1808. ゴッホだったのかもしれない
昨夜、一日の仕事を終えた後、少しばかりゴッホの画集を眺めていた。実際には、画集に掲載されている作品を全て眺め、気になる作品の解説文を丁寧に読んでいた。 タッシェン社から発行された本書は、作品の解説文のみならず、写真の質も高く素晴らしいと思う。クレラー・ミュラー美術館で売られ...
1804. 旅の終わりから
デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園からフローニンゲンに戻ってきて一夜が明けた。昨日の夜の六時半あたりに自宅に戻ることができ、そこから作曲実践に従事していた。 国立公園の大自然から得られたエネルギーとクレラー・ミュラー美術館に所蔵されている作品から得られたエネルギーが私の内側に作...
1803. 大きな虹のアーチ:絵画と音楽が共有する次元
デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園への一泊二日の旅行を終えようとしている。今私は、もうアーネムからズヴォレに向かう列車の中にいる。 クレラー・ミュラー美術館からオッテローの中央バス乗り場まで歩いている最中に、大きな虹の架け橋を見た。それは途切れることなく、大きなアーチを描いてい...
1802. ゴッホの森から
今私は、ゴッホの森の中でこの日記を書いている。 文字通り、デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園の中のベンチに腰掛けて、この日記を今書き留めている。 朝一番にホテルを出発し、クレラー・ミュラー美術館の開館と同時に目的地に着いた。オランダでも随一の来館者を誇るこの美術館も、朝の時間帯...
1800. ゴッホの森から:精神と魂の拠り所
デ・ホーヘ・フェルウェ国立公園近くのコテージの周りは、自然の静かさの本質を教えてくれる。それは、静かさの中にある動的な静かさだ。 自然が生み出す真の静寂さの中には、彩り豊かな多様な音を聞くことができる。今、私は宿泊しているコテージの部屋の中で、そうした豊かな音に耳を傾けてい...
1798. 充実感と幸福感を取り囲む人との縁
午前中の青空とは打って変わり、午後一番に小雨が降り始めた。遠くの空に太陽の姿が見えており、上空に少しばかりの雨雲がかかっていた。 どうやらその雨雲が、この小雨をもたらしているようだった。雨の量は多くなく、それはどこか、思わず零れてしまった数滴の涙のようだった。 ...
1624. アーネムとユトレヒトに向けて
一つの夢が終わるのと同時に、今朝は五時前に一度目を覚ました。しかし、もう少しばかり睡眠が必要な気がしたため、そのままベッドの上で横になっていた。 二度寝から目覚めると、朝の七時だった。普段はこの時間よりも前に起床しているため、辺りは闇に包まれているのだが、もうこの時間帯は闇...
1414.【北欧旅行記】ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館とキルケゴールの墓を訪れて
コペンハーゲンでの二日目は、昨日の天気予報とは異なり、雨ではなく晴天に恵まれた。太陽の日差しが街に降り注ぎながらも、北欧らしい涼しい夏の一日。 早朝、ゆったりと朝食を摂り、コペンハーゲンを訪れる最大の目的であった、ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館の開館時間まで、ホテ...
416. レンガ造りの家々より
この三日間は外出することもなく自宅にこもって仕事を進めていたため、先ほど近所を散歩しに出かけた。仕事が煮詰まった時や気分転換を図りたい時に、散歩というのは実に優れた行為だと思う。家を出て、「ヴァン・ゴッホ通り」を少し歩いてみた。こちらの通りには、ブレイトナー通りに並んでいる...
386. 静かなる進行
今日の早朝はランニングを行った。先週の土日は、身体運動よりも思考運動に適した日だったので、ランニングをお預けにしていたのだ。月曜日の朝は土日の朝に比べると、ランニングをしている人はそれほどいない。今日のランニングでは少数の他のランナーとすれ違うたびに挨拶を交わしていた。...