1328. プラグマティズムと文化的な価値と技術の伝承について
昼食前のランニングに向けて、午前中の時間は全て、ザカリー・スタインの論文を読むことに充てていた。昨日、自らがプラグマティストの側面を持っていることに気づかされたのも、ザックの論文による影響が大きい。 ザックと私は同年代に属しており、彼のほうが五歳ほど年上だ。ザックが今の私の...
1327. 手紙への転生に向けて
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シェイクスピア、プルースト・・・。創作に次ぐ創作を継続させた偉人の名前とその存在の輪郭が、昨夜の就寝前の自分の目の前に現れた。 もはや私は、創作に次ぐ創作を成し遂げた彼らのような人物しか見ることができない。表現に表現を重ね、人生の最後ま...
1295. 真に強靭な思考の第一段階:「ヴィジョンロジック段階」の思考特性
ウィルバーのSESの注記を読み、先ほど第一部も読み返した。ここでまた少しばかり何か文章を書き留めておこうとする衝動が起こった。 今日はとても風が強く、いつもは優雅に空を飛ぶ鳥たちも、今日ばかりは自由自在に空を飛ぶことが難しいだろうと思っていた。しかし、書斎の窓越しに空を改め...
1262. 人工知能に対する不気味な関心
人工知能に関する不気味な関心が高騰し、人工知能を取り巻く哲学書をいくつか購入しようと思うに至った。実際に、インターネットを通じていくつかの哲学書の中身を確認してみたところ、あまり関心を引くものがなかった。 というのも、人工知能を取り巻く道徳判断や倫理判断などを主題として扱っ...
1241. ダーウィンとマルクスからの励ましと明日への更新
夜の九時に近づき、そろそろ今日一日の仕事を終えようと思う。その前に、最後に文章を一つ書き留めておきたい。 雨がしとしとと降りしきる中、書斎の中を静かに流れるバッハの曲に伴奏するように、雨滴が書斎の窓ガラスに時折ぶつかる。今日一日を振り返ってみたときに、自らの探究に関して、あ...
1239. この夏、無の世界の淵から
目には見えないものと向き合い、それと格闘し、それと調停し、それとの関係の中で営まれる日々が淡々と過ぎていく。バッハの曲が書斎の中をコツコツと歩いていく。 その姿は、まるで異なる世界から降ってきた聖者の行進のように思える。昼食を摂り、先ほど少しばかり仮眠を取っていた。...
1231. 生の本源的な気持ちを通じて生きること
フローニンゲン大学での一年目のプログラムを終え、夏期休暇に入ってから、再び作曲の学習と実践を毎晩行っている。 最終試験に追われていた頃は、作曲から不可避的に離れざるをえなかったが、このように作曲を毎日行える日々が続いていることを嬉しく思う。文字通り、毎日が発見の連続であり、...
1217. バッハのシンフォニアより
早朝、日記を少しばかり書き留めていると、自分の文体が揺らいでいることに気づいた。文体を支える土台が揺れており、言葉に生命力のようなものが宿っていないことに気づいた。 文体というのは、その人を映し出す鏡のような特徴を持っており、その人の本質的な特性を映し出すだけではなく、より...
1214. マルチフラクタルトレンド除去変動解析と埴谷雄高著『死霊』
今朝は少しばかり早く起床したためか、午前中の仕事の合間を縫って、先ほどソファの上に腰掛けながら、しばらく目を閉じていた。およそ10分ほどであろうか。 目を閉じていると、夢の世界の入り口の前にたたずんでいるような感覚に包まれた。実際に、言葉にならないような映像が自分の脳裏に浮...
1109. 先人の固有性を感得すること
季節という一つの巨大なダイナミックシステムが非線形的な変化を遂げ、フローニンゲンの街にも新たな季節が突然やってきた。春を通り越して初夏を思わせるような日曜日であった。 早朝から終始一貫して晴天に恵まれ、書斎の窓から広がる景色は夏の様相を呈していた。季節が変わろうとも、仮に世...