3519. オランダ人にとっての絵画
時刻は午後の四時を迎えた。今、書斎の窓を通じて、薄赤紫色の美しい夕日を眺めている。 この季節のフローニンゲンにおいて、私が一番好きな時間帯は、太陽の光を浴びれる日中よりも、美しい夕日を眺めることのできるこの時間帯だと言えるかもしれない。こうした夕日は、東京では見られないし、...
2620. アポロン神殿に向かう道
美しい青空が今目の前に広がっている。一筋の白い雲が空に一筆書きにされている。 朝食の果物を食べながら、私は壁に掛けているニッサン・インゲル先生の二つの作品に見入っていた。何かを考えることなしに、ただ作品に見入る。それをしばらく続けていた。...
2534. 生きた絵画の恩恵
これまで何度か日記で書き留めているように、私はいつも書斎の中で、外に広がる景色が見れる窓の方を向きながら仕事を行なっている。この窓はちょうど大型テレビぐらいの横広がりの大きさを持っている。 その窓から見える景色の有り難さを先ほどはたと気づかされた。ちょうど朝食のリンゴを食べ...
2489.「絵画を聴き、音楽を描くこと」に向けて
今朝も相変わらず気温が低い。昨日と同様に、一日中暖房をつけっぱなしにしている。 外の景色を眺め見ると、薄い雲が空一面を覆っていることに変わりはないが、太陽の光が地上になんとか届いている。自分の内側を眺めてみると、小さな炎が揺らめきながらその強さを増しているのが分かる。...
1986. 追悼
今日は四時半に起床して以降、ベートーヴェンの手紙が収められた書籍を読むことと作曲実践をして午前中の時間を過ごしていた。 先ほど昼食を摂り終え、食卓の窓越しから外の景色をふと眺めた。昨日に引き続き、今日のフローニンゲンの天気は晴天である。...
1442. 時の最果てと陰陽的言語世界
今日も相変わらず不思議な感覚が続いている。これはおそらく旅の余韻と呼べるものなのかもしれない。 旅が自己の存在の中を通り抜け、自己の存在が旅の中を通り抜けた後に漂う余韻である。自分の中に何かが通り抜けたという感覚と、自分が何かの中を通り抜けたという確かな感覚がある。...
1005. 円周率の不思議と円の中の縁
早朝、一杯の水を飲み、いつものように身体を動かすことから一日を始めた。ここ最近は、モーツァルトの交響曲を聴きながら身体を動かしている。 その際に、書斎の外を眺めるのではなく、壁にかかったニッサン・インゲル先生の二つの絵画作品を眺めながら身体を動かすことが毎朝の儀式的な実践と...
656. ザルツブルグでの第七回「国際非線形科学会議」へ向けて
今日もまた大きな 偶然に見舞われた。午前中の仕事の手を休め、本日まだ一度も開いていなかったメールを確認すると、一通のメールが届いていた。 それは、この春にザルツブルグで開催予定の第七回「国際非線形科学会議」の案内であった。フローニンゲン大学で今学期に履修中の「複雑性と人間発...
645. 新たな習慣
今日は早朝から雨がしとしとと降り注いでいる。午前中の仕事をあらかた済ませ、書斎の窓越しにひじかけながら、景色をぼんやりと眺めていた。 一息入れたいとき、私は書斎の窓から見える景色にいつもお世話になっている。窓から見える景色は、抽象世界から私を物理世界へ連れ戻してくれるのだ。...
642. 心のゆとりと豊さ
フローニンゲンに戻ってきて三日目の朝を迎える。昨日、再びこの街で地に足を着けて生きるための儀式として、ザーニクキャンパスにつながるサイクリングロードをランニングした。 幾度となく眺めてきた景色が私の心を深く落ち着かせる。このランニングのおかげで、心身の状態が整ったと言える。...