1123.『成人発達理論による能力の成長』の序章における主題:「意識の発達論的還元主義」
昼食後、仮眠を取り終えた私は、午後からの仕事に着手する前に、埴谷雄高氏の『死霊』を読んだ。午後からの仕事を始める前についついその作品に手が伸びてしまった、と言った方が正確だろう。 本日をもって、全九章にわたる作品のうちの第一章を読み終えた。二日に一章のペースで読み進めること...
1118. 言葉を超えたその先
埴谷雄高著『死霊』が届いてからの私は、自分の心と向き合わざるをえなかった。書籍が届けられた時、分厚い封筒から中身を取り出すことをせず、私はソファの一角にこの書籍を置いた。 あえてその書籍を見ないようにするかのように、私は複雑性科学と教育哲学を架橋させることを試みた...
1116. 井筒俊彦の『コーラン』の読みから
昨日の夕方、その日の仕事を全て終えた私は、久しぶりに井筒俊彦先生の全集を手に取った。慶應義塾大学出版会から刊行された全集の第11巻「意味の構造」を何気なく開き始めた。 「碩学」というのは、井筒先生のような方のことを言うのだと改めて思った。初めて井筒先生の仕事に触れたのは、私...
1064. ある企画の始まり
一人の人間が生きていく過程というのは、一つの主題を形作っていくことなのかもしれない。一つの主題を発見するというよりも、主題そのものを日々の行為を通じて形作っていくのだ。 そのようなことを思うとき、私は、人生におけるちょっとした企画を立てた。その中身については、ここで書く必要...
1058. これまでの七年間の回想
昨夜、就寝に向かう前に本棚の前を横切った時、二人の著者の書籍に思わず目を止めた。一人目の著者は、ケン・ウィルバーである。 中でも、 “Sex, Ecology, Spirituality (2000)”と “One Taste...
1004.「金槌」と「釘」の関係を彷彿させる日本を取り巻く発達理論の現状
今日は、昼食後の仮眠を終えてから、修士論文の修正に取り掛かった。昨日の続きから作業を始め、計画通りの修正を施すことができた。 “Discussion”のセクションに関して、昨日は少し観点の抽出と論理の運び方に苦労していたが、今日はそれらの点が支障となることはなかった。時間に...
986. 観点を獲得することの意義
夕方に音楽関連の書籍を眺めていた時、バッハとベートーヴェンがある時期までは他者の意向に沿う形で作曲を行い、ある時期を境に自分が書きたいと思う曲だけを書くようになったことを知る。 当時の作曲家は、宮廷や貴族の依頼に応じて作曲をしていたという背景がある。そうした中、バッハに至っ...
980. 第二弾の書籍に持たせた一つの役割:日本で普及しつつある「意識の発達理論」の盲点と幻想
先ほど夕食を摂りながら、今回の第二弾の書籍に込めた意図について思いを巡らせていた。書籍を執筆する際には、著者の中に必ず何かしらの主題があり、表現したいものがある。 前回の作品においても私なりの主題があり、主題を持つというのは今回の作品においても同じである。改めて今回の作品に...
972. 対象からの脱却と接近
昨日、第二弾の書籍の初校を無事に修正することができた。最初から最後まで一文一文を確認していく作業は、非常に骨の折れるものであったが、自分が執筆した文章を読み返すというのは、他者が執筆した文章を読むのとはまた違った発見があるものである。...
948. エマーソン、寺田寅彦、小林秀雄
私が敬意を払っている友人の一人が、小林秀雄の作品を集中的に愛読していたことを聞いてからしばらくの時間が経つ。昨日、別の知人の方とお話をさせていただいた際にも、その方が小林秀雄から多大な影響を受けていたということを聞いた。...