3839. 矛盾を抱える人間:存在に関する二種類の不安
時刻は午後の三時半を迎えた。穏やかに過ぎていく土曜日が、ゆっくりと折り返しに差し掛かっている。 これから少しばかり作曲実践をして、休憩がてら、近所のノーダープラントソン公園へ散歩に出かけようと思う。公園を散策することを通じて、春の兆候がどの辺りに見られるかを確認したい。...
3799. この夏からの生活
時刻はゆっくりと午後三時に近づきつつある。午前中の青空はどこかに行ってしまい、薄い雲が空を覆っている。そして、木枯らしがフローニンゲンの街を吹き抜けている。 先ほど仮眠を取ったので、これから午後の活動に入っていきたい。具体的には、バッハのコラールに範を求めて作曲実践をし、昨...
3348. 不安と自由:観察と量子・自己の振る舞い
時刻は午後の六時に迫っており、辺りはほぼ闇に包まれた。今日は随分と読書がはかどり、結局本日三冊目となる“Phenomenology & Existentialism: An Introduction (1984)”の初読を先ほど終えた。...
2364. 協働的ライフワークと時間について
ライフワークの分類について書き始めたはずが、結局分類上の一つ目の項目である一人称的な実践、つまり日記の執筆と作曲について言及しただけで終わっていたことに気づいた。もう一つの項目についても書き留めておく必要がある。 もう一つのライフワークは、間違いなく他者との協働で何かを創造...
1916. 来年からの探究活動
昨夜、今後の学術探究の進め方に関して少しばかり立ち止まって考えていた。今の私は、自分が何を真に探究したいのかをすでに分かっている。 そして、そうした探究対象が少しずつ形を変え、多様な領域に伸びていくことも知っている。昨夜、来年から所属する予定の米国の大学院で何かしらの講義を...
1268. 数年後の活動と今日の活動
専門書を読んでは取り留めもない考えが頭をよぎり、それを文章に書き出しては、また専門書に戻り、そして再び自分の取り留めもない考えと向き合うようなことが絶えず繰り返されていく。 自己から離れ、自己に向かうという、自己からの離反と接近の永劫的な繰り返しの中で人は生きていくことを宿...
1132. 科学的探究と哲学的探究
ここ数日前から突如として、朝の習慣的な実践として行っていた文章の筆写が音読に変わり始めた。カントの“Critique of Pure Reason (1781)”を無心で筆写している時に、その古風な英語を手書きで写すよりも、そこで展開される言葉を自分の口から外に出してみたい...
274. 午前中に負けない8月2日の午後
8月2日の午前中にあまりにもインパクトの大きい出来事が重なっていたため、書き記すことを忘れていたのであるが、8月2日の午後、フローニンゲンの市役所(Town Center)に住民登録をしに行ったエピソードがある。 フローニンゲン大学の学生支援課から、フローニンゲンに到着した...