1602. 書く自分
昨日からずっと、ポルトガル出身のピアニストであるマリア・ジョアン・ピレシュの演奏を聴いている。21時間ほどに及ぶソロレコーティングを前にした時、こうした巨大な表現物に強くひかれる自分がいることを再確認した。 今この瞬間、書斎の中にはモーツァルトのピアノソナタが響いており、曲...
1582. 自己偽装と六人の作曲化
どこか少しおかしい。昨日は、日本語である程度の日記を書いていたのだが、日本語で文章を書き留めようとする衝動が収まらない。 このような状態における最善策は、衝動を抑圧することではなく、衝動に適切な形を与え、ふさわしい姿で外側に出すことである。一体何を書き足りないのかさえわから...
1537. コードトーンの抽出からの作曲
昨日は午前中と午後に大学での講義に参加し、帰宅してからもしばらく学習項目の振り返りをしていた。そのため、学術研究がひと段落したのは就寝の二時間前であった。 そこからその日の作曲実践を始めたのだが、自分の進歩をまた実感することができるような体験をした。昨日は、モーツァルトのピ...
1531.「自分の日記」
日記とは何なのだろうか?欧州での生活を始めて以降、「日記」と呼ばれる表現手段について、考えさせられることが何度もあった。 そして、今もまだそれについて考えることがよくある。「日々を記す」ということ、記される日々は何であり、日々を記すというのは本質的にどう言うことなのだろうか...
1501. 日々を綴り、人生を綴ること
部屋全体に静かなピアノ曲が響き渡る。そんな中で先ほど昼食を摂り終えた。 昼食後、書斎に戻ると、机の前に座った瞬間に、先ほどのゼミナールのクラスの内容が思い出された。それほどまでに今日のクラスは、自分にとって意味のあるものであったように思う。...
1497. ムツィオ・クレメンティと理論という公共財産
科学的探究を通じて科学的に自己を知り、哲学的探究を通じて哲学的に自己を知り、作曲実践を通じて音楽的に自己を知る日々が続いていく。そうした日々が自らの道になる日が来るまでに、まだ多くの年数を要するだろう。 学術研究も作曲実践もそれが日々の瞬間瞬間の呼吸と同じように行えるように...
1485. バッハのゴルトベルク変奏曲『アリア』から
作曲実践に関して新たな気づきを得たのでまた書き留めておきたい。それは昨日の自分の考えを若干訂正するものである。 絶え間なく気づきと訂正を自己に施していくこと、それは人間として真に生きていることの証左であろう。気づきも訂正もない生活は、人間本質に反した生の営みであるように思う...
1482. 作曲実践の再考
今日は作曲に関してまた色々な気づきを得られた一日だった。これまで英文論文を執筆する方法や日本語の書き方に関して、自分の文体を築き上げるための手本のようなものを絶えず参照してきた。 具体的には、優れた英文論文や和書を手書きで写すということを長らく修練として課してきた。作曲に関...
1459. モーツァルトになった夢
辺りには無風が広がり、時が止まっているかのような景色が広がっている。今日の早朝はいつも以上に静かであり、小鳥の鳴き声も聞こえない。 目覚めと共に辺りの景色を見渡すと、日が昇るのが遅くなり、外の世界はまだ暗かった。そのような世界の中で今日の活動を開始させる。...
1370. 流れぬ時の流れの中で
突然激しい雨が天から降り注ぎ始めた。ガラス窓に雨滴が激しくぶつかり、その轟音は、書斎の中で流れるモーツァルトのピアノ曲の音色をかき消してしまうほどのものだった。 強く激しい雨のため、窓の外側の景色がもはや見えなくなっている。だが、それでも私は視界に広がる景色の向こう側を見よ...