1668. 学習におけるデータ収集と検証
今日が何曜日であるのかを分らなくするぐらいに、起床直後の外の世界は闇に包まれている。闇が曜日を覆い隠してしまうかのようだ。 起床直後の世界は、いつも闇に包まれているため、その様子を見ただけでは、その日が何曜日なのか分からない。姿の見えない一羽の小鳥が、どこかで鳴いている。...
1666. 魂の遍歴
夜の八時を回り、今日も一日が終わりに近づいている。充実さの密度空間の中で、瞬間瞬間の呼吸を続けている感覚。今日もそのような一日であったと形容できる。 早朝の霧の世界から、今はすっかり闇の世界に様変わりしている。夕食を摂り終え、先ほど「実証的教育学」の講義資料を最初から最後ま...
1656. 景観へのくつろぎ
今朝はいつもより少し早く、五時前に起床した。心身の様子を観察してみると、十時に就寝すれば、この時間帯に起床しても何の問題もないのではないかと思う。 昨日は、不思議なほどに暖かい日であった。マフラーを巻く必要などなく、上に羽織るものも先日から使い始めた冬用のコートではなく...
1577. 目的や理由のない行為と共に
ランニングから戻ってきて、先ほど昼食を済ませた。秋晴れのフローニンゲンの空を食卓の窓越しに眺めながら摂る食事は格別だ。 この場所でしか考えられぬこと、この場所でしか感じられぬことと、今は存分に向き合いたいと思う。いや、そうした思考や感覚と向き合うというよりも、それらを存分に...
1552. 意義喪失と意義再燃
今年のフローニンゲンでは、夏をほとんど感じることができず、気付けば秋がやってきた。今日も天候が優れず、晴れ間が一瞬広がった昼食前に、数日分の食料を買いに近くのスーパーに出かけた。 天候は優れないが、自分の探究活動は順調に進んでいる。今日も午前中に、予定の専門書を読み、それは...
1478. 言葉のクオリア
無風と無音が包む夕方のフローニンゲン。時刻が午後の八時に近づき、今日も残すところあと少しとなった。 今日は日曜日であるから、今日が終われば今週が終わることになる。そして、それは新たな週の始まりを手繰り寄せる。 九月がもう間近に迫っており、いよいよフローニンゲン大学での二年目...
1446. 発達論者・教育哲学者としてのエマーソン
夜が間もなく迫っている金曜日のフローニンゲン。今この瞬間は、早朝の晴れ渡る空と見間違えるかのようなライトブルーの空が広がっている。 西の空に雲はほとんどなく、東の空に一つ入道雲が取り残されている。その白色の入道雲がライトブルーの空に微動だにせずたたずんでいる様子は圧巻である...
1445. 最後の日に向けた今日という最後の日
最後の日は遠いはずなのに、毎日が最後の日のように感じる。早朝のフローニンゲンは、自己と世界を隔てる一枚の薄い膜のような雲に覆われていた。 その膜のような雲は、太陽の強い光を通すことはなく、ただ少しばかりの明るさを地上に届けている。昼食後に激しい雨が降った。怒りのような、嘆き...
1441. 再出発から人生の終焉へ向けて
北欧旅行からフローニンゲンに戻ってきての二日目が始まった。書斎の窓から見える木々の優しい揺れと同様に、自分の心もただただ穏やかだ。 今日から再び自分の仕事に集中できるという予感がする。夏季休暇も早いもので、残り三週間ほどとなった。ここから集中的に未読の専門書を読み進め、フロ...
1440. 複数の表現形式で自己を著述し続けること
北欧旅行からフローニンゲンに戻ってきての初日が終わりに差し掛かっている。今日は午前中に洗濯などをし、少しばかり北欧旅行についての日記を執筆していた。 しかし、再びフローニンゲンでの生活を始めるにあたって諸々のことを行っていると、あっという間に一日が過ぎた感じがする。九月から...