開始させた。記憶に残っている夢を書き留めることを続けていることもあってか、夢を再想起する力が高まっていることを実感する。 その証拠に、随分と夢の詳細を書き留めておけるようになっている。夢から覚め、夢を再想起すること...
1222. インテグラル・ジャパン代表鈴木規夫さんとの『成人発達理論による能力の成長』の出版記念対談より
先日、インテグラル・ジャパン代表の鈴木規夫さんと『成人発達理論による能力の成長』の出版記念対談をさせていただいた。 対談の冒頭で、カート・フィッシャーの理論とロバート・キーガンの理論の関係について質問を受け、その点についてもう少し補足が必要だと思った。書籍の中では、前者の理...
912.【ウィーン訪問記】ベートーヴェン記念館(ハイリゲンシュタットの遺書の家)での必然
——私には何も聞こえない。こんな出来事に絶望し、もう一歩で自ら命を絶つところだった。芸術、これのみが私を思いとどまらせた——ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン 今日は結局、20キロ近い距離を歩いていたように思う。だが一切の疲れもなく、昨日に予定していた全ての場所を訪問...
204. 今を今刻むその果てにある新しい今
——人生の究極的な意味は、私たちの理解できる範囲を超えている。けれどもそれは、それを欠いては私たちが生きていくことができなくなるような何かである——ヴィクトール・フランクル 何かを表現するというのは、自分の内側にある何かを開くことである。自分にとって何かを表現する一つの手段...