1696. バッハの「平均律クラヴィーア曲集」に範を求めて
昨夜、音楽に関する今後の研究についてアイデアを書き留めていたように思う。その研究テーマについては、いつか必ず研究に着手したいと思っているが、それは今すぐに行うというよりも、もう少しだけテーマを温めておこうという考えに至った。...
1676. 沈みゆく夕日の中で
晴れ間を覗かせていた太陽が、西の空に沈みつつあるのを眺めている。夕方、突如として、天気雨がフローニンゲンの街に降り注いだ。 それは、天から地上にまっすぐに降り注ぐ雨であった。太陽の光が雨滴に反射し、美しい輝きを放っている。...
1650. 創造から始まり、創造に還る
この二日間で5,000時ほどの論文を執筆したことに並行して、英文日記と日本語での日記が止まることはなかった。止まるというもむしろ、文章の淀みない流れが自分を取り巻いていた。 今日、グレン・グールドが演奏するバッハの楽曲を聴いている最中、バッハの音楽が白色と黄色が混じった音を...
1582. 自己偽装と六人の作曲化
どこか少しおかしい。昨日は、日本語である程度の日記を書いていたのだが、日本語で文章を書き留めようとする衝動が収まらない。 このような状態における最善策は、衝動を抑圧することではなく、衝動に適切な形を与え、ふさわしい姿で外側に出すことである。一体何を書き足りないのかさえわから...
1488. 音楽理論の学習と作曲実践の進展
昨日は久しぶりに随分と夜更かしをしてしまった。気づけば時計が深夜の12時を回っていた。 普段は10時前から就寝の準備をするのだが、昨日は12時半に近くなってから就寝の準備を始めた。その時間まで何をしていたかというと、作曲実践を行っていた。...
1485. バッハのゴルトベルク変奏曲『アリア』から
作曲実践に関して新たな気づきを得たのでまた書き留めておきたい。それは昨日の自分の考えを若干訂正するものである。 絶え間なく気づきと訂正を自己に施していくこと、それは人間として真に生きていることの証左であろう。気づきも訂正もない生活は、人間本質に反した生の営みであるように思う...
1482. 作曲実践の再考
今日は作曲に関してまた色々な気づきを得られた一日だった。これまで英文論文を執筆する方法や日本語の書き方に関して、自分の文体を築き上げるための手本のようなものを絶えず参照してきた。 具体的には、優れた英文論文や和書を手書きで写すということを長らく修練として課してきた。作曲に関...
1473.真の芸術体験と「言葉の断食」
昨日、オンラインゼミナールのオフィスアワーの中で芸術に関する大変興味深い対話がなされた。参加者の方の一人が、ニューヨーク近代美術館で開発された「ヴィジュアルシンキングストラテジー」という手法について教えてくれた。 これは絵画を通じて探究心を育み、絵画そのものへの理解のみなら...
1472. 日々が新たな誕生日であるように
今日も昨日に引き続き、六時前に起床した。一日の活動を始めるために、毎朝の習慣である身体運動を行い、今日という一日を開始させた。 書斎の机に着く頃はまだ夜明け前であった。静かで暗い世界が外に広がっている。だが、もはやそうした闇の世界の中に飲まれそうになる自分はいない。...
1396. 公案的笑い
夕方の仕事に取り掛かる前に、少しばかり休憩をとった。行きつけのチーズ屋で購入したナッツ類を食べながらコーヒーをゆっくりと飲む。 食卓の窓からぼんやりと外の景色を眺めてみる。午前中の雨雲が消え去り、今は晴れ間が広がっており、まばゆい太陽光が辺りに降り注いでいる。...