3179. 子供たちに「対して」か「共に」か?:相互発達的権威の必要性
今日も午前中のほぼ全ての時間を哲学書を読むことに充てており、その時間にかなり脳を使っていたためか、昨日と同様に、いつもより多くの仮眠を取った。時刻は午後の三時を迎えようとしており、ここからまた午後の活動に入っていきたい。...
1759. 今日と明日、そしてこれからも
今日は無事に今学期の最終試験を終えたため、今日の残りの時間は久しぶりに和書を読んだり、作曲実践に多くの時間を充てたいと思う。 明日からは、来週から始まる来学期のコースに向けて課題文献を読んでいく必要がある。しかし、試験がない分、精神的にはゆとりがあり、ようやくシステム科学や...
1210. 発達・学習と無意識:インナ・セメツキーの論文より
起床直後のフローニンゲンの空は、薄い膜がかかっているかのように曇っていた。今日は、午前中の仕事を終えたらランニングに出かけようと思っていたため、天候が少しばかり気になっていた。 昨日は雷雨に見舞われたがゆえに、その印象が私の内側に残っていた。天気予報を確認すると、今日は雨が...
1146.「リゾーム(地下茎)」と認識の枠組みのベクトル転換
今日は非常に寒い一日だった。「涼しい」というよりも「寒い」という表現が最も妥当な体感温度であった。 先ほど、今日の仮眠中の意識内の現象について振り返った後、それに類似したまた別の現象について考えを巡らせていた。フランスの哲学者ドゥルーズとガタリが提唱した「リゾーム(地下茎)...
1107. インナ・セメツキーの「教育記号論(edusemiotics)」との出会い
昨日、教育哲学者のジョン・デューイについて少しばかり書き留めていたように思う。“Complexity Theory and The Philosophy of Education (2008)”を読めば読むほどに、デューイが複雑性科学と教育哲学を架橋するような極めて洞察に溢...
1060.「永遠が作る回帰の道」と「回帰が作る永遠の道」
今日は午前中から、無性に昔のことを振り返っていた。昔といっても、ここ七年間ぐらいの話だ。 この期間について自分がやたらと回想することが多いのは、それが私の人生の中でも大きな意味を持っていたからだろう。この七年間のうち、六年ほどが日本の外で形作られたものである。...
1033. 小さいことから総体へ
相変わらず寒い日が続いている。五月も第二週目に入ろうとしているが、朝夕の気温は依然として低い。 昨日は日中も特に寒く感じられ、真冬の時と同じ温度設定ではないが、暖房をつけていた。就寝に関しても、湯たんぽを用いてお腹と足元を温めながら寝る日々が続く。...
1029. 認識の深まりと「真理」が持つ意味について
今日は朝一番に、ドビュッシーのピアノ曲をかけ始めたのだが、一曲目の途中で、これでは仕事を始められないと思い、別の作曲家のピアノ曲をかけることにした。 ドビュッシーの曲は否定されるべきものではなく、その時間帯の私の感情と感覚に全く合致していなかったというだけの話である。結婚式...
1018. 哲学・数学・心理学・音楽
「逆説的な事柄は、哲学にとっての原動力である」というドゥルーズの言葉が印象に残っている。これは、哲学という思想体系を構築するという営みだけではなく、人間の発達においても等しく当てはまることだと思う。 逆説的な事柄は、発達の原動力であることは間違いない。それは単純に、弁証法的...
1017. 新たな朝の習慣
いよいよ本日から五月に入った。五月を迎えたにもかかわらず、朝夕はまだ暖房をつけて過ごしている。 今朝も足元が冷えていたため、暖房をつけた。このところ、これまで以上に、生活の一部として音楽が浸透しているように思える。あるいは、生活としての音楽がそこにあるように思う。...